2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ

■通勤電車に乗り込もうとしたら、後ろから声をかけられた。「ステキなパンツね。どこで買ったの?」。ニコニコと話し掛けてこられたのは、虹色のニットの女性。50代ぐらいかなとお見受けしたけど、「37才の娘がいる」とのこと。とても若々しいその女性は「誰も着てないような一点ものの服が好き」なのだそうで、「後ろから見ていて、あんまりきれいな色で、つい声かけちゃったの。靴も鞄もステキ」と手放しでほめてくれた。わたしが乗り換えで降りるまで、ひたすら服の話で盛り上がる。お互い名乗りそびれてしまったけど、「楽しかった。またひょっこりお会いしましょう」と言いあってお別れする。■思いがけない出会いを呼んだパンツはNYのブランド、Tod Oldhamのもの。今はなくなってしまった表参道ビブレ1階に店が入っていた。(NYにあるお店にも行ったけど、ビブレのほうが品揃えが良くて、肩透かしを食らった覚えがある)。色指定用のカラーチップに似ているので、会社に出入りしている印刷屋さんに「色校正のときにはいていると便利ですね」とからかわれたりする。会社の英会話の先生(アメリカ人)いわく「You are visually stimulating(シカク的にシゲキ的)!」。面白い服を着ていると面白いことが起こる。そんなわたしと並んで歩きたがらないダンナは「君は遠くからでもすぐわかるんだよ」と心からイヤそうな様子。いいじゃないか、赤鼻のトナカイみたいで、『パコダテ人』のみちる姉ちゃんみたいで。

1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2003年06月22日(日)  不思議なふしぎなミラクルリーフ

■GWにオープンした後楽園のLaQua(ラクーア)に先日行って、買ったものが二つ。ひとつは赤×白のハート柄Tシャツ。ひらひらのついたパフスリーブ、胸にはイチゴの刺繍、1500円という値段から見ても子ども服だったのかもしれないが、サイズが合ったので速攻ゲット。しかし、店を出るとき、おそろいの「ワンちゃん用Tシャツ」が売られているのを見てしまう。鉢合わせの光景を想像すると、ちょっと怖い。■もうひとつは、ミラクルリーフ。別名セイロンベンケイソウと呼ばれる亜熱帯植物らしい。葉っぱの淵から発芽するのが特長で、見本に飾ってある葉っぱからはほんとにニョキニョキと芽が出ていた。家に持ち帰って水に浮かべてみると、あら不思議。ほんとに次々と芽が出てすくすく成長中。食卓に飾って毎日眺めているのだが、けなげに育つ姿がかわいくて、飽きない。「幸せの葉っぱ」という別名もあるそう。

2002年06月22日(土)  木村崇人「木もれ陽プロジェクト」
2000年06月22日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1998年06月22日(月)  カンヌ98 3日目 いざCMの嵐!


2003年06月19日(木)  真夜中のアイスクリーム

■ザンメシ(残業飯)のとき、アイスクリーム中毒の話題が出た。一日に何十個もアイスクリームを食べてしまう人の話。なぜ、それほどまでしてアイスを食べ続けるのか、と誰かが疑問を口にしたとき、一人が言った。「アイスクリームはちょうどいいんだよ。冷たくて、甘くて、淋しさにうまく溶け合うんだ」。その言葉に一同は妙に納得し、真夜中のアイスを買いに走ることになった。わたしはエスキモーのワッフルコーンサンド(Waffle Cone Sand)。アイスチョコ最中の高級版という感じで、皮はワッフルコーンになっていて、チョコの15%はベルギーチョコ、アイスもちょっぴり上品。これはハマりそうです。200円出しても惜しくない!アイスクリームは心のすきまに溶けていくのねと思いながら味わう。そういえば、アメリカでホームステイした家はCARVEL ICECREAMというアイスクリーム屋さんのフランチャイジーで、家には大量のアイスがあった。おそらく3000カロリーはあったと思われるアイスクリームケーキ(バースデーケーキのようなものがまるごとアイスでできたもの)をペロリと食べてしまったのは、淋しさのなせるワザだったのかも。


2003年06月03日(火)  海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)

■あの人どうしているかなあと顔を思い浮かべた矢先に、その人の近況を知るということがよくある。アンテナを張るからキャッチしやすくなるんだろうけど。五年ほど前に「シェフになる!」と会社をやめてアメリカに渡った中西さんは夢をかなえたのかなあと思っていたら、今度組むデザイナーの先輩が「俺、あいつの店のロゴ作ったよ」。それが先月オープンした海南鶏飯食堂。念願かなって今日のランチで訪れることに。ひさしぶりの中西さんは店内を走り回り、声を張り上げていた。看板料理の鶏飯(じーふぁん)は、鶏のスープで炊いたジャスミンライスにゆで鶏をのっけて、ショウガだれ、とろみのある醤油、チリソースをつけていただく。さっぱりしているけどアジアな味。おかわり自由のごはんは、もちろんおかわりする。六本木ヒルズのすぐ脇という立地もあってにぎわっていた。夜もいい感じだそう。アジアごはんが好きな方はどうぞ。
海南鶏飯食堂 03-5474-3200
港区六本木6-11-16中銀マンシオン裏手
Lunch 11:30-14:00(LO13:30)
Dinner18:00-23:00(LO22:00)

2002年06月03日(月)  きる ふぇ ぼん
2000年06月03日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月03日(日)  4年2組日記 先生の家


2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼

このところ家にこもってワープロを叩くことが多い。おしりに火のついた仕事なので、食事を作る暇も惜しい。という差し迫った状況で手を出してしまったレトルトカレー。各社からいろんな種類が出ていて、これがまたそれぞれおいしくて個性的。たちまち味比べにはまってしまった。

今のところのお気に入りはエム・シーシー食品のスパイシーチキンカレー、エスビー食品から出ている「パク森カレー」(パク森は市が谷にある「行列してでも食べたいカレー屋」らしい)、中村屋のインドカレー。ビーフよりはチキンが好き。欧風よりはスパイスの効いたインド風か好き。インド人を隣人に育った名残なのかも。パッケージ比較も面白くて、コンビニやスーパーのレトルトコーナーをのぞく楽しみができた。レトルトカレー研究を*いまいまさこカフェ*の目玉コンテンツにしようかという野望がふと湧き、「レトルトカレー」を検索してみたら、何百種類と食べ比べているツワモノがゾロゾロ。奥の深〜い世界なのだった。

2004年7月26日 『カレー五人衆、名人達のカレー』

2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2003年05月18日(日)  風じゅーの風よ、吹け!

東京・横浜での「風の絨毯」の公開2日目。シネスイッチ銀座で榎木孝明さん、工藤夕貴さん、益田祐美子プロデューサー、柳生美結ちゃんの舞台挨拶があったので、かけつける。300人ほど入っていたのではと思われる大入り。いつもは黒などのシックな装いが多い工藤さんが、カラフルな幅広ボーダーのチューリップラインドレスで登場。思わず「ステキ!」とため息がこぼれた。美結ちゃんはウェスタンなあしらいのスリムジーンズ。身長は現在1センチ差でわたしが勝っているけど、足の長さは絶対負けてる。もちろん細さも。平成祭屋台の仕掛け人、中田金太さんにもお正月ぶりにお会いできた。日本で英語を教えているというニューヨーク出身のシアターフリークな女性が「英語字幕がついてなくて、内容がわからない部分があったんだけど」と話しかけてきた。東京国際映画祭のときには、全台詞に日本語字幕と英語字幕が対応していたけれど、今回の公開作品はペルシャ語の台詞にのみ日本語字幕が対応。「でも、すばらしい作品だから広めておくわ。英語つきDVDが出たら連絡して」と女性。

シネスイッチ銀座脇にあるレストラン「OLD MOVIE」に関係者が集い、軽い打ち上げ。乾杯のとき、隣にいた女性の名前は景山さん。どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、魔女田本に登場する「人間宅急便となってテヘランから生フィルムを持ち帰った景山咲子さん」だった。現在、日本イラン文化交流協会の事務局長をされているという景山さん、以前勤めていた商社が中東と取引があり、そのとき身につけたペルシャ語(本人いわく、「ペルシャ語のペの字ぐらいしか話せないので、ぺ語」)を活かし、現在は日本イラン文化交流協会の事務局長をされている。初対面なのに、お互いのことは魔女田本「私、映画のために1億5千万円集めました!」で予習済み。「あの景山さん!」「あの今井さん!」と一瞬で打ち解け、一気に話がはずんだ。

本での情報では「一イラン通」の方だと理解していたのだが、なんとシネマジャーナルという「女がつくる映画誌」の発行に携わる映画通であることが発覚。最新号は風じゅー特集で、益田さんの独占インタビューも。おまけに景山さん、「NHKの朝ドラ『ロマンス』以来、榎木さんの大ファン!」だそうで、東京国際映画祭にぎりぎり間に合った生フィルムは、うってつけの人の手によって空輸されたとわかる。「これは運命です!ドラマになります!」と興奮してしまった。よくよく話を聞いてみると、「ほんとは私、フィルムを持ち帰れないはずだったんです。行きの機内で福岡映画祭に行っていたイランの映画関係者と知り合って、イスファハンでこども映画祭があるって聞いたので帰国日を延長したんです。そしたら益田さんからSOSの連絡が入って…」。その電話が入ったテヘランのイラン人宅というのが、日経新聞の記事を読んで益田さんに連絡を取ったイラン経済研究会の方が30年前に下宿されていた家だとか。つくづく事実は小説より奇なり。

その景山さんより、「イラン文化週間」の情報を入手。5/22-28(25日は休演)まで国際交流基金フォーラム(赤坂ツインタワー1階)にて、イラン映画の上映やイラン文化についての講演などが行われる。28(水)10:00-12:00、風じゅーのカマル・タブリーズィー監督の前作「テヘラン悪がき日記」上映+監督への質問が行われるとのこと。

先日、三越イベントで再会した「99年函館映画祭以来の知人」巌本さんとも同じテーブルで話がはずむ。風じゅーの応援とあわせて、加納周典監督の映画「ロデオドライブ」の宣伝にも関わっているそう。

風じゅー公式サイトを運営するシネマイマジカ、カフェグルーヴの皆さんとは、「風を起こそう」と盛り上がる。ネット上で絨毯を織る特別企画1000人の絨毯は250人で1枚の絨毯が織り上がるのだけど、1枚織り上がったときに感動的なことが起こるらしい。「この仕組みのために半月かけたんです!」とカフェグルーヴ社長の浜ちゃんこと浜田寿人。絨毯に登録した人だけにわかる、ささやかなサプライズもあるそうなので、ぜひぜひご登録を。ちなみに、登録時に書き込むメッセージをすぐに見られないのは、「絨毯に託した一人ひとりの願いや祈りは、絨毯が織り上がったとき、ひとつになる」からだそう。みんなの思いが結ばれる瞬間(250人目)まで、ただいま、あと189人。

2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん
1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ


2003年05月17日(土)  脚本が届く日

■『風の絨毯』公開初日の朝、NHK-FMシアター『夢の波間』の脚本が届く。脚本家としてデビューしたきっかけはFMシアターだった。『タカラジマ』『雪だるまの詩』につづいて3年ぶりの3作目。今回のお話は大阪に帰省したときに、母と話していて思いついた。古文書(こもんじょ)の研究会に入っている母が取り組んでいたのが、廻船問屋(今でいう海運会社と商社がひとつになったようなもの)の記録で、「何月何日に何をどんだけ積んだ船がどこへ向かったか、きっちり記録してあるねん」と話しているのを聞いて、「一見単なる備忘録のような古文書から、当時の人々の思いを読み取れたら面白い」と思った。そういえば今年は江戸開府400年。かつて船模型をつくっていた現代の男が、江戸時代の廻船問屋の遺した古文書に出会う話にしよう。二人の男の接点は、海。海には夢があり、ロマンがある。そう思って飛びついたのだが、そこからが難航した。日本史の知識は悲しいほど乏しく、歴史小説もほとんど読んだことがない。昔の和船の構造と洋船との違い、年号や時間の呼称、鎖国について、神社について、船模型について、調べることは果てしない海のようにあった。物語の舞台である「佐野浦」は、現在の大阪府泉佐野の辺り。母と、古文書仲間のD氏が本や写真や新聞の縮刷版コピーなどをどっさり送ってくれ、船旅を助けてくれた。着想から脱稿まで5か月近く。寄り道したり漂流しかけたりの長い旅だったので、脚本完成のよろこびはひとしお。少しずつ島影が見えてきて、やっと船が着いたぞ、という感じ。印刷された脚本を見ると、いよいよ作品になるという実感が湧いてくる。この瞬間がたまらない。■現在開発中の脚本作品は、映画。午後4時半にはじまった打ち合わせは、翌朝18日の9時まで続いた。トイレに立った一回以外は椅子に座りっぱなし。机の上の食料をつまみ、お茶をとっかえひっかえしながら、話し合いと同時進行でキーボードをたたき、本を直していく。眠気と疲れで脳が酸欠状態になる中でのアイデア出し。しんどいけれど、集中してたたいた本が確実に良くなっているのが見えるのは楽しい。本が届く日まで、もうひとふんばり。

2002年05月17日(金)  人生最高の日〜『パコダテ人』最終日
1979年05月17日(木)  4年2組日記 今日から日記


2003年05月05日(月)  日本橋三越に「風じゅー」現る!


■日本橋三越で行われていた「風の絨毯」イベントに義母を誘って行ってきた。高山から運んできた祭屋台は高さもあり、存在感も注目度もバツグン。1時間2回のからくり上演には、ちょっとした人垣ができていた。劇中で祭屋台にかけられたペルシャ絨毯や、さくら役の柳生美結ちゃんが着ていた「イスファハンでのお祭りのときの衣装」や「子どもたちの描いた絨毯デザイン画コンクール入賞作品」など、盛りだくさんの展示で見ごたえ十分。大小さまざま色とりどりの「さるぼぼ」をはじめ、飛騨高山の名産品を売るコーナーも。魔女田本、「風の絨毯」絵本も平積みされていた。会場に詰めていたプロデューサーの益田さんによると、「作品に興味を持っていろいろ聞いてくる人が多くて、面白いよ」とのこと。この人はほんとに人に会うのが天職。ここで思いがけない再会があった。「おひさしぶりです、今井さん」と声をかけてきたスーツの男性、売り場の店員さんかと思ったら、4年前の函館の映画祭で知り合った巌本和道さん。イラン映画好きとは聞いていたけど、まさかこんなところで遭遇するとは。イラン大使館で益田さんに会った縁で風じゅーに最近巻き込まれたそう。三越でのイベント期間中は毎日お手伝いに通われていたそうで、前売チケットを熱心に売ってくれていた。


2003年04月30日(水)  2003年4月のカフェ日記


■左から「お花見で行った小石川のイタリアン『ラグレスト』のガトーショコラ」「近所のケーキ屋Shimonのケーキ」「中目黒のスタバのバナナケーキ」。
■外苑前にあるトラットリア・ペコラのディナーコース(4200円)をしめくくるデザート。好きな種類を全部指名できるので、よくばって4種類。前菜(下段右)からデザートまで心配りのきいたおいしさで、豊かな気持ちに。

2002年04月30日(火)  焼肉屋『金竜山』で酒池肉林
2001年04月30日(月)  2001年4月のおきらくレシピ


2003年04月25日(金)  魔女田本「私、映画のために1億5千万円集めました」完成!

風の絨毯プロデューサーの「魔女田さん」こと益田祐美子さんの奮闘記「私、映画のために1億5千万円.集めました。」(角川書店)が完成! 4月30日により全国書店に並ぶ予定。ひと足早く手元に届いたので、表紙をご紹介。風じゅー関係者の中でただひとり、わたしと色の派手さを競い合っている魔女田さんらしい、ハデハデな赤とレインボーの組合せ。愛用の真っ赤な勝負スーツを彷彿とさせるギラギラぶり。本屋で目がチカチカしたら、この本のせいです、きっと。逃げずに手にとり、できればそのままレジへ向かっていただきたい。映画製作を思い立ってから3年、無理だ無茶だと言われながらも、企画という赤ちゃんを立派な作品に育て上げた魔女田さん。そのパワーに圧倒され、自分にも何かできそう、と元気が湧いてくるはず。■じつは、この本の編集者・藤田有希子さんとわたしの出会いにも不思議な縁が……。もう一人のプロデューサー・山下貴裕さん(彼は今回の本で裏エピローグを執筆)とわたしが出会ったランチに居合わせたのが、藤田さん。そのときは、わたしが風じゅーの脚本に関わり、後に藤田さんが関連本の編集に関わるなんて、誰も予想していなかった。ほんと、人と人とのめぐりあわせ、そこから起こる化学変化は予想不可能で面白い。以下は藤田さんが書いたプレスリリース。

ひとりの主婦が国、企業、大スターを動かした!
涙と笑いの波乱万丈!日本&イランの映画制作顛末記。


右手にロマン、左手にソロバン、主婦の映画製作物語
私、映画のために1億5千万円集めました。
著:益田祐美子

四六判・並製・240頁・定価1400円(税別) 発売:角川書店

東京国際映画祭での上映も無事終わり、公開を待つばかりとなった日本&イラン合作映画「風の絨毯」(配給:ソニー・ピクチャーズ/2003年5月17日よりシネスイッチ銀座ほか全国主要劇場で公開)。これは、ひとりの主婦が映画製作を思いつき、彼女の熱意ある行動により、イランの大監督、イラン政府、文化庁、外務省、大企業、そしてスターたちが次々と彼女の考えに賛同。アメリカの同時多発テロを乗り越え完成にこぎつけた作品です。「家族愛」と「善意」と「文化」を次世代に遺そうとする「大人たちの希望」をテーマに、ひとりの主婦の映画製作の3年間のストーリーをまとめた映画製作奮闘記の出版を企画いたしました。

■■ストーリー■■益田祐美子はちょっと“天然”などこにでもいるひとりの主婦。たまたま映画製作の現場と出会った頃、出身地、飛騨高山で祭の山車が数十年ぶりに新しく作られることを知る。彼女はその山車に、たまたま知り合ったイラン人が商売にしているペルシャ絨毯をかけたら素敵、と思いつく。そしてそれは、彼女の中で子供に夢と希望を与えるひとつの映画のストーリーになってしまった。 “天然”な彼女を心配したイラン大使館が止めるのも聞かずに、彼女はイランに飛ぶ。大監督、カマル・タブリーズィー氏に「私が考えた映画の監督を引き受けて」と説得しに。すると、大監督は条件つきながらもOKしてしまう。さぁ大変、資金は? キャストは? 配給って?必死にツテを頼り、どれだけ素晴らしいテーマの映画であるかを語るため、次々と人に会い続ける彼女。ところがその口調はフワフワと頼りない。しかし、なぜだろう、彼女の話を聞く人々は、彼女に大人物を紹介したり、寄付を約束したり、関係ないのに奔走してしまったり、なぜか協力してしまうのだ。まだキャストも決まっていない夢物語のような話に――。そして、2002年9月、いよいよクランクインまで話が進んでしまった頃、あの悲惨なテロ事件がおきてしまう。すべては終わってしまうのか。お世話になった人たちに、中止のお詫びを始める彼女。そんな彼女に、皆が言う。「信じているよ」「奇跡は起きるよ」。
――そう、その言葉どおり、奇跡は次々と起こり始める――

2002年04月25日(木)  田村あゆちの「ニュースカフェ」に演

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