無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年03月20日(土) 『座頭市』と『フイチンさん』と、長さんの死

 朝は寝過ごしてまたまた『セーラームーン』を見逃す。なんだか本気でDVDがほしくなってきたのだけれど、しげが怒ることは確実なので、どこかに落ちてないかと目を皿のようにして道端を探しているのだが、残念ながら落ちていない。いや、落ちてたからって拾わせてもくれなかろうが。


 今日は外出せずに、一日、DVDを見たり、コンテンツの更新に費やしたりする。
 『カレイドスター幻の大技BOX』、『座頭市』、『八つ墓村(市川崑版)』、『ドグラ・マグラ』など。どれもコンテンツにアップしたい内容のものばかりだけれど、いったいいつの日になるか見当もつかないのである。『ドグラ・マグラ』は鴉丸嬢も原作読んでて(途中までだそうだが)見たがってたから、早いとこ書いたげたいのだが。
 『座頭市』の「結末の謎」についてだけ書いておくと(もうネタバレ書いてもよかろう)、映画見終わったあとで私としげとで「市は、本当は目が見えたのかどうか?」という点で論争になっていたのである。「いくら目ン玉ひん剥いても、見えねえものは見えねえんだけどなあ」という市のセリフの解釈が、しげと私とで違っていたのだ。そのセリフの直前に市は石に躓いていて、しげは「目は見えているけれども、やっぱりものに躓くことはある」と解釈し、私は「目が見えるふりをしていたけれども、ホントはやっぱりメクラだった」と解釈したのである。英語字幕ではこれが“Even with my eyes wide open…I can’t see a Thing!”となっている。つまり、「私の両目は大きく開かれてはいるけれども、ものを見ることはできないのだ!」という意味。これが誤訳でない限り、市は完全にメクラだったということにしかならない。私の解釈の方が正しかったということになるが、話の流れからして、市が「メクラのフリをしてたただけ」って終わり方はあんまりだからねえ。どんでん返しのも一つどんでん返しで、ちゃんとメクラだったってことにしないと、客も納得しないし、続編だって作れないものな(^o^)。それにコンタクトレンズを入れたたけしの眼、全く焦点が合ってないもの。
 しげに、「ホラ、やっぱりオレのほうが合ってたよ」と言ったら、しげ、「……そういうことにしといてやらあ」と負け惜しみ。これだから吉本ギャグで育った人間は(-_-;)。


 唐沢俊一さんの「裏モノ日記」3月17日(水)付けの文を読んでいたら、上田とし子のマンガ『フイチンさん』がアニメになったという記述があった。
 「『フイチンさん』かあ、懐かしいなあ、昔、近所の貸し本屋に置いてた虫コミックスで読んだなあ」とか思ったあとで、昭和30年代のマンガが、今この21世紀にアニメ化されるという事実にようやく思い至って、「今なぜ『フイチンさん』?」と素朴な疑問を抱いた。
 制作会社の「あにまる屋」、「子供のために本当にいいアニメを」という意図で作ったということであるが、戦前の満州国のハルビンを舞台にして、大金持ちの坊ちゃんの世話係になったお転婆なフイチンさんのドタバタ騒動を描く、と聞いて、イマドキのウンチク垂れのこまっしゃくれたガキンチョどもが(そして親も)興味を示すものだろうか、と心配になった。
 つまらないマンガではないのだ。描線も美しく、揺るぎがない。今読んでも私は充分に面白い。ひさしぶりに本棚から『フイチンさん』を引っ張り出して読み返してみたが、読み終えるのがもったいないくらいに熱中してしまった(私の持ってるのは最初の虫コミ版ではなく、1976年発行の講談社漫画文庫版である)。
 デパートで支配人のキュウイから、「何でも好きなものを買っていい」と言われて、「じゃあ、私はなにも要らないから、門番の父ちゃんに」と答えるフイチンさんの素直さを見ていると、胸が熱くなってくるのを堪え切れない。こう言いながらもフイチンさんは自分の低い身分を嘆くでもなく、ひたすら元気に屈託なく振る舞っている。つまり、日本人がコメディを書いたときに陥りやすい「お涙頂戴」の湿っぽさから免れているのだ。
 けれど、少女マンガがおメメキラキラの自己陶酔型の主人公を生み出していく更に以前の、こうした大陸的な大らかさを持ったストレートなシチュエーションコメディを、今の子供たちや若い人に読ませてみたとして、果たして彼らにこれを受容するだけの心の「余裕」があるものかどうか、私はそれを危惧するのである。
 けれどこういうマンガを適宜復刻してこなかったことが、昔のマンガの持っていた大衆的な魅力を、随分減じてしまっている原因の一つになっているのではないか。『フイチンさん』復刻、切に希望。


 ザ・ドリフターズのいかりや長介さんが、今日午後3時半、がんのため死去。享年72。
 しばらく前から覚悟はしていたので、突然のショックというものはない。けれどすぐには認めたくない。以前、ドリフの中で誰が死んだら一番さみしいかなと考えたことがあったが、カトちゃんでもシムラでもなく、長さんだなあと思った。
 コメディアンとしても役者としても、長さんは決してうまいとは言えない人だった。アイデアマンだし、演出家としては優秀だったけれども、芸や演技、ということに関しては二流以下だったと思う。それは何より本人が熟知していたことであり、自伝『だめだ、こりゃ』にもその苦衷を書き綴っている。『8時だヨ!全員集合』の伝説のハプニング、停電事件のときには私も見ていたが、加藤茶たちが暗闇の中でも懸命にギャグを飛ばそうとしていたのに対して、一番うろたえてどうしてよいかわからなかったのが長さんだった。段取り通りにしか動けない、アドリブが効かない。人間としては実直でも、芸人としては殆ど失格だった。
 ヘタな芸人は、普通は生き残れない。人付き合いのよくない人間は周囲から嫌われる。長さんも何度も周囲と衝突し、激昂し、苦渋をなめる長い下積み生活を送っていた。1964年に「ザ・ドリフターズ」を結成してからも数年は目が出なかった。それが『全員集合』は視聴率が常時20%を越すおばけ番組となり、コメディアンとしての頂点を極めた。番組終了後も性格俳優としての評価が高まり、『踊る大捜査線』シリーズで数々の演技賞も受賞した。なぜそんなことが可能だったのだろう。
 運もあったと思う。ドリフのメンバーが長さんを支えていたということもあったろう。けれど、長さんくらい裏表のない人もいなかった。不器用だけれど一生懸命という昔気質の日本人が長さんの本当の姿だった。『全員集合』の長さんはいつだって一番、汗だくだった。そんな長さんも時々は弱音を吐く。長さんとの関係がギクシャクし始めていた居作昌果プロデューサーは、それを故意に曲解して番組を終わらせた。その卑劣ぶりと比較すると、長さんの頑固なまでの純粋さは哀しいほどに美しい。
 1987年あたりからポツポツとドラマに出ていたが、役者として飛躍したのは1990年の黒澤明監督『夢』に鬼役で出演したことがきっかけになっている。演技はやっぱり下手くそだったが、黒澤監督くらいヘタな役者の持ち味を引き出せる演出家はいない。鬼の悲しみは切なく私の胸を打った。黒澤監督の晩年の三作、『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』の中で、『夢』の出来が一番いいが、その功績には長さんの芝居が確実に寄与している。
 これで世の演出家たちも、長さんの「使い方」がわかったのである。長さんそのままでありながら、そうではない一生懸命な役。それが長さんにはうってつけだったのだ。91年の松本清張原作の『黒い画集〜坂道の家』などで長さんは、老残の人間の醜さまでも熱演するようになったが、多分それは長さんの中にもともとあったものだ。それをそのまま出した。だから芝居はヘタでも、そこには鬼気迫るリアリティが生まれていた。普通の人間は、日ごろ流暢な喋り方も出来ないし、しようとすればどこかが不器用になる。かっこよくはなれない。そういう人間ばかりを長さんは演じるようになった。それしか出来ないからでもあったが、そういう人だと「見抜いてもらえて使ってもらえた」ことが、長さんが幸せだった証拠だと思う。
 『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』で、本広克行監督は長さんの泣き顔を不必要なほどに長回しして撮った。映画としてはかなり貧相な作品だったが、本広監督は、既に病魔に犯されていた長さんの「見せ場」を作りたかったのだろう。その気持ちだけは嬉しいと思う。
 遺作は『恋人はスナイパー(劇場版)』(4月17日公開)。もともと見に行くつもりだったが、初日から列に並ぶことにしよう。
 今でも土曜8時にチャンネルをTBSに合わせると、長さんの「オ〜ッス!」という声が聞こえてくるような気がする。今放送されているのは『探検!ホムンクルス』だった。

2003年03月20日(木) ヨッパライがいたゾ/DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』/『帰ってきたウルトラマン』vol.6
2001年03月20日(火) オタクの花道/映画『ギャラクシー・クエスト』/『Q.E.D.』9巻(加藤元浩)ほか



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