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■ 忘れることは捨てることではない
友達と、「忘れることについて」話をした。
友達「今うちの病棟にな、認知症のおばあちゃんがおるんやけど、毎回毎回記憶がリセットされとるんよ。で師長さんが、”ああやって嫌なこととかを忘れて、しっかりご飯を食べて、寝て、ってのが、長生きの秘訣なんかもね”って言ってたんよ」
私「まぁ、そうかもねぇ」
「金さん銀さんって覚えとる? 長生きの秘訣を聞かれたとき、銀さんは”根性”って言ったらしいけど、金さんは”忘れること。嫌なこともいいことも、忘れること”って言ったんだって」
いいことも、忘れちゃうんだ。 覚えておきたいなって思っちゃうのに。 「あのときはよかった」とかって思わないように、かな?
でも何にせよ、リセット力ってのは大事かもしれない。
今を一生懸命生きるためには、抱えるものが多すぎてはきっと、色々おろそかになりそう。
大好きだったあれやこれや、うれしかったことや、大好きな人のこととか、嫌なことといっしょにそういうのも忘れてしまうって、どんな感じなんだろう。
ひきずりすぎない。
いいことも悪いことも、ひきずりすぎなければ、前に進めるってことなのかな。
『そうやって手に入れたものすべて 結局持ってなど逝けないのに』
radのやどかりの歌詞が頭をよぎる。
この歌詞は 『だからせめて今は持って行こう 抱えきれないほど持っておこう そのすべてが今のこの僕を 形作っているものだから』 と続く。
ものが捨てられない性分の私は、いいことは持っておきたいと思ってしまう。 だから、忘れたくないと思ってしまう。
でももしかしたら、忘れることは別に、捨てることではないのかもしれない。
経験した時点で、それは私の一部になっていて、いつか忘れるときがきても、きっと私が私である限り、私は何も捨てていないのかもしれない。
そして、私が私である必要性があるのは、まさにこの世に生きているこの時間の中、ということだ。
持って逝けなくてもいい、必要なのはあの世で、ではなく、この世で、だ。
こういうことかな。 リビングはきれいにしておいたほうが生活を送りやすいけど、 押入れにはちゃんとアルバムとか、昔作ってみたなにかとかが入っている。 食器だなにはお気に入りの食器が入っていて、クローゼットには好きな服が入っている。
お引越しの時には持っていくよ。でもそれは、必要だから。
お部屋はおそうじして、「きれい」にリセットしている。
でもたまにアルバムを出してぱらりとめくって、 日常に戻るとき、それをそっと仕舞う。
日々をリセットして、私というフィルターを通して奥に蓄積したものたちは、一見目には見えなくても、今現在生きている私の行動原理につながっている。
「私」を生きる私が、「私」であるから。
2011年08月08日(月)
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