無責任賛歌
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2005年03月22日(火) |
PTSD?/映画『鉄人28号』 |
夕べのうちに細川嬢の無事も確認。次の芝居で一番頼りにしていると言っても過言ではないスタッフなので、胸をなでおろしている。 これでどうやら、身内や知り合いでケガした人は殆どいないようで一安心……。 と考えていて、ふと、親戚の安否を一切気にかけてなかったことに今になって気づいた。でも、私のことを金ヅルだとしか思ってない連中のことなんぞ、眼中にあるはずがないのである。少なくとも、たとえ血は繋がっていようとも、ハイエナかハゲタカみたいな親戚よりははるかに心配をしているのだから、加藤君、メールが遅れた程度のことでひがんだりしないように。
目覚めて、心臓の音に驚く。「揺れ」に対してすっかり敏感になってしまっているので、ちょっとした眩暈や、静かに寝ているときの自分の心臓の音ですら、地震の予兆かと錯覚してしまうのである。ああ、これがPTSDというやつか、と思わず頷いてしまったが、てことはこの「不安感」、そんなに簡単に治らないんじゃないかと考えてまた不安になる。 もともと「目覚めたときの心臓の鼓動」は、私にとっては何よりの「生の証」であった。 小学一年生の時に転落事故に遭い、頭蓋骨の複雑骨折を起こし、奇跡的に生還はしたものの、それ以降、私は今でもたまに目の前の風景を認識できなくなる後遺症に悩まされている。医者からは十年生きられる保証はないと言われ、十代のころは頭痛がするたびに自分は死ぬのではないかという恐怖に苛まれていた。だから、私にとって「眠り」とは「次の日に目覚めることはないのではないか、このまま眠るように死んでしまうのではないか」という恐怖と表裏一体の関係にあった。 それから三十年以上が経っているのだが、この恐怖感、決して薄らいでいるわけではない。眠るのは今でも怖いのだが、かといって眠らないでいるわけにはいかない。だから私は、寝るときはある意味「もう死んだって構わないや」と開き直って、“意図的に意識を消す”ようにしているのである。しげには「三秒で眠る男」と言われているが、私の寝付きがやたらいいのはそのせいなのだ。だいたい、自棄になってるんじゃなきゃ、どうして寝相が極端に悪い人間爆弾のしげの隣でのんびり寝てられるものか。 だからこれまでは、朝起きて、自分の心臓が動いていることを確認すると、「ああ、オレ、まだ生きてるんだなあ、生きててもいいんだろうなあ」と思ってホッとしていたのだが、地震の後はそれすらも安心の要素にならなくなってしまった。 目覚めたばかりの意識がまだ朦朧としている状態では、めまいや鼓動と、地震の区別がつかない。こういう不安感から開放される日が来るのだろうか。
地震後初出勤。 昨日のうちに職場は一応無事と、電話での確認はしていたのだが、実際にどんな状況だったかは足を踏み入れてみなければ分からない。 休日出勤の同僚もかなりいたようで、いろいろ対応に追われていたようである。お手伝いができなくて申し訳ないが、やっぱり親との連絡の方が大事になるのが人情というものなので、カンベンしてもらいたい。 水道管が破裂して、便所がいくつか使えなくなっていることを除けば中はそんなに乱れた様子はない……と思っていたら、私の机の上の書類ファイルなどが、連休前はブックエンドに立てかけられていたのが、今はぐちゃまらと平積みになっている。どうやら床に散乱していたのを、どなたかが重ねて置いて下さったものらしい。 ありがたい話ではあるが、すぐに必要な書類がどこに行ったか見つけられずにちょっと慌てた。
転勤の内示が出ているので、残務整理でおおわらわ。 その最中にまた「グラッ」と来る。しかも、今度は一度「ゆらっ」と来て、一呼吸置いてやや大きいのが「ぐらっ」と来たものだから、もしかしたらまた……とつい身構えてしまった。幸い揺れはそれだけで収まったが、余震にしてはかなり大きい。もしかしたらまたすぐに次のが来るかも、と思って腰が立たない。かと言って、物が落ちるほどではなかったにもかかわらず、すっかり臆病になってしまっているのである。 慌ててしげに「無事か?」とメールを打ったが、返事は「何が?」と何のことか見当がつかない様子。「地震だよ!」とまた送ると、「小さかったよ?」と暢気な返事。 何が小さいものか、このときの地震は後で報道されたところによると、「本震以降では最大の余震」だったのである。震度は福岡市西区・玄界島、福岡県前原市、志摩町、新宮町で震度4を観測。震源の深さ約10キロ、地震の規模はマグニチュード5・1。 しげは本震のときには私以上の本の山崩れに遭って、身動きできなくなっていたというのに、生来の鈍感のせいか、うらやましいくらいに恐怖を感じていない。気象庁の観測によれば、20日以降の余震の累計はこの時点で147回。震度3以上の余震は8回も起きているのだが、しげはこのうちせいぜい二、三回しか感じていない。ニューロンがホントにどこかでハザードを起こしてるんじゃないかと勘ぐりたくなるくらいのニブさだ。 こういう幸せな人間のそばにいると、どうしたって運命の不公平というものを実感せざるを得ない。ソクラテスは絶対運命論者であったと思うのである。
夜、「ダイヤモンドシティ」で、しげはカルチャースクール「ボクシングエクササイズ」の見学。こないだまでの「太極拳」は「ぬるい」ので、こちらに切り替えるつもりだそうだ。その間、私は「フタバ図書」で本を物色。しげの見学が終わるまでフードコートで本を読む。 横山光輝『狼の星座』1巻。 諸事情でこれまでずっと絶版だったものがようやく復刊。どうしてこれまで再刊されなかったのかは、連載時にこのマンガを読んでいた人には見当がつくことだろう。要するに「日本人馬賊」の伝記マンガなので、お隣さんの国情に配慮してたってことなんである。 主人公・大日向健作のモデルとなっている実在の小日向白朗、これは馬賊とは言っても流浪する自警団のようなもので、弱きを助け強気をくじく、中国民衆のために尽くした日本人の誇りのような人物である。 こういう人が実在していたというのも驚きだが、「中国人を助ける日本人」が少なからずいたという事実は、日本に対する敵視政策を続けるアチラさんにとっては極めて都合が悪いわけである。おそらく横山さん自身も生前はそのあたりを鑑みて、『狼の星座』の再刊は許してこなかったのだろうが、こんなふうに「作者が死なないと日の目を見ない」マンガがあるような状況は決して正常とは言えない。いや、作者が死んでもなお封印され続けているマンガがいかに多いことか。 たいていの人間が「人権擁護」の美名のもとに「人間の自由(表現の自由どころではない)」を圧殺していることに気づいていながら手をこまねいているのはどういうわけか。ネットの便所の落書き化が進むのはそれらの圧迫に対する反発も大きい。モラルの低下を嘆くのであれば、まずはメディアが「自主規制」などという下らない差別を撤廃し、圧力をかけてくる似非人権団体(たいていの人権団体が似非であるが)を黙殺するくらいの勇気を持たなきゃしょうがないんだが、どうせそんなことできっこないんだろうねえ。 それならもう私は、「ネット万歳、便所の落書き万歳、悪口陰口大歓迎」と唱えるしかないのである。社会がモラルを無くしているのに個人にモラルを求めるのは本末転倒というものだ。……てなことはもう40年以上前に青島幸男が言ってんですね。はい。
しげと待ち合わせて、「ワーナーマイカル福岡ルクル」で、映画『鉄人28号』。 予告編をご覧になっておられる方はお分かりの通り、鉄人もブラックオックスも、CGによって描かれていて、その出来はもう、アレである。しげが「……プレステ2?」と思わず口走ってしまったが、まあ、そんなもんだ。アングルに凝ってよ、タイミングに凝ってよ、音響に凝ってよ、なんとか「それらしく」見せようとがんばってるけどさ、どう贔屓目に見たって鉄人もオックスもその質感は「食玩」に、その動きは「ポリゴン」にしか見えんのよ。殴り合ったって、表面は全然傷も負わなきゃヘコミもしねえし(へこまないのは超合金だからだ!なんて言い訳ですむ問題ではない)、倒れても「重み」はねえしよう。視覚効果は『ゼイラム』の松本肇。ああ、この人はついにこういうところに行っちゃったのだねえ。 じゃあこの映画つまんないかというと、これが困ったことにすっげえ面白いんだよ(涙)。実写版『デビルマン』とどちらが下か、なんて、『鉄人』に対して失礼だ。比べ物にならないくらい『鉄人』のほうが映画としての完成度は高い。いや、製作者たちの人間としての底の浅さがそのまま弱点となっていた『ローレライ』よりもよっぽどエンタテインメントしているのである。 CGにさえ目をつぶれば、脚本は実にドラマツルギーのツボを押さえていて素晴らしい。金田正太郎の「成長」が、そのままドラマとなってカタルシスを生んでいるのである。辛気臭いままでいっかな前に進んで行かないアニメ版『鉄人』の今川泰宏監督は、脚本の斉藤ひろし・山田耕大両氏と監督の冨樫森氏の爪の垢を煎じて飲むがいい。人生の「苦悩」とは、そこで足踏みし、誰かの同情を引くために行うものではない。「前に進む」ためにあるのである。 CGにさえ目をつぶれば、キャスティングも実にドラマに有効に機能している。CMではなんかしょぼい感じに見えた正太郎役の池松壮亮くん、これがだんだんと「正太郎らしく」見えてくるのには感心。もっとも「ショタコン」の対象となるかどうかは関知しないが。原作の不乱拳博士に当たる宅見零児を演じる香川照之も、いかにもなマッドサイエンティストぶりを好演している。敷島博士を「立花真美」という美少女キャラに変更して蒼井優に演じさせたのは賛否が分かれると思うが、まあ、水辺での「好きよ」シーンがなければまだ許せたかと思う。……別に「淡い初恋」ドラマじゃねえんだから、アレは要らねえだろ。ああ、ハズカシ。 CGにさえ目をつぶれば……いや、ともかく見ていただいたほうが早いでしょう。ドラマ版『ジャイアントロボ』に対するオマージュをこういう形でハッキリと見せてくれたおかげで、『アイアン・ジャイアント』の何がダメだったかも見えてくると思います。 ああ、あと、正太郎君の半ズボンにも目をつぶってください(笑)。
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