無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年02月10日(月) 夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか

 久しぶりに夢の話である。
 しょっちゅう見てるとは思うんだが、朝、目覚めたときにはもうたいてい忘れてるものでね。
 以前、私の職場の同僚で、セクハラが理由で辞職した人がいた。
 と言ってもそんなに珍しいことでもなく、私の知る限りでもソレで問題を起こした人間がこの10年ちょっとの間に5人もいた。私の知らぬところも含めるなら、もっと数が多いことであろう。全く、どうしてウチの職場、そんなに女に飢えてるやつばかりいるのだ。……てなことを真っ正直に書いちゃうから、私は職業が明かせぬのである。もし社名をバラしちゃったら、四月から新しく入って来る女性の数が減っちゃうじゃん(^o^)。
 さて、そのセクハラ同僚であるが、私が出勤してみたら、なんと復職してニコヤカに声をかけてきたのである。
 「あれ? 退職されたんじゃなかったんですか?」
 「それがこのたびの恩赦で復帰できることになりまして」
 恩赦ってなんの恩赦だ。それに問題にはなったが別に逮捕されてたわけではない。このへんがやっぱり夢である。
 その同僚、実に明るい顔で「これであと三回まではおサワりセーフですよ!」と鼻息荒く断言する。どうも法律で一回罪を償ったものはその代償に三回までは悪いことをしてもいいことになったらしい。けれどいったいどういう理屈なんだかよくわからない。
 「さあ、有久さんも一緒におサワりしましょう!」
 するか! もう2年近くも会ってない元同僚がいきなり夢に出て来たというのもワケが分らないが、なんでおサワりの仲間に誘われなきゃならんのかもサッパリわからん。そんな願望でもあるのかと心配になるなあ(ーー;)。
 

 朝、車で職場まで送ってくれたかと思ったら、夕方は寝過ごして迎えに来ないことが殆どのしげだけれど、今日は珍しく寝過ごさずにしげ迎えに来る。
 正直に「珍しいね」と言ったら、しげ、急に怒り出す。
 「悪かったわね、フン!」てな感じだ。誉めてんのになあ。
 頼んでおいた洗濯ものを干したかどうか聞いたら、「アンタが干す番やん!」とまた怒り出す。「おまえだよ!」「あんた!」「おまえ!」「あんた!」。
 これがケツにつくのがエクスクラメーションマークじゃなくてハートマークだったらラブラブバカップルなのだが、毎回これではただのバカップルである。
 しかししげもこう毎回機嫌が悪くしてて疲れやしないだろうか。


 CS日本映画専門チャンネルで『金髪の草原』を見る。
 大島弓子の原作を犬童一心が脚本化、監督も務める。
 記憶を失い、自分を20歳の青年だと思いこんだ70歳の老人・日暮里歩は、ホームヘルパーの古代なりすを憧れのマドンナだと思いこむ。
 原作マンガがそうであったように、日暮里老人は自らの意識そのままに青年の姿で現れるのだが(演じるは伊勢谷友介)、少女マンガの手法をそのまま実写映画に持ちこむことには違和感を覚える。かと言って、これをホンモノの老人に演じさせてしまっては大島原作を使う意味はないわけで、結局、マンガの実写映画化は難しいよなあ、というありきたりな結論を導き出して嘆息するばかりである。
 伊勢谷友介、熱演で老人っぽく見えるところもあるのだが、やはりヒョイと若者らしさがチラホラと見え隠れしてしまうのが痛い。
 なりすを演じた池脇千鶴という女優さんは、東芝のCMで普段着の演技ができる人だなあ、と感心していたが、この映画でもいい意味で芝居臭さのない、少女らしさを好演している。私が若いころなら絶対に入れこんでるところだ(^^*)。
 しかし、基本的には地味な女優さんで、大島マンガにおける「マドンナ」のイメージとはかけ離れている。でも、大島マンガの女性はみな、設定自体は実に生々しいのだが、その正体は「妖精」なんである。妖精を演じられる女優さんなんてそうそういるものではないから、これは仕方のないところか。
 実写じゃなくてアニメにしていたら、ともちょっと思ったが、これもアニメーターに実力がないと、『綿の国星』アニメ版のような、なんだかなあ、なシロモノになってしまうだろう。名倉靖博あたりなら、きちんとアニメ化してくれそうな気はするがなあ。
 大島弓子の映画化作品は多く、萩尾望都や竹宮恵子の映画化作品に比べればはるかに完成度の高いものが多いのだが、それでも「傑作」、とは呼びにくいのは、やはり大島弓子のキャラクターが一旦、マンガというフィルターを通して生身の人間が濾過されているからだろう。それをもう一度生身に戻しても、まずセリフがキャラクターに乗らないのである。
 原作にはなかったと思うが、日暮里老人を訪ねたかつての旧友・神崎(加藤武)とのやりとりで、「エノケンの映画をよく見にいったよなあ」「行った行った」「でもおまえはすぐシミキンのファンになってな」「し……しみ?」とあったのはなかなか凝っていた。
 シミキンが台頭してきたころ、戦争が始まる以前には、もう日暮里老人の記憶は失われていたのである。それを聞いた加藤武の、静かに受けるだけの演技は絶品である。日暮里の知らぬ戦争で神崎は片腕を失っているのだから。
 こういうところに映画の白眉を見るのはやや意地の悪い見方だとは思うけれど、このシーンを見るだけでもこの映画を見る価値はあると思う。


 日本映画専門チャンネルで続けて、黒澤明監督作品『悪い奴ほどよく眠る』。これも随分前に見たっきりで久しぶりに見たが、以前は地味で長ったらしい印象だったものが、全く逆にサスペンスフルにハラハラドキドキ、画面から目が離せなくなっていたのには驚いた。なにしろ2時間半の長尺をまるで退屈に感じないのだから凄いことである。
 ストーリーは逆に一本調子だなあ、と思うようになった。説明的なセリフが多いのもテンポを阻害していて気になるところだ。
 汚職事件の責を取らされて自殺に追い込まれた父親の復讐を誓った西幸一(三船敏郎)の計画自体、今見るとかなり杜撰である。汚職の中心人物の一人・岩淵副総裁(森雅之)の娘婿になりおおせたまではいいのだが、復讐の相手を脅かすのに夢中になりすぎて、あちこちでボロを出してしまっている。幽霊騒動まで起こすのはちょっとリアリティに欠けるだろう。
 特に薄幸な跛の妻・佳子(香川京子)を愛するあまり、かえって抱くことができない、というのは最大の失敗だったろう。そのことが結果的には西自身の身の破滅を招くことになるのだが、復讐者の人間的な優しさが自縛の紐となる展開は、この映画が制作された昭和35(1960)年当時においてもいささか古臭過ぎはしなかったか。
 当時、政府筋から汚職事件を扱うことについて「圧力」があったとも聞くから、そのような結末のツメの甘さは、黒澤監督の妥協の産物なのかもしれないが。
 いささかステロタイプになってしまったとは言え、登場人物たちのキャラクターとしての存在感にはやはり眼を見張る。
 誰かが指摘していたことだが、この『悪い奴ほどよく眠る』は、黒澤版『ハムレット』であると。
 なるほど、復讐鬼・西幸一はまさしくハムレットである。佳子もオフィーリアも、愛する人の愛を受けられぬまま狂気に陥ってしまう。佳子の兄・辰夫(三橋達也)はレイアティーズであり、岩淵はもちろんクローディアス王だ。ああ、幽霊騒動が起きるところも似てるか(^o^)。
 しかし『ハムレット』と違うのは、復讐の相手であるクローディアスに当たる岩淵は、死ぬことなく、ラストでゆっくりと深く、安眠するのである。その分、観客の感じる悪辣さはクローディアスの比ではない。『白痴』で絶対的な善人を演じたのと真逆の日本人的「悪」の象徴を森雅之は見事に演じきっていると言えるだろう。
 ほかにも、お人好しが災いして、岩淵たちの罪を背負わされて自殺させられそうになったのを西に助けられ、同じく復讐を誓うも、どこか頼りなげな和田課長補佐を演じた藤原釜足、小心ゆえにただただ怯えながら自滅して行く白山課長の西村晃、冷酷な殺し屋がこのころは似合っていたデビューしたばかりの田中邦衛など、ワキ役、チョイ役にも見所が多い。
 ちなみに、西幸一のテーマソングは、一時期、私自身のテーマソングであった(^o^)。映画館を出て、今見た映画のテーマソングを口笛で吹くようであれば、その映画は名作と言えるのではないか。
 未見の方は、ぜひ。
 

 晩飯は久しぶりにカレー。
 実は前に買っておいたカレールウがまだ余っていて、そろそろ作っとかないと賞味期限がヤバそうだったのだ。
 こないだ作った時には人参を入れ忘れていたので、今日はちゃんとそれもスーパーで買った。肉は安い豚肉のブロックを角切りしてたっぷりと。普通のカレーの軽く三倍はぶちこんでいるだろう。それだけ作っていても、しげに食わせた途端にあっという間に消えてなくなってしまう。
 しげに「カレー食うか?」と聞いたら、「ケンカしとうけん、いらん」とむくれていたが、実際に皿についで「ホレ食え」と言ったらペロリと食った。しげが怒りよりも食欲を優先することなど、先刻ご承知なのである。

 しげ、職場での飲み会があるとかで、夜中に出かける。
 「いつ帰るん?」
 「わからん」
 ということは「朝まで帰らん」という意味だな(^_^;)。
 しげは最近、こんな職場の付き合いが多くなったけれど、10年前、バイトすることすら怖くてなかなかできなかったころに比べると、随分社交的になったものだ。もっとも職場での話を聞くと、トンチンカンなことをしては笑われているようで、付き合い上手になったというわけでもないらしい。
 なんにせよ、バカやってもそれが人に笑われながら受け入れられるということはメデタイことである。マジメな人間ほどバカを排除するからなあ。
 「人をバカにするな」と怒る人間は、実はバカを差別して迫害する種類の人間なのだよ。自分は正しいと思ってる人は無意識のうちに他人を差別してること多いから、気を付けようね。


 中村うさぎ・倉田真由美『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(角川書店・1575円)。
 女性がソ○○○○ドに全く縁がないごとく(客として行く、という意味ですよ)、ホストクラブもまた男には全く縁がない。しかも男の場合、客としてでなくても縁がないヤカラが殆どではないか(^o^)。
 で、一応の、興味を、持って、読んで、見た・の、だ・が……。
 ホストには外見は関係なくなれる。という笑劇……否、衝撃の事実であった。そういうのって、女の場合だけだと思ってたのになあ。
 ソ○プだとさ、よく聞く話だけれど、「MEGUMI並の巨乳でっせ」と言われて喜んで指名したら、出て来たのがウシだったとかトドだったとかスカイドンだったとか(^o^)言うじゃないのよ。それでも「とりあえず損だしなあ」とスカイドンをせめてガヴァドンだと錯覚させてナントカするのが男の悲しいサガなんだけれど、ホストクラブの男どもがみんなパパイヤ鈴木とかドラえもんとかだったら店がつぶれないか。体重でではなく。
 でもホントにこのお二人、取材の最中、ブサイクやデブに当たりっぱなしである。もしかして某脂身三兄弟でもなんとかなってしまうのではないか(^o^)。
 いや、これが冗談ではなくナントカなってしまうかもしれないのだ。くらたまさんは博多出身だから、当然博多の取材もある。その博多の『サーカス』という店、ホストの三分の一がオヤジらしい。くらたまさんはそこのオヤジとジルバを踊ったそうな。
 オヤジでジルバ! 強力である。オマケの方が豪勢なタイムスリップグリコのようだ。仮に私がオヤジホストになるとしたら、いったい何がオマケとしてつくだろうか? 歌も踊りも、楽器も全部ダメだしなあ。オタ話。これってセールスポイントにはならないよなあ。
 いやいや、「オヤジ」という一見マイナス要因に見えるものですら、売りようによっては渋い魅力ということで商売として成り立ってしまうのである。世の中何が当たるかわからない。ましてや「オタ話ホストクラブ」なんて、全国でもどこにもない。脂身三兄弟と組んで作ったら、結構、隠れオタク女が集まってきたりしないだろうか。語るセリフは全てアニメ・特撮の名セリフか、そのアレンジにする。
 どうです、そこのお嬢さん、めくるめくオタクの世界に、今宵一夜、貴女を誘ってさしあげましょうか。
 ▽~ヽ(・_・)ノ~▼チャ △_(。_。)_▲チャ ▽~ヽ(^-^)ノ~▼チャ!
 ……すみません。今朝の夢見が悪かったせいか、妄想が私の体を離れてアンバランスゾーンに入ってしまってます。今までの十数行の内容は、全て忘れて下さい。m(__;)m(2003.3.10)

2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか
2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか



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