無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年02月26日(木) 『嗤う伊右衛門』とうどん喧嘩

 女優の若村真由美(37)が昨年9月に入籍していたことが発覚。
 俳優さんの結婚のニュースには殆ど興味が起こらないのだが(一部で面白い騒がれ方をしたヤワラちゃんの結婚についても「ふ〜ん」てなもんだった)、今回ばかりはお相手にちょっと目を見張っちゃったね。新興宗教・釈尊会の小野兼弘会長(51)、体重100キロを越えるという超巨漢である。見た目凄いよ、ナンシー関もびっくり(おいおい)。
 この結婚が、全国百万人の太った人、肥えた人、肥満児、固太り、大デブ小デブに、オレでも美人をゲットできるんだ! という妄想に近い淡い期待を持たせ、働く張り合いを持たせるに至ったであろうと考えれば、社会に与える経済波及効果は頗る高いと思われる。
 朝のニュースじゃ、ご父君が渡辺謙の離婚裁判に夫人の借金相手として証言台に立ったことなんかも報道しているのだけれど、いったいこれを祝福ムードで報道していいのか、スキャンダラスにやったらいいのか、困惑してる様子が見えて笑ってしまいました。まあ、全ての新興宗教が怪しいところだと言うつもりはないけれども、現段階でいかにもコメントを控えてるような様子があると、なんだかなあとは思っちゃうね。
 思いこみ系の役者さんで、演技上だけならまだしも、私生活でもアチラに行っちゃう人というのは確かにいるのだけれども、まあ、斉藤由貴や桜田淳子がアチラに行くのはあまり惜しいと感じないのだが、若村さんは本気で上手い人だったのでちょっともったいないなあ。いやね、この手の人って、私生活がそちら方面のことで充足されると、途端に仕事しなくなったり芝居がヘタになる例が多いのよ。結婚して引退、というのなら同じ惜しいということでも伝説の人になる可能性が残されているのだけれども、ヘタすりゃ老残を晒すことにもなりかねないからね。
 まあ、こんなのは勝手な憶測に過ぎないんで、もちろん本音では今後のますますのご活躍をご祈念申し上げているわけなんですけれども。


 朝ご飯はもう定番のうどん。
 しげが「穴子穴子」というので、上に昨日スーパーで買った穴子を乗せてやることにする。ところが、台所に行くと、退院してから毎日のように「掃除しろ」と言っておいたバレンタインチョコを作ったあとの惨状が、まだ片付けられていない。「おまえ、まだ掃除してないのか!」と怒るが、しげは故意に無視する。腹は立ったが、こちらも薬を飲む時間が決まっているから、叱ってる時間がもったいない。とりあえずうどんは作った。
 しげ、かぶりつくように「穴子穴子」と言ってうどんに飛びつく。
 「お前な、自分が食うことばっかり考えてないで、片付けはちゃんとしろって言ってるだろ?」
 「うんうん」
 「聞いてるか?」
 「うんうん」
 食うのに夢中で全然聞いていない。
 言うだけ無駄かと、こちらもうどんを食い始めたら、しげが急にムッとした声で、「これ、いやがらせ?」と言った。見ると、しげの箸の先につままれているのは、うどんの袋に入っていた乾燥剤である。
 これにはさすがに腹が立った。
 「あのな、おまえの言い草ってな、俺がおまえにイヤガラセをするようなヤツだって言ってるのと同じなんだぞ。お前、俺が目が悪いことも知ってるだろ。間違って入ることもあるってどうして考えないんだよ。自分がどれだけ勝手なこと言ってるか、わかってるのか?」
 「……ごめん」
 「本気で謝ってないだろ。そんなに文句つけたいなら自分で作れ」
 実際、しげは恨みがましそうな顔を崩していない。
 「うどんも食い残すなよ。残したら、もう二度と作ってやらんからな」
 いつもうどんには野菜も入れているのだが、しげは肉は全部食っても野菜は一つ二つ申し訳程度に箸をつけるだけで「食った」とウソをつき、殆ど残しているのである。私が少なめに食べる分、しげのうどんは一人前よりはやや多めになってはいるが、2人前も3人前も大量に作っているわけではないから、決して食えない量ではない。ただの好き嫌いである。そうやって残すからしげはすぐに腹を減らしてしまう。そしてまた「何か作って」とせびるのだから、私が頭に来るのも理由のあることだとご理解頂きたい。
 しげ、ふてくされたようにがむしゃらにうどんをかきこみ始める。よく噛んで食ってないのは見て分かるから、空気も一緒にかなり飲みこんでいる。これではすぐに腹一杯になってしまうし、けれど空気が抜ければあっという間に空腹になってしまう。まるでムダが多い食ベ方なのだが、何度注意してもがっついた食い方しかできないのである。
 案の定、食べきれなくなって、息をつきはじめる。それでもメシを作ってもらえなくなるのはいやなのだろう、休み休みしながらやっと全部食べ終わった。見てるだけで鬱陶しくてかなわないが、この因業な性格、もういい加減で改まらないものか。


 キャナルシティAMCで、『嗤う伊右衛門』朝一回だけの上映を見る。2月7日公開だから、まだ上映三週間も経っていないのに、福岡で上映しているのはキャナルだけになってしまった。客入ってないんだろうなあ。多分今週で打ち切りになるだろうから、退院が早まらなかったら見られなかったわけである。何とか滑りこみセーフ。よかったよかった。
 しげは「怖いからイヤ」だと言って付き合ってくれなかったが、原作は京極夏彦である。基本的にはミステリーなので、ホラー映画、怪談的な怖さはなかった。これだけ人間的な魅力的に溢れた岩と伊右衛門を描いた作品もそうそうないから、見りゃよかったのに。
 お客さんは二、三十人ほど。カップルが多い。平日の朝だってのになんでだ。京極ファンかなあ、唐沢寿明ファンかなあ。蜷川幸雄ファンってのはあまりいなさそうだけれど。


 帰宅して,ネットを覗いてみると、「お気に入り」に入れている人の日記の中に、ある「おたく系アーティスト(具体名は挙げず)」のことをキライ、と書いてあるものがあった。これ,あの人のことかなあ(^_^;)。「アーティスト」という言い方から思いつくのは、あの人くらいしか私は思いつかないのだが。
 もしそうだとすれば,なかなかクセのある人だから、嫌いな人がいても当たり前と言えば当たり前だろう。どこぞのマンガでもその人をモデルにしたキャラクターを出して扱き下ろしていたし。
 確かに私も、あの人(がその人を指しているとすれば)の作品は、決してオリジナリティがあるものだとは言えないと思っている。いや、芸術がそれを見る者に何らかの形で快感を与えることを目的としているとすれば、その人の作品は恐らくその人自身も自覚していることだと思うが,全く逆のベクトルを“狙って”いる。
 これはどういうことだろう、と以前から不可解に思ってはいたのだ。見る者を不快にすることを目的とした芸術というものがありえるのだろうかと(ピカソの『ゲルニカ』などのような「告発」を目的としたものは除く)。
 ああ、これは「パロディ」なんだな、と気付いた時点で私自身の疑問は氷解した。もちろんパロディとして考えた場合でも、そこに表現されたものが稚拙である,と批判することはできる。しかし、基本的にそれがパロディとしての形式を持っていることは事実である。パロディは、その対象となるオリジナルなものを、たとえ製作者の意図はどうあれ、何らかの形で破壊し再構築する。オリジナルなものに強い愛着を持つ人の中には、率直に怒りを表明する人もいると思う。
 しかし,実は全ての芸術は「パロディ」としての性格を持つものなのだ。完全なオリジナルなどというものはありえない。先人の技術や感性の模倣、それなしに芸術はありえないし,また、その中から自らのオリジナルを作り出そうとすれば、過去の作品の破壊は避けて通れない道である。
 私は、その人の作品は「まだ破壊の仕方が足りない」と思っている。思いきりデタラメをやり、破壊しているように見えて、実はまだ「遠慮」がある。だから中途半端な出来のもので留まっているのだ。若くして成功したことが、その人の進歩を阻んでいる面も大きいと思う。しかし、道を踏み外しているわけでは決してない。自らの中にある既成のものを破壊し尽くした時、本当に「面白い」作品を創造する可能性もあるだろうと思うのだ。
 でもそのためには1回潰れた方がいいこたいいんだよな(^o^)。


 夕方、しげと待ち合わせて「庄屋」で食事。久しぶりの外食だけれど、湯葉とかコンニャクとか胡麻豆腐とかがおかずのヘルシーな定食(名前忘れた)を頼んだので、カロリー的には問題なかろう。ご飯は半分しげに食べてもらったし。
 帰宅して、今年のシティボーイズライブのチケットの先行予約を申し込む。当たればいいなあ。

2003年02月26日(水) 入れ物だけが増えてもねえ/DVD『ケルベロス』『トーキング・ヘッド』/『ジャック・チックの妖しい世界』(唐沢俊一)
2002年02月26日(火) 伝統と革命の間/『蟲師』2巻(漆原友紀)ほか
2001年02月26日(月) しみじみ草枕/『エクセル▽サーガ』(六道神士)7巻ほか



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