無責任賛歌
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2003年09月30日(火) |
映画の栄華/『ロン先生の虫眼鏡』1巻(光瀬龍・加藤唯史) |
中洲の映画館、「福岡東映」が本日で閉館。 まだ大洋劇場(洋画系)にオークラ劇場(成人向け)が残ってはいるものの、中洲はもう完全に映画の町ではなくなってしまった。東宝も松竹も東映も日活も大映も、かつての五社時代の映画をかける小屋はもはや一軒もない。 「福岡東映」が、起死回生を賭けて全館リニューアルを断行したのは1994年のこと、早速私も見に行ったのだが、周囲を客寄せのつもりかゲーセンと飲食店でゴテゴテと固めて、肝心の映画館は狭い通路を地下にもぐって行かねばならず、何より音響がリニューアルとは名ばかり、昔ながらのスピーカーを舞台の両端に置いただけのオソマツなもの、音は割れててセリフは聞こえづらいという、映画館としては最低の評価を与えるしか仕方のないところであった。 私が最後に「福岡東映」に行ったのは『エヴァ/シト新生』のときだったが、やはり音が割れてシンジがブツブツ呟いているところなどは何を喋っているかがサッパリわからず、業を煮やしてキャナルシティで同じ映画を見直したところが、あれだけくぐもって聞こえていたセリフが、今度はバッチリ聞こえたのであった。これには驚くというよりは呆れ果ててしまった。 設備のどこにカネをかけるべきかが分かっているところとそうでないところとの差がハッキリ分かれていて、こりゃ東映も長くないなと思ったものである。結局、10年は持たなかった。映画館がなくなったあと、あそこは改装されて別の何かになるのだろう。でもどうせ周囲に合わせて呑み屋かチャラチャラした遊戯施設の類になってしまうのに違いない。
映画館が一つなくなるというのは、普通なら淋しい思いをするものだが、中洲の映画館の場合はそれも仕方がない、という思いをするところが多かった。 あまり詳しくは語れないのだが、仕事上、中洲の映画館の方々と何度か交流を持ったことがある。正直な話、あまり嬉しくない目にあったことも多かった。ともかく態度が横柄で契約は曖昧、話がとんとビジネスライクにいかないのである。逆に、キャナルシティのAMCに伺ったときは、その対応が中洲の映画館とうって変わって要点は明確、実にトントン拍子に話が進んで行ったのである。あのときは外資系の企業に、古臭い日本の興行主が勝てないのは当然だと思ったものであった。 戦後の博多の復興に、中洲が貢献したことは事実である。けれど、あたかも闇市をそのまま大きくしたような形で中洲を発展させてしまったことは、博多に大きな禍根を残した結果になった。もういっぺん更地にして一から立て直した方がよかないかって気もしてくるのである。
朝は早出で夜は残業。合間の休みは全くなし。代理の仕事も入って、息つくヒマもありゃしない。死ねというのかチトトンシャン♪ だから指の利かない人間に指を酷使させるなよう(T∇T)。 まあ泣き言ばっか言ってるワケにもいかないので頑張りはしたんだけどさ、こういう時に限って、間違い電話とかが携帯にかかって来るのな。私の携帯は殆どしげとのやりとりでしか使ってないので、昼日中に掛かってくるのは99%間違い電話である。で、実際、ちょっと応対する時間すらないので、もう問答無用で切る。これで諦めるかと思ったら、しつこく掛かってくる。仕方がないので電源自体切る。ところがあとで電源入れたら、何度も入れてるのだ。そのくせメッセージは全くない。どこのどいつかと思って、仕事が引けてようやく電話をかけてみたらやっぱり間違い電話だった。気付けよって(-_-;)。 それとももしかして、誰ぞへのサラ金の取り立てかなんかだったのか?
バスの本数が少なくなったので、またタクシーで帰る。 晩飯はコンビニのオニギリ。体重が落ちかけてきてるので、あまり暴食はしないようにという配慮である。
福岡ダイエーホークス優勝の瞬間をBSで見る。とは言え特に感動はナシ。 大阪対博多、ってのはプロ野球史上でもほぼ初めてなんじゃないかな? 西鉄ライオンズ時代の相手は確か全部巨人が相手だったような。 大阪、博多、どちらも太閤秀吉が開いた商人の町という共通項があり、住んでる人の気質も似通ってる面が多い。かと言って仲がいいとも言い切れないところが微妙なところだ。松竹新喜劇や吉本新喜劇が好きで、小学校の頃、クラスにちょっと面白いことを言うヤツがいたら、先生や友達からすぐ「お前、吉本に入れ」と言われてしまう風俗まで大阪・博多と共通しているクセに(私も昔はよく言われた)、博多人は大阪弁を生で聞くのは耳障り、と感じているところがある。生の人間同士だと、やはりライバル意識が芽生えるせいなのか。 野球そのものより、スタンドのファン同士の熱狂合戦の方が面白くなるかもしれない。
チャンネルをいろいろ回してみると、福岡だけでなく、小倉でも大歓喜の様子が中継されている。まあ、みんなでお祭り騒ぎができること自体はいいこった。 例の「飛びこみ」も、多分あっちこっちであってるんだろうが、その様子を中継している局は一つもない。実際の飛びこみ映像を放送することで、マネをして飛びこむ馬鹿がこれ以上増えたりしないないように、という配慮だろう。 興味本意・野次馬根性の権化なテレビ局が、珍しくも良識的な判断をしたものだが、世間からの批判が強まったための腰砕け的な措置であることは分かりきってるので、あまり誉めてやる気にもならない。死者が出なきゃ、今日だって喜び勇んで撮影してたに決まっているのだ。 テレビ局も、その程度の常識的な判断ができるのなら、日頃からも少し報道の仕方を考えとけよ、と言いたい。 何にせよ、「飛びこみ者は報道の価値ナシ」、という判断がされたわけだ。「下の人などいない!」というのと同じことで、「飛びこみ者などいない!」ってことになったわけである。存在を消されるほどに世の中から迷惑がられてるってことなんだよ? 周囲の人間も気がついてるなら当人に言ってやんなよ。
マンガ、光瀬龍作・加藤唯史画『ロン先生の虫眼鏡』1巻(秋田文庫・690円)。 加藤唯史のマンガを最初に読んだのは『少年ジャンプ』の『サテライトの虹』だったので、当時の私の中では加藤さんは「かわいい女の子を上手く描ける人」という印象だった。でも時代はまだラブコメブームが来るにはほど遠く、「バックステージものは当たらない」というジンクスも手伝ってか、『サテライト』は単行本でわずか2巻で終わってしまった。しかもジャンプコミックスでは出してもらえず、落穂拾い的な作品が多かったジャンプ・スーパー・コミックスの方でである。表面的な人気だけでしか作品価値を判断できないジャンプシステムの中では、加藤さんはこのまま消えて行ってもおかしくはなかったかもしれない。 ところが加藤さんは、いきなり活躍の場を『少年チャンピオン』に移して、「昆虫・動物マンガ」を描き始めた。画力のある人だから、そういう分野もソツなくこなしていたが、その転身ぶりがあまりに極端だったものものだから、当時はかなり驚いたものである。しかも原作者が、あの光瀬龍と来たもんだ(ロン先生が光瀬龍自身だということに気付くのにはちょっと時間がかかったが)。驚きは二重三重である。 マンガとして見た場合、ウンチク的要素の強い本作は地味で、全盛を誇っていた頃の『チャンピオン』の中ではかなり損をして見られていたと思う。連載も巻末ページに近いことが多かったし、カラーになったことも殆どなかったのではないか。本書のあとがきでも、「チャンピオンの良心」と呼ばれながらも人気がなかったことを加藤さんが述懐されている。 けれど、文庫による再刊ラッシュの中にあって、本作の復活は嬉しいものの一つだろう。
2002年09月30日(月) 今時の格闘オタク/アニメ『天地無用! GXP』第1話/『Heaven?』4巻(佐々木倫子)ほか 2001年09月30日(日) 新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか 2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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