無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年02月10日(木) 宮崎駿監督、栄誉金獅子賞/映画『きみに読む物語』ほか

 仕事中、しげからしょっちゅう「ダンスのこと聞いてくれた?」とメールが来る。
 一応、話を持ちかけて来た同僚に聞いてみたのだが、びっくりして笑われて「わかりません」と言われてしまった。ま、それが当然の反応だろう。
 迎えに来たしげにその旨を伝えたのだが、それでも一向に納得しようとしない。それどころか「ダンスの振りつけも考えたのに」なんて言う。だから振り付け考えるのも踊るのもウチの会社の者なんで、お前は無関係なの。なんでそれが理解できないかなあ。

 帰宅して休憩したあと、ダイヤモンドシティへ映画を見に行く。
 少し早めに出かけて、私は「フタバ図書」で本を物色、しげはゲーセンで「クイズマジックアカデミー」に熱中。
 映画が始まる前に軽食でも取ろうとフードコートで待ち合わせをしていたのだが、時間になってもしげが来ない。携帯で連絡入れても来ない。日頃こちらが時間に遅れそうになるとツノ出して怒るくせに、自分がゲームにハマると「まだ途中だから」とか言ってんのである。「約束の時間守れないならゲームなんかするな!」と怒って、しげのために買っておいたタコ焼きを一人で全部食った。守れる約束を守らなけりゃ怒られるとわかっててなぜ破るか、馬鹿に何言ったってムダなのかよ、やっぱり。
 そういうわけで、しげには「マジアカ禁止令」出しましたので、カトウ君もよしひとさんも、しげをマジアカに誘うのは遠慮して下さい。ほかにも時間かかるゲームは全て不可です。

 ワーナーマイカル福岡ルクルで映画『きみに読む物語』。
 原タイトルが「The Notebook」。そのまま日本語に訳せば「帳面」(^_^;)。「きみに読む物語」という邦題は実に見事、と言っていいのではなかろうか。でもいかにも「純愛ブーム」に乗った印象もあって、実はそんなに好きじゃない。
 しげがこの手の恋愛ものを見に行きたいと言ったのも珍しいことなのだが、やっぱりアルツハイマーの恋人の記憶を取り戻させようと老人が懸命になってかつての自分たちの物語を語っていくというコンセプトに惹かれたのだろう。
 要するにこれまでにも何度となく作られてきた「記憶喪失を取り戻させる」ってパターンの一つの映画で、そこに「アルツハイマー」って設定を持ってきたことがミソなわけで、つまりは基本的に「老人性痴呆は治らない」という前提があり、だからこそそこに「奇跡」を演出する余地があるのである。
 けれど、いつぞや下半身不随のクリストファー・リーブが車椅子から立ち上がるCGのCMを流したら、「同じ症状の患者に無用な期待を与える」と非難されたように、「アルツハイマーも治るのだ」と安易な期待を患者さんたちに与える危険性があるということを考えると、この映画、そんなに手放しで誉めるわけにはいかない要素が多分にあるのだ。本当にアルツハイマーという病気と向き合うのなら、「記憶をなくしてしまってもう二度と戻ることのない相手といかに人間として関係を作っていけるのか」というテーゼについて考えざるを得なくなるはずなのだが、その視点がこの映画には全く欠落しているのである。
 つまりは全編キレイゴトなわけで、そりゃユメだけ見てたい気持ちも分らないではないけれど、だからと言ってそんなに人間のキタナイ面は見たくないのか、それで人間ドラマなんて作れると思ってんのかよ、ふざけんじゃないと、製作者に説教したい気分にすらさせられてしまったのだ。まあそんなことはしないし、できる機会もないけど。
 しかしそういうコンセプトの映画なら、物語のメインは物語を語る老人のほうに傾かなきゃウソなわけで、それが延々だらだらと若いときの回想シーンが殆どを占めるってのは何なんだろうなと思う。お定まりの一目ぼれ、お定まりの親の反対、お定まりの別れ、戦争、お定まりの再会、お定まりのライバル出現などなど、陳腐な展開ばかりが続く。しかもこれがまた実に主人公たちに優しく都合よく展開するんだから、なんてまあ苦労知らずで幸せな人生送ってんだろうなあと鼻白む気分にさせられてしまうのだ。
 身分違いの恋を糾弾するヒロインの両親は、娘と口喧嘩はするけれども、殴って言うことを聞かせようとかそんな暴力的な態度は取らない。男に対してはそれこそ何一つ文句を付けないので、差別的なくせに紳士的なのである(^o^)。戦争の描写もおざなりで、男は親友を亡くして、これが男のトラウマになるとか、後の展開に尾を引くのかなと見ていたら何にも触れない。ドラマ展開としては友達死に損なんである。
 まー、つまりはこれ、レイティングを気にしてヤバそうなシーンなんて最初から作ってないんだね。製作者が本気で映画作ってないことがようわかりますわ。「こんな映画作りをしちゃいけない」という見本みたいなものだ。昨日の『オペラ座の怪人』もひどかったけれど、これまた輪をかけてひどい。既に今年のワースト映画の筆頭である。
 それから後もご都合主義の連続で、いったんは別れた二人、それぞれに愛人や婚約者を作るんだが、再会したとなるといとも簡単に主人公たちのために文句も言わずに身を引いてくれるのである。んなアホウな展開があるかい。でも、主人公たちの愛と別れに涙してる客もやっぱりいるんだよねえ。私もトシ食って涙もろくなってるけどね、さすがにこんなクズ映画で泣けるほど自己陶酔に浸る人生は歩いてきてません。「純愛映画」なんて銘打ったもので出来のいい作品なんて殆どないんだから、そんなん見て妄想に浸って時間を浪費するんだったら、現実に自分自身の恋の道を真剣に考えましょうよ。
 老人役のジェームズ・ガーナーとジーナ・ローランズが熱演しているだけに、なんか悔しくすらあるのである。


 帰宅して、録画しておいた木曜ドラマ『富豪刑事』第五話「ホテルの富豪刑事」を見る。録画してまで見なきゃならんのかと言われそうだが、もう私は自暴自棄である(^_^;)。
 焼畑署管内で長らく対立・抗争を続けている暴力団、竜神会と不知火組。
 抗争激化の果てに、ようやく双方が手打ちを行うことになったのだが、何がきっかけで再び危険な事態が勃発しないとも限らない。そこで手打ち式の成功を願う神山署長(西岡徳馬)は、暴力団を担当する四課の課長・大橋警部(大和田伸也)に応援を依頼する。しかし実は、彼と鎌倉警部(山下真司)とは、お互いをライバル視する間柄にあった。
 今回の事態になんとしても捜査係だけで対処したいと考える鎌倉警部。しかし、100人近くの暴力団員が宿泊するホテルや立ち寄りそうな場所の全てに部下を配置するには、少なく見積もっても三千人の捜査員が必要となる。捜査係の面々がすっかりお手上げ状態で頭を抱えている中、またまた神戸美和子(深田恭子)がとんでもないアイデアを提案した。
 一つの大きなホテルを除いて、管内のホテル・旅館の全てに署員の家族を予め宿泊させ、暴力団員を泊まれなくする。結果として暴力団員たちは残る一つのホテル、美和子の祖父・喜久右衛門(夏八木勲)がオーナーであるエンジェル・ホテルに宿泊せざるを得なくなるが、それなら少ない捜査員でも充分監視ができる。ほんの数億円の支出ですむ、と美和子は微笑む。
 いつものように鎌倉警部以下は呆れはてるが、いつものように神山署長のプッシュで美和子の案は採用され、ついに手打ち式の日を迎える。エンジェル・ホテルに現れたのは、不知火組組長・水野(寺田農)たちと、若頭の新谷(ガッツ石松)に付き添われた竜神会会長・福本(細川俊之)たち。しかし、いよいよ手打ち式の直前に、一般客は全てシャットアウトしたはずのホテルに、アメリカの大富豪・ジョーダン(マイケル・ゴインズ)夫妻がやってきてしまった。そして焼畑署署員たちを嘲笑するかのように、二つの殺人事件が起きてしまう……。

 ゲストの役者だけは今回かなり豪勢。ホテルの支配人役で小木茂光さんも出演している。よく知らんけど、スピードワゴンというコメディアン二人組もチンピラ役で。でもこのあたりは殆ど使い捨てみたいなチョイ役である。楽しそうに被害者を演じている細川俊之はまだしも、たいした見せ場もない寺田農など、わざわざ有名どころを使わなきゃならなかったのかとアタマの上に疑問符がぽこぽこ浮かんでくる。使うんなら使うんで美味しいシーンとか用意してやるのが役者に対する礼儀ってもんでしょうに。
 腹を立てつつも五回続けて見てくると、どうやらスタッフはマトモなミステリーとしてこのドラマを作ろうという気はあまりなくて、コメディとしての面を強調したいのだな、ということは見えてくる。もちろん原作がもともとスラップスティックギャグとミステリーの融合という破天荒な設定なので、ギャグ主体の映像化になるのはアリっちゃアリなのだが、そのギャグセンスが『トリック』なみという実にお寒い状況なのはどうにかならないものか(だから脚本家が『トリック』の人だから)。……筒井康隆、剣山踏んづけて「ギャ〜」とか叫んでないで、脚本チェックくらいしてやれよ。
 ガッツ石松を「今」使うなら、どうしても「OK牧場」を言わせたくなるのは気持ちとしては分かる。昔の高瀬実乗の映画を見ていて彼が「あーのね、オッサン、わしゃかーなわんよ」と言わなかったらガックリするようなものだ(譬えが古いがこれくらい適切な譬えもめったにないので、ご了承頂きたい)。けれど『笑の大学』の「猿股失敬」のようなもので、これくらい要らないセリフもない。西村雅彦のセリフをそのままに言えば「これで笑える客の気が知れない」である。フカキョンが「『OK牧場』ってなに?」と首を捻るが、私は脚本家の首をこそ捻りたくなった。
 ミステリーとしては活字の場合は生きるトリックも映像にするとこんなにダサダサになるものかと情けなくなった。まあ『ホテルの富豪刑事』は原作短編の中でもちょっと無理があるエピソードなのだが、それにしても美和子の提案の奇抜さが本当に奇抜なものとして視聴者を驚かすというレベルにまで板っていないのは悲しい。エンジェルホテルだけに100人以上空室があるなんて状況があったら、いくらヤクザが馬鹿でも警察の企みに気付かなきゃおかしいよ。「まさかそんな大掛かりなことが警察にできるはずがない」と判断する以上に異常な事態なんだから。警察の存在には気付いてるけど“あえてその計略に乗った”って展開にしたほうがまだドラマチックになろうというもんだ。
 短編を一時間持たせるために付け加えたもう一つの殺人事件も馬鹿馬鹿しいくらいのクズトリックで(つか、トリックになってない)、脚本家の頭をこそ打ち抜きたくなったが、メイントリックの方も、犯人役をあの人にやらせちゃダメでしょうよ、としか言えない。それともまさかコイツに犯人役をやらせはしないだろうという意外性を狙ったのつもりなのか? だったら大失敗だよ、それ。
 それにしてもいつまで経ってもフカキョンがお嬢さまにも名探偵にも見えてこないのはどうしたらいいんでしょうかねえ。配役交代が無理なのは承知なんで、私ゃもう脳内変換で別の役者想定して見てますよ。でもそういうときに「お嬢さま」を演じられる女優として思い浮かぶのが若いころの原節子とか久我美子とか香川京子とか山本富士子とか桜町弘子とか北沢典子とか、これもまた古くて若い役者を思いつけないのが現代の女優不在を切実に感じさせてしまうのである。


 8月に開催される第62回ヴェネチア国際映画祭で、宮崎駿監督が栄誉金獅子賞を受賞することが決まったとか。これで宮崎さんは、ヴェネチア、ベルリン、カンヌの三大映画祭の全てで一応何らかの受賞経験があることになった。
 けれども、こういう「栄誉」賞ってのは、本当はもっと早くに受賞させなきゃいけなかったんだけど、時の運であげ損ねたり、もう引退寸前で「功労賞」としてあげる場合が殆どなので、あまり嬉がってもいられないのである。つまりは「これからあんたがなんか映画作ってもコンペには参加させないよ」って意味なんだよね。だから来年以降、宮崎さんが映画祭に参加しても受賞はもうさせないよって言ってるようなものだから、招待作品になるか、特集上映になるかのどちらかしかなくなっちゃったのだ。まあそれだって確かに「栄誉」ではあるんだけれどもね。
 それだけ宮崎駿の実力が認められて「脅威」に感じられたってことでもあるから、まあいいか、とも言えるのだが、できればヴェネチアでも“本当の”金獅子賞を取ってほしかったと思う(『ハウル』でではなく次作で)。三大賞のグランプリを取ってる日本人は一人もいないわけで(黒澤明がヴェネチアで『羅生門』、カンヌで『乱』の二冠。ベルリンは惜しいことに『隠し砦の三悪人』で監督賞)、その可能性を持っていたのは宮崎さん一人だと思っていたのだ(北野武は難しかろう)。
 確かに最近の宮崎作品のレベルの低下は昔からのファンにとっては悲しいくらいなのだが、それでもなおそのへんのおざなりな作りのアニメに比べればはるかに出来はいいわけで、未だにアニメに対して偏見の強い日本では、アニメの面白さを理解・浸透させるためには、こういう「外国での賞」という権威が「外圧」となって働きかけないと、アニメの製作環境自体が整わないのである。これだけアニメが活況を呈していながら、本当に世界に通用するアニメを作っているスタジオはジブリを始め、数えるほどしかない。宮崎さんにはせめてあと二、三作は「外圧効果」のある映画を作ってほしいと心から願っているのである。

2004年02月10日(火) 入院日記9/お薬の正しい飲み方
2003年02月10日(月) 夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか
2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか
2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか



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