無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年08月24日(火) 江角英明さん追悼

 気温が急に下がった感じで、随分過ごしやすくなった。
 外に出ると、昨日まではアブラゼミしか鳴いてなかったのが、旧にツクツクボーシの大合唱である。季節の切れ目がこんなにハッキリしてるのも珍しいな。もちろん明日以降も涼しくなってくれるんならもう秋だって言えるんだろうけれども。
 でも仕事中、少し目眩がした。昨日までの疲れが充分に取れていないのである。だもんで、今日も日記は短めに書くが、このくらいが読みやすくてちょうどよくないかな。

 このまま永遠に来なけりゃいいと思ってたトンガリさん、しっかり復活。
 でも相変わらず、誰が挨拶をしても無視して堂々と歩いている。てゆーか、復活してもやたら持ち場を離れてて仕事してる様子ないんだけど、「どうにかする」って言ってた上司、どうにかしてるんですか。

 帰宅してみると、今日は仕事が早いと言ってたしげ、まだ家にいる。ノタクラ家で寝てたんなら、迎えに来てくれりゃいいのに。そんなしげにも、私はちゃんと晩飯でスパゲティを作ってやるのである。さらには一緒に出かけて買い物までして、ジュースだの何だのおごってやるのである。なんか少しぐらいは私に返すモノはないのか。「愛」とか形のないモノはイラナイから。
 結局しげが仕事に出かけたのは9時過ぎ。みんなさあ、なんかホントにグータラできていいよなあ。


 野村総研が「オタク」市場の規模は2600億円に上る、と推計出したそうだ。
 その、各分野に占める「オタク」の規模を算出してみると、さらにこういう結果が出たとか。

 分野   人口    年間消費額  その市場全体に対するシェア
 アニメ  20万人   10万円  13%(200億円)
 アイドル 80万人  7.5万円   2%(600億円)
 コミック 100万人  10万円  16%(1000億円)
 ゲーム  80万人  約10万円  約5%(780億円)

 アニメが一番低いってのがちょっと意外。全国に20万人くらいしかアニメオタクはいないって、そんなもんなのか? 映画オタクとかミリタリーオタクとか、他にも「オタク」と名のつくものはあるけれど、なぜそのあたりを算出しなかったのかね。それに確かに「アイドルオタク」というコトバはありはするけれど、そいつら、大してオタク度は高くないと思うけどねえ。「モー娘。だけのファン」とか、そんなのまで「オタク」と呼んでもいいものなのかな?
 いや、そもそも「年間10万円程度しかおカネを使ってない」連中は「オタク」なのか? 月に1万円以下しかおカネ使ってないってことは、DVDを月に一本くらいしか買ってないってことである。マンガを何冊か買って、映画を2、3本見たら、それだけで数万円はかかりそうなもんだけど。
 こんなのはどれも「普通のアニメファン」とか「普通のマンガファン」のレベルでしかない。だったらそのシェアは「この程度ですむはずがない」と思うんだけどねえ。『千と千尋の神隠し』や『猫の恩返し』を見に行ったやつだけで、何千万って数がいるんだからさ。


 俳優の江角英明(えすみ・えいめい)さんが22日、胃がんのため死去。享年68。
 江角さんに関しても、語り出したらキリがない。私より少し前の世代の人なら、日活の脇役、悪役としての江角さんが一番印象的なのだろうが、私にとっては何と言っても「最初に出会った名探偵明智小五郎」である。『わんぱく探偵団』での怪人二十面相の若山弦蔵との丁々発止、こんなゾクゾクする配役をリアルタイムで見られていたのだから、自分の物心がついたのが昭和40年代であったことに感謝したい。残念ながら『わんぱく探偵団』はビデオで市販されたことが一度あるきりで(しかも一本のみ)、LDにもDVDにもなっていない。博捜してその一本を入手し、これもそのうちコメントをまとめようと思っていたのだが、江角さんの訃報で書くのが辛くなってしまった。
 「声優」としての江角さんの代表作、あとは誰しもが『ルパン三世』のパイカルを挙げるだろう。脚本の大和屋竺の「引き」で配役された、不気味さとニヒルさが同時に漂ってくるような淡々とした喋りで、これぞ唯一無二のパイカル、と言っていいほどのハマリ役であったが、今思えばこれも山田康雄対江角英明というトンデモなく贅沢で魅力的な対決モノだったわけである。近年の続編、『生きていた魔術師』でパイカルの声が野沢那智に変更になってしまったことは、野沢さんには悪いが、腹立たしくてたまらなかった。
 役者の本領は舞台である(映画向きの役者、声優向きの役者がいることは分かるが、基本はそうなのだ)。映画、ドラマ出演も多いが、江角さんはマイム、狂言、バレエと、「舞台のため」の修練も怠らなかった。と言うより、晩年の江角さんの活躍の場は主に舞台に拠っていたと言っていい(屯田署長もあるけどさあ)。
 江角さんに限ったことではないが、役者が亡くなった時に、その人の舞台での活躍に触れないで追悼を述べたものは画竜点睛を欠くと言うか、殆ど無価値と言っていいくらい、肝心な部分を欠落させているのである。私も江角さんが『午後の遺言状』や『12人の怒れる男』などの舞台で活躍していたことは知っていたので、機会があれば見たいと思っていたのだが、その機会は永遠に失われてしまった。もう書きたくても書けない。
 でもどうせ、江角さんの追悼はしても、そこで舞台にまで触れてくれる文章は、プロの評論家の中でも殆どなかろうと思うのである。なぜなら、「映画評論家」という人たちは殆どと言っていいくらい「舞台」を見ないからだ。「演劇評論家」が映画を見ないということはあり得ないのに、なぜ映画評論家たちは役者が本気で取り組んでいる「舞台」を見ようとしないのだろう。博多は田舎だから、東京に比べれば舞台公演も遥かに少なく、東京に住んでる人たちが羨ましくて仕方がない。その東京人の評論家が、驚くくらい舞台を見ていないことが、どれだけ悔しく感じられることか。天本英世さんが亡くなった時も、名古屋章さんが亡くなった時も、フザケルナと言いたくなるくらい、舞台での活躍に対する評価が語られなかった。確かに江角さんの場合も、映画での活躍の方がより目立っていたことは分らないでもないが、「映画評論家だから、映画のことについてだけ語ればいいや」なんて考えているとしたら、その了見は大間違いである。例えばもし、森光子が亡くなったとしたら、彼女を『映画女優』や『川の流れのように』だけで評価できると誰が思うだろうか。
 プロならなあ、もちっと舞台にも目を向けろよ、と言いたくなるのだが、どうせ今回も江角さんの舞台に触れた追悼は少ないのだろうと予測がつくだけに、やり切れない思いはますます募ってしまうのである。
 せめてその活躍の断片なりとも、知りたいのだが、期待できるのは舞台関係者のコメントだけである。誰か書いてくれないかなあ。

2003年08月24日(日) キッチュと言うか、トンデモなのかも/『爆龍戦隊アバレンジャー』第26話/DVD『キノの旅』2・3巻ほか
2001年08月24日(金) 祝! 退院!/映画『RED SHADOW 赤影』
2000年08月24日(木) たまには一人で映画を見る日もあるさ/映画『怪異談・生きてゐる小平次』ほか



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