無責任賛歌
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2003年10月04日(土) |
追加日記3/『少年名探偵 虹北恭助の冒険 高校編』(はやみねかおる・やまさきもへじ) |
漏れ聞いたところによれば、東京都特別区給与広報の発表で、公務員の平均年収が約700万円(平均年齢 40歳)なんだそうな。 この不況の中、まだそんなに貰っているのかと正直オドロキである。下世話な話はあまりしたくないが(今更)、私の年収より○百万も多いんだよ(○は「2」以上(T∇T))。ウチんとこ、もう実質5年も昇給してないんだよなあ(私の業績が悪いからということではなく、全社員がそうなのである。ボーナスも今年からまたまた削減。これを「ジリ貧」と言わずして何と言おう)。 一般サラリーマンの平均年収は、年々下がり続けている。厚労省の調査によれば、1997年のサラリーマンの平均年収は613万円だったのが、昨年は576万円になっている。一年あたり、およそ八万円ずつ落ちこんでいった計算になる。その調子で今年も下降線を辿るなら、景気は回復していると言われつつも実際には周囲でそんな兆候のまるで見られぬ今年は、恐らく560万とちょっとの額にまで下がってしまうことだろう。ここまで公務員との給与の差が開いていると、絶対アイツら、ウラで何かやってるよな、と邪推したくはなる。 バブルのころは一般サラリーマンにとっても700万なんて、屁でもない額だったと思う。40代で年収1千万、2千万なんてのは普通に聞いていたし、私もいつかはそんな風に余裕のある生活ができるかと何となく夢見てもいた。酒もタバコもやらないし、ちょっとばかし本やDVDにゼニ注ぎこんでも(ちょっとか?)、まとまった貯金がある程度は作れようと計算していたのである。結果は全く、とんだ取らぬタヌキであった。 安月給を嘆いたところで、実際客が減ってんだから仕方がないし、私は上見て暮らすのも下見て暮らすのも性に合わない。楽じゃないって言ってもローンに追われたり夜逃げするほどではなし、誰かを羨んだりするのはただのヒガミで、不遜というものだ。 ……とりあえず今度の冬のボーナスはあまり使わずに取っておくことにしよう(^_^;)。
今日から始まった“実写版”『美少女戦士セーラームーン』。ちゃんと早起きして見る(^o^)。 昔、アニメが始まった時にはもうそのぶっ飛んだセンスにのけぞっちゃったものだが(と言うより、最初は『スケバン刑事』ファンタジー版にしか見えなかった)、こいつがギャグではなく大マジメであることにまたビックラこいて、更には慣れた(^_^;)。で、今回の実写版であるが、アニメが終了した後も、ミュージカル版が定期的に公演され続けていてCMなどを何度となく目にしていたこともあって、金髪だの青髪だのってカツラにも、あんなコスチュームじゃかえって動きにくいんじゃないかって点にも、今や全く違和感を感じなくなっている自分がテレビの前にいたのである。 脚本は、平成『サイボーグ009』ヨミ編の小林靖子。原作の味を損なわない程度の適度なアレンジは『セーラー』についても如何なく発揮されていて、ルナが猫のヌイグルミ、という設定などは実写とアニメの架け橋としてはなかなかうまい発想である。もっともこれが小林さんの発案なのかどうかはわからないが。
ある日、中学2年生の月野うさぎ(沢井美優)は、登校中に、額に三日月マークのある猫のヌイグルミがどこからともなく落ちてきたのを見つける。うさぎは不思議に思うが、その場はそのまま通り過ぎてしまう。しかしその夜、そのヌイグルミはうさぎの枕元に現れて「ルナ(声・藩恵子)」と名乗った。ルナは、うさぎが実は月のプリンセスを守る戦士「セーラームーン」で、悪の組織「ダーク・キングダム」と戦う使命があるのだと伝える。 そしてダークキングダムの女王、クイン・ベリル(杉本彩)は、配下の一人・ジェダイト(増尾遵)を地上に送りこみ、新作ジュエリー発表会の会場に集まる人々からエナジーを奪い取ろうとしていた。ジェダイトが操る妖魔は、その発表会の主宰者で、うさぎの親友・大阪なる(河辺千恵子)の母親(渡辺典子)に取り憑き、体を乗っ取った。凶暴化し、なるに襲いかかるお母さん。 月の戦士であることに目覚めたうさぎは、会場へ向かい、ルナから渡された携帯アイテムでセーラームーンにメイクアップ(変身)。見事に妖魔を倒し、なるとお母さんを救う。ところが油断したうさぎにジェダイトが襲いかかる。そこに突然颯爽と現れて彼女を助けたのは、謎の人物、タキシード仮面(渋江譲二)だった……。
原作の方でもアニメの方でも、セーラー戦士中、一番人気は亜美ちゃんだったから、月野うさぎを演じることは、役者としてはちょっと損なのである。役柄を考えてみても、ドジだしワガママだしそのくせ実はヒロインで守ってもらえるし、憧れるファンもいる反面、「何であの程度の子が?」なんて反感持つファンも多い。更に、実体を持ってると、もともと「月野うさぎ」というキャラクターのファンですら「うさぎちゃんのイメージと違う!」なんて、気持ちはわからんでもないが、明らかに自我肥大かつ成長不全な文句をつけるヤツも出てくる可能性がある。下手すりゃ一昔前の悠木奈江みたく、「四面楚歌」って感じにもなりかねないので、あまりひど過ぎる演技になってなきゃいいけど、とか勝手に心配していた。 実際に見たところ、演技経験はあまりないようだが(まだ15歳だし、グラビアアイドルから始めてるみたいだから当然か)、ともかく元気なのがいい。さほど臭みがないので、これならあまり嫌われずにすむのではないか。 ゲストが渡辺典子だったり(ついにお母さん役を演じるようになったんだなあ)、桜田春菜先生役が大寶智子だったり、脇をベテランでしっかり固めてるあたり、ちゃんと若いヒロインたちを育てていこうという姿勢は基本的にありはすると思うのである。つーか、東映、今までが自分とこのヒロインを大事にしなさ過ぎてるからなあ。もう少しヒロインが引き立つ脚本家だったらとか、もちっと魅力的に撮れよ監督とか、スタッフの力不足によるところが大きいんだけど、最近は随分改善されてきてるから期待したいんだけどね。弱肉強食の世界ったって、ちゃんとエサやりゃ共食いする必要もないんだから、ハタチ過ぎるころまでに「演技のできる」女優さんたちに育てなさいよ、ぜひ。
CS日本映画専門チャンネルで、『A』を見る。 監督は『放送禁止歌』の著者でもある森達也。 例のオウム真理教事件のドキュメンタリーだけれど、事件関係者が殆ど逮捕されたあとなものだから、危険な雰囲気が殆どない。むしろオウムを糾弾しようとする市井の人々の方がヒステリックで狂気じみて見える。 実際、オウムの「狂気」などは人間なら誰にでも介在するもので、躍起になって否定するのはおかしいのである。事件当時、やたら「理解不能」を口走る識者は数多かったが、シンパシーを少しでも感じたら糾弾の矛先がすかさず自分に向くことを恐れて保身を図ったとしか思えない。山崎哲みたいに犯罪自体を擁護するように聞こえる言質を弄するつもりはないが、私は事件の真相が一枚一枚剥がされるたびに、「この程度の犯罪だったのか」という印象が強くなっていて、世間が騒然とするほどの大事件とは思えなくなってしまっている。 いや、大事件は大事件なのだが、犯人たちが自分たちのやってることの重大さに気づいてない、ひどく発育不全なメンタリティしか持ってないってことに対して、「幼稚な犯罪」と呼びたいのである。事件当時も空気清浄機に「コスモクリーナー」って名付けてた時点で、「こいつらただのバカだ」としか思えなくなっちゃったからなあ。 つまり、世間がオウムを叩いてしまうのは、自分の中から消えることのない「幼児性」を刺激されてしまうからで、理性のタガが外れりゃ、普通の人だって規模は小さいにしてもオウム的な犯罪はやってしまうものなのだ。それを認めたくないから叩く。みんなで叩けばそれは「正義」となる。どんなにヒステリックに叫ぼうと、誰もそれを止めなくなる。これって、まんまイジメが横行する心理構造の一つ(イジメてる方はそれが「正義」と信じこんでいる)に当てはまってるのだけれど、どう思いますかね。言っとくが、この「イジメ」の心理は事実として相手が罪を犯しているかいないかってこととは関係ないのだよ。関東大震災の時の朝鮮人虐殺の心理もこれと同じなんだから。 だいたい識者も何か事件が起こるたびに「前代未聞」「理解不能」「空想と現実の区別がつかない」と常套句を繰り返すが、これだけ事件が頻発していて、未だに犯罪者の心理についてそんな浅いことしか言えないのなら、オウムなみにただのバカとなじられても仕方なかろう。想像力が欠如してる人間に評論家とか心理学者なんかやらせとくなよ。 このドキュメンタリーは、オウムに密着取材していながら、その周辺の「普通の人々」の内包する狂気をも反作用的に描出することに成功している。それはつまり「私たち」もまた「狂っている」という「事実」の指摘だ。狂気から脱却してコミュニケーションを行うためにはまずその事実を認めたところから始めるしかないんだけれど、世の中みんな「狂気」の中に閉じこもっていたい人ばかりだからねえ。これからも何か事件が起きるたびに、人は「信じられない」とか「あんな残虐なヤツと自分は違う」とか、「自分だけ」の妄想の中に「みんなで」入りこんで安心するのだろう。そうして「共同幻想」はあたかも事実である歌のように培われ、流布していく。でもそれって「幼稚な犯罪」を擁護し、育てていることと同じなんだけどね。
マンガ、はやみねかおる原作・やまさきもへじ漫画『少年名探偵 虹北恭助の冒険 高校編』(講談社/マガジンZKC DX・500円)。 はやみねさんの『虹北商店街』シリーズのマンガ化だけれど、既に発表されている原作をそのままマンガにしたのではなく、ちゃんと小説版の続きになっていて、しかも今のところこれがシリーズの「完結編」的な趣きになっている(今後も新作長編が発表される予定だが、それはこの『高校編』よりも時間的には前に起こった出来事という設定)。 小説は読むけどマンガは読まない、という人も(世の中にはそういう奇特な方もいるのである)、これだけは読まねばなるまい(もっともこのマンガもノベライゼーションされてるそうだが)。 作画を担当したのは、当然、講談社ノベルス版のイラストも描いてるやまさきさん。挿絵の方ではさほど気にならなかったけれど、この人の絵、時々ことぶきつかさなみに歪むねえ(^_^;)。でもそのせいもあるのか、キャラクターがみんな小説版の三倍増しで色っぽくなってるね。小説版のときは小学生・中学生だからマンガ版より色っぽくても困ろうが。 『虹北ミステリー商店街』『幽霊ストーカー』『江戸川乱歩賞と暗号』『人消し城伝説』『Good Night, And Have A Nice Dream』の6話を収録。 どれもミステリとしてよりも、恭助の飄々としたキャラクターで読ませるエピソードが多い。彼は天才過ぎて(^o^)、ポアロや金田一耕助みたいにしょっちゅう推理を間違って読者を右往左往させてはくれないのである。だもんで、あまり「動き」がない。そこでヒロインの野村響子ちゃんがやたら事件に巻きこまれるというカワイソウな目に遭うのだけれど、今巻ではそれに加えて、自称・恭助のライバル(サーペントのナーガかい)沢田京太郎が程よく事件を香ばしくしてくれている。大金持ちで尊大、自意識過剰ってキャラはちょっとベタ過ぎって気はするけれども。 フランス人、ミリリットル真衛門と妹の美恵留、どうやら次に上梓される「フランス編」で先に登場しているらしいけれど、真衛門はまんま『一休さん』の蜷川新右衛門的キャラクターである。ロリコンには激萌えであろう(^o^)美絵留も、響子と恋の鞘当てを演じるのは定番で、意外性がない。けれど、定番だからこそ、もっとじっくりといくつものエピソードを重ねて、ドラマに深みを持たせてほしかったと思う。たった1巻ではやっぱり物足りないのである。 毎回、恭助と響子の淡い恋心がすれ違うようなってな展開はちょっと気恥ずかしいし、トリックはミステリとしても初歩的で、読み応えはあまりないけれど、動機不在、無意味な暗号、無理な殺人事件が毎回起こるような某ミステリマンガに比べりゃはるかにマシである。小学生に読ませるならこっちのほうがずっといいと思うが、はやみねさん、週刊誌連載用の原作までは書いてくれないだろうなあ。
マンガ、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』6巻(講談社/講談社コミックスキス・410円)。 もう6巻まで読んでると思ってて、読み返そうとふと手に取ってみたらまだ読んでなかった。最近こういうことが増えている。昔読んだ本を読み返したり映画を見たり、こうして日記をつけたりするのも、ある意味ボケとの戦いみたいなものだが、ムリに戦わずに自然にボケに任せるのもいいかとも思い、でもあまりボケすぎて老後あちこちに迷惑掛けるよりはその前にポックリいきたいとも思い、なんか複雑である。どっちにしろ人は望むとおりの死を迎えることはできないと誰ぞが言うとったがその通りであろう。
6巻まで来て、のだめももう4年生。のほほんと続いているだけに見える(失礼)このマンガも、ちゃんと時間が経っていたのだねえ。 物語展開自体は実は結構ハードなのである。その才能が少しずつ世間に知られ始め、注目されるようになる千秋真一。指揮者への夢は捨て切れず、しかし進学するのはピアノ科。海外留学も飛行機恐怖症のために不可能。千秋の実家の複雑な人間関係も明かされる。 けれどやっぱり印象に残るのは登場するヘンな人々の群像。何と言っても新登場の音楽評論家、ポエム喋りの佐久間学の存在感が圧倒的だ。 「この大海原のはるかポセイドンが司る黄金の島に眠った高貴なる芸術の至宝がきみに微笑みかけている ああなぜきみは漕ぎ出さんとしない? 今まさに神に愛された楽聖の航海は始まらんとしているのに……!」 ……まあ、実際こういう文章を衒いもなく書ける人はいるわけである。もちろんそういう人には世間の偏見と立派に戦ってマイ・ウェイを突き進んで頂きたいのだが、頼むから私の近くには寄って来ないでほしいのである。「この詩、どう思いますか?」とか言って。 いやまあ私の個人的な事情はどうでもいいのであるが、この詩を考えたの、作者の二ノ宮さんではなくて担当の編集さんだそうな。いい編集さんだなあ(^o^)。 千秋とのだめが演奏するエドワード・エルガーの“sonata for Violin and Piano in E minor, Op82”、どんな曲か知らなかったので(と言ってもエルガーの曲って『威風堂々』くらいしか知らないが)、CD版『のだめカンタービレ』に収録されているかと思ってアマゾンコムで調べてみたが、残念ながら未収録とのこと。このCD、レビューでは「寄せ集め」とか貶されているけど、シロウトには寄せ集めの方がありがたいのである。なんたって何から聞きゃいいかわからないからね。
2002年10月04日(金) 前日の嵐/DVD『あずまんが大王【1年生】』/『HUNTER×HUNTER』15巻(冨樫義博) 2001年10月04日(木) 新番第3弾……いつまで続くのよ/『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第1話ほか 2000年10月04日(水) 止まる息とふらつく自転車とドロドロと/『本気のしるし』1巻(星里もちる)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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