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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2004年05月25日(火) --

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☆猫好きがほっとする広告。

ホームセンターにかけこんで用事をすませ、 出がけに持ってきた『毎日ペット新聞』(2004春号) といっても日刊紙ではない。 あの毎日新聞が出しているペット新聞だった。 季刊らしいけど、初めて見る。 『バンビーニ』というのがこの新聞の名前らしいが、 どう見ても『毎日ペット新聞』なのがほほえましい。

まあ、犬猫鳥うさなど、いろんな情報が詰まっていて、 それを読むのも楽しいのだけど、 なんといっても圧巻は、最終面の広告だろう。 猫のごはん屋さん、カルカンの全面広告だ。

若い女性の住んでいるらしい部屋が写っていて、 カーペットの上にはアメショーのよっちゃん(憶測)が 寝そべっている。 この子はなかなか、部屋を荒らしそうな風貌(偏見)。

このSOHOっぽいオシャレな部屋のあちこちに、 それらの家具やパーツが猫にとって何を意味するのかが 書いてある。

面白いので全部書いてしまおう。

☆カーテンは、登り木。(うちのもやるんだ〜) ☆カーテンの上は、渡り廊下。(うちのも〜) ☆窓のブラインドは、弦楽器。(うちにはないけどあればそうなる) ☆電話機は、打楽器。(今日も何回か通話中に切られた) ☆窓は、玄関。(そーなんです) ☆書棚のてっぺんは、ペントハウス。(好きなんです高いところ) ☆書棚の途中の開いたスペースは、個室。(うちにはないが) ☆ラタンのゴミかごは、ツメ研ぎ。(牙もとげるよ) ☆デロンギのヒーター前の小さいクッションは、SS席。(まったくだ) ☆ゴムボールは、フィットネスマシーン。(買ってやろうかしら) ☆ソファーの下は、秘密基地。(うちはベッドの下ね) ☆パソコンは、ホットカーペット。(このごろ特にそう。電磁波を腹で甘受) ☆そして、飼い主のひざは、ソファー。(文句なし)

あーあ、猫って。 いい生活してるよね。

キャッチコピーは小さく下の方に入ってる。 「人とネコ。ものの見方は違っても、一緒に暮らしてる。」

そうです。まったくもって、そうなので。 ああ、ネコになりたい。 (マーズ)


お天気猫や

-- 2004年05月19日(水) --

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『しゃばけ』

☆妖怪も、いろいろ。

最近、「妖怪」づいている。 今年になって、やっと遅まきながら『巷説百物語』を 「続」も「後」も含めて、三冊読み終わった。 もともとが、妖怪好きだったので、その後もぼつぼつと、 合間合間に、某かの「妖怪」ものを読んでいる。

漫画ではあるが、先日の今市子さんの『百鬼夜行抄』は しんみりと、恐ろしかった。 その時合わせて買って読んだ、波津彬子さんの『雨柳堂夢咄』も、 同じように妖が現れる物語ではあったけれど、全体的に艶っぽくて ロマンティックな感じだった。 その勢いで、見つけた「妖怪」ものが、この『しゃばけ』。

舞台は江戸時代。 暇があればしょっちゅう死にかけているくらい病弱な大店の若旦那と、 とにかく一が若だんなで二から先がないくらい、 若だんな大事の忠節な妖怪・犬神と白沢 (普段は手代に化けている)の推理帖。

軽妙でユーモラスなお話で、スイスイ読み進む。 優しく人情味あふれる若だんなに、頼もしくも微妙にずれている お目付役の妖怪犬神・白沢。 若だんなの目にしか見えないけれど、家中そここに潜む鳴家(やなり)。 年を経た古道具は、付喪神に姿を変え、体の弱い若だんなの 格好の遊び相手である。 そんな若だんなの前で通り魔事件が。 口うるさい犬神や白沢からは事件に関わるなと釘を刺されるが、 やがてその危険が若だんなにも迫ってくる…

ほのぼのなごみ系の妖怪もので、『百鬼夜行抄』で恐ろしい 思いをしたのもすっかり忘れ、人ならぬ仲間というのも これまたいいなあと気持ちよく読み終わった。 まあ、推理ものとしてはぬるめだろうけど、疲れている時に、 ぱらぱらと楽しくめくれる本。 しかし。 続編の『ぬしさまへ』(2003年5月刊)も好評のようだが、 するする読める面白い本というのは、その反面、 ハードカバーで買うには、ちょっと手が出づらい感じもあって、 読みたいんだけど、できれば文庫本で読みたいなあと、 迷っている(まだまだ先だろうけど…)。 (シィアル)


『しゃばけ』著者:畠中 恵 / 出版社:新潮文庫2004

2003年05月19日(月) 『裏切りの刃』

お天気猫や

-- 2004年05月18日(火) --

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『誘惑の湖』

前回の『ダンカンの花嫁』で モンタナの牧場へ嫁いだマデリンの継兄、 こういう話にうってつけのキャラクター、 ロバート・キャノンのロマンス。 (アメリカでの発表は1994年)

心の奥へ誰も立ち入らせないロバートが ついに出会った運命の女性、エヴィー・ショー。 エヴィーは10代で新婚の夫を亡くし、未亡人として ずっと独りを通してきた。 アラバマ州ハンツビル、避暑地の湖。 エヴィーの仕事は、ボート小屋の管理人。 生活は苦しかったけれど、 昔なじみの人々に囲まれた平和な日々。

そこへ突然ニューヨークからあらわれたロバートが、 すべてを変えてしまった。 実はロバートがエヴィーに機密漏洩の嫌疑を かけて近づいたことを、当然ながらエヴィーは知らない。 とはいえ、危険な人物だということだけは、直感している。

『愛なき誘惑』というサブタイトルがついているように、 『ダンカンの花嫁』と同様に、リース・ダンカンも ロバート・キャノンも、最初から愛を自覚していたわけではない。 しかし・・・というストーリー。

ロバートとエヴィーが親しくなってゆく 課程は、夜更けに疲れた頭で読んだせいだけでは ないと思うが、じわっときてしまった。 大切なものを一度失ったら、二度は失うまいと 誰もが決意するのだ。

ラスト近くでは、子どもが二人になったマデリンの家庭も 登場するように、この2冊はいわば姉妹編である。 愛のない誘惑にさらされたマデリン、 そして次にはロバートが誘う立場に。 と考えれば、姉妹というより兄妹編か。

好みからいうと、私はロバートタイプなのだが、 リース・ダンカンみたいなタイプは、 日本にはまずいないだろうなあ、と。 まあ、そういう意味ではロバートみたいな人も いないわけなので、同じか、と どうでもいいことに考えをめぐらしている。 (マーズ)


『誘惑の湖』著者:リンダ・ハワード / 訳:新井ひろみ / 出版社:ハーレクイン2004

2001年05月18日(金) 『大統領とメディア』

お天気猫や

-- 2004年05月13日(木) --

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『ダンカンの花嫁』

ニューヨークで働くOLマデリン・パターソンは、 とある花嫁募集広告を見たのがきっかけで、 リース・ダンカンという男性に会うため、 モンタナ州中部の牧場へ出かける。

勤め先の社長、つまり継兄のロバートには反対されたが、 ほとんど即決でリース・ダンカンと結婚したマデリン。 過去をすべて精算するのに2週間、そして引っ越し。 まさにあっぱれな決断力。 いわゆる美人というのではないが、何をするにも 汗ひとつかかず優雅に手早くこなせて、声が素敵で、 脚の格好が抜群という28歳である。

一方リースは30代後半。別れた妻との泥仕合に消耗し、 過酷な農場経営にも疲弊している。 結婚に特別な愛情は必要ないと割り切って、 家系を継ぐ子どもを求めて結婚する。 しかも、結婚するとはいっても、元妻に財産を 根こそぎ持って行かれたため、貧乏なことこの上ない。

お互いに強烈な引力を感じて結婚したマデリンと ダンカンだが、結婚後の二人は当然ながら、運命に試される。 リンダのロマンスは一部を除いて結婚までの物語が多いが、 本書の場合は、その一部ということで、 強烈な個性の二人が、結婚後、我を通しつつも、相手を認め合える パートナーとなってゆく課程が醍醐味となっている。

そしてこれは、いつものリンダらしいお約束。 パートナーの身内、たとえば今回はマデリンの兄 ロバートと、リースの関係が、さりげなくきちんと 収まっていること。 ヒロインには、ちゃんとした同性の友人がいること。

強烈すぎるダンカンのオーラにめまいを感じながらも、 いつものリンダらしさにほっとするのだった。 (マーズ)


『ダンカンの花嫁』著者:リンダ・ハワード / 訳:平江まゆみ / 出版社:ハーレクイン2004

2003年05月13日(火) 『こころ晴れ晴れ ほっこり曜日』
2002年05月13日(月) 『ニューヨークの恋人』

お天気猫や

-- 2004年05月10日(月) --

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『新版 指輪物語3旅の仲間(下1)』

文庫の第3巻で登場するのは、美しい人たちが多い。 裂け谷の領主で半エルフのエルロンド。 その娘で、絶世の美女アルウェン。 エルフ王スランドゥイルの王子で弓の名手、レゴラス。 ゴンドールの執政の息子、ボロミア。 美しくはないが(笑)、ドワーフのギムリ。 こうして、旅の仲間が集まってゆく。

エルロンドの館に逃げ込んだフロドや 馳夫(アラゴルン)たちの一行を交えて、会議が開かれる。 ガンダルフも到着していた。 この恐ろしい指輪をどうするのか、誰が捨てにゆくのか、 それとも捨てずに持っているべきなのか、会議の展開は、 現実の世界でもかくあってほしいと思わされる。

一つの指輪は、すべてを統べ、一つの指輪は、すべてを見つけ、 一つの指輪は、すべてを捕えて、くらやみのなかにつなぎとめる。 (引用)

そして、フロドはとうとう申し出る。 「わたしが行きます」と。

エルロンドは言う。

「しかし、世界の歯車を動かしてきた功業は、 しばしばこのような課程をたどるものよ。 大いなる者の目がよそを向いている時、小なる者の手が、 やむにやまれずして、それをなし遂げるのだ。」 (引用)

指輪の使命を帯びるのは人間の英雄ではなく、 美しいエルフでもなく、魔法使いでもなく、 子どものような背丈のホビット族であった。 食べること、歌うことに人生の楽しみを見る、 平和な村の、小さな人々。 そのことに、全員が納得したのだ。

裂け谷を出発した一行は、吹雪のなかを迷走し、 赤角口と呼ばれる山道からの山越えをあきらめ、 別の道、つまりモリアの壁をくぐり、ドワーフの地下坑道、 まっくらな世界へと入ってゆく。

ドワーフたちの栄華はすでになく、 どんな魔物が棲むかわからない、暗闇のなかに。

かつてフロドの身内のビルボも経験した、あの暗闇。 でも、ここには仲間が一緒にいる。 ビルボのように、いつのまにか独りにはされない。 その明かりを頼りに、安心しながら読み進む。 (マーズ)


『新版 指輪物語3 旅の仲間(下1)』 著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社1992

2002年05月10日(金) ☆リンダ・ハワード・リーディング(その4)
2001年05月10日(木) 『ものがたりの余白─エンデが最後に話したこと─』

お天気猫や

-- 2004年05月07日(金) --

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『百鬼夜行抄』

☆読めば読むほど、怖ろしい。

私は、霊感が強い、というタイプではない(と思う)。 それでも、折節、ささやかではあるけれど、 不思議なことを体験している。 子どもの頃、祖父の死を知らせる正夢を見たり、 大好きだった祖母の死に際しては、「虫の知らせなる」ものを 経験した。まあ、それはストレスからであると、今では、 わかってはいるが、就職した頃しばらく、金縛りに悩まされた。 ただし、カンがいいというのは、いいこともあって、 ほんとうに些細なことだが、スーパーの福引きで、 特賞を三本続けて引いたり(でも、景品はボールセット)、 ごくたまに、びびびっときて、「この懸賞は当たる」という 確固たる予感の下、一人二人にしか当たらないような商品が 当たったこともあるにはある。 しかし、幸いにして、この世ならざるものを見たことは、 未だ無い(と思う)。

主人公の少年飯島律は霊力が強く、妖魔や悪鬼の類が 見えてしまい、あちらの世界との間のさまざまなやっかい ごとに巻き込まれてしまう。 人間の思惑とは関係なく存在する悪鬼もあれば、 人の憎しみや悲しみ、愛情が、深すぎる故に、 あやかし、妖魔へと変貌してしまったものもある。 そういう人にあらざるもの、あるいはかつて人だったもの との身も凍るような怖ろしい対峙が、 随所にユーモアを散りばめながらも、 やはり、心底ぞっとする怪談として描かれている。 ただ、ほんとうにぞっとする怖ろしい物語であっても、 その怪異の発端は、「情」からであるから、 そういう風にならざるを得なかった、哀しみ、哀切を感じる。 私の怖いのは、怪異そのものではなく、 そういうものを招いてしまう、人の「情」というものが、 つまりは、人というものの「業」が怖ろしいのかもしれない。

この漫画は、考えてみると、数年来、気になりながらも、 なかなか買うまでに踏み切れなかった。 先日やっと、連休の暇つぶしにと、試しに1冊買ったら、 一挙にはまってしまい、翌日、文庫シリーズの残り6冊を 全部買ってしまった。 自慢ではないが、私は本を読むのも速いし、 漫画を読むのも異様に速い。 けれど、この漫画、内容が濃いので、さくさくと読んで いるつもりでも、なかなか読み終わることができない。 面白くて、次の話、その次の話と、次々に物語が気になるから、 どうしても、途中でやめておくことができない。 はっと気づくと、真夜中になり、最終巻(6巻目)も、 あと2話で終わりというところまできて、その物語の 怖いの何の。全部話は読みたい、でも怖くて結末が開けな い、そんなジレンマの中、ふっと時計を見ると、 まさに、丑三つ時。 結局、最後は2話とも、結末の2-3ページを飛ばして 慌てて本を閉じ、翌日日が高くなってから、 その怖いページを開いたのですが。 昼間でも、背筋がスーッと、寒くなるような、 そんな怖さでした。 (「マヨイガ」「骨の果実」/ 第6巻)

夢中になって最初読んでいたときには、 怖さの中に光る、ユーモラスな描写がとても面白かった。 一読目は怖かったとはいっても、割にライトな読後感であったけれど、 読み返せば、読み返すほどに、読後の思いが重くなり、 読めば、読むほど、どんどん怖ろしくなっていく。 恐怖を語るのに、「怖い」だの「怖ろしい」だのと連呼して、 その繰り返しというのは、芸がないとは思うけれど、 芯から怖がっているので、そうとしか言いようがない。

1巻の「人喰いの庭」の、人喰いのヴィジュアルが、 私は猛烈に怖かった。けれど、ストーリーは哀しく、 何となく理不尽を感じつつも、読後感がいいので、 私にとってはもっとも印象的な物語でもある。 これを読んで、『百鬼夜行抄』の続きをもっともっと読みたいと、 そう思うほど、惹きつけられた。

心底怖ろしい物語だけでなく、 軽妙で、わりとハートウォーミングな物語まで、 じっくり楽しめると思います。

私の怖かったエピソード BEST 3  
NO.1「マヨイガ」(油断すると夢でうなされそうで怖い)  
NO.2「骨の果実」(想像するだけでじわじわと怖い)  
NO.3「人喰いの庭」(シンプルなヴィジュアルがしみじみ怖い)


『百鬼夜行抄』 著者:今市子 / 出版社:朝日ソノラマ

2002年05月07日(火) ☆リンダ・ハワード・リーディング(その1)
2001年05月07日(月) 『知の編集術』

お天気猫や

-- 2004年05月06日(木) --

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『十月のみずうみ』と『あのころはフリードリヒがいた』

原題は『The Blue Hill Medeows』 シンシア・ライラントらしい、 おだやかで細やかに過ぎてゆく時間。 平和に満ちてあたたかな往来が、メドウ家の 男の子、ウィリーのまなざしで語られる。

ウィリーの家に捨て犬が拾われ、 子犬を産み、大事にされる。 だれも、「もといたところにおいてきなさい」と言わない。 お兄さんもいるけれど、お父さんとウィリー、 二人だけで行った釣りの楽しさ。 吹雪の帰り道、大好きな先生の家に避難させて もらったこと。 お母さんのためのプレゼント。 一年は、そうしてめぐる。

人が人を大切にすること。 誰かが網からこぼれていかないよう、思いやること。 それが自然ななりゆきであるように、 一家の名前、メドウ(牧草地)のように、 太陽と水と土によって草がたゆまず生えるように、 自分たちのまわりにあってほしいと、 この小さな本は願っているのだろう。

その後すぐ、ナチに迫害されるユダヤ人家族と ドイツ人家族それぞれの少年たちを描いた 『あのころはフリードリヒがいた』を読んだ。 こちらも、ドイツ人の少年「ぼく」が主体となって、 悪化してゆくユダヤ人排斥を、淡々と描いている。 だからいっそう、ヴァージニア州ブルーヒルの町が 楽園のように感じられるのだ。

もし、生きる権利を奪われていったあの フリードリヒの家族が、もっと前にアメリカへ 逃げてきていたら。そうしたら、ブルーヒルのような町で 貧しくはあっても、平和でつつましい生活を送ることが できたかもしれない。 そんなことを思っても、しょうがないのはわかっていても。 逃げるということも、とどまるということも、 どちらも勇気のいることだけれど。

ブルーヒルのような平和な町にだって、 いつか恐怖がしのびよることも、 絶対にないとは言えないし、 そうなったとき、一個人に何ができるのかは 最近の世の中を見ていても、不安は去らない。 ただ、あの時代と同じ悪夢を繰り返さないために、 何かができるとすれば、それは大きな単位ではなく、 頂点を持たないごく小さな単位のつながりだろうと、 今は思うことにしている。

『あのころはフリードリヒがいた』

(マーズ)


『十月のみずうみ』著者:シンシア・ライラント / 絵:エレン・ベイァー / 訳:中村妙子 / 出版社:偕成社1998
『あのころはフリードリヒがいた』著者:ハンス・ペーター・リヒター / 訳:上田真而子 / 出版社:岩波少年文庫1977(2000新版)

2003年05月06日(火) 『せいめいのれきし』

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