脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 対話の化学反応


私はこんなに、私のきもちを誰かに素直に褒めてもらったことはなかった。

ただのどこにでもある、つらい恋の気持ちとか生き方のひとつとか、そんなんだと思っていた。

でも、そうだよね、だって私、ほとんど人に話してこなかったんだもの。


『人』をくれて、『場』をくれて、ありがとうかみさま。


自分にない概念、新たな価値、会話の中から創造されるだいじななにか、両者でさえ予想できなかった新しい概念、
化学反応のように発展する実のある『対話』は、ほんとうにたのしい。

まるで、とびっきりおいしい炭酸のはじけるジュースを、そこらじゅうにぶちまけるみたい!

なんて爽快? なんてたのしい? いいぞもっとやれ!

ふいな切っ掛けにもたらされたものは、想像をたのしく飛び越えるなにかでした。

実のある『対話』をすることは、子供のころのクリスマス100回ぶんのワクワクといっしょだ。すごい、心と頭のごちそうを食べるようなものだ。


たのしい! 以外に、ふさわしい言葉を知らない。



2011年02月16日(水)



 自分を動かすには



友達と電話で、しごとがんばろうねと、何だか中高生のようなことを言って自分とお互いを励ましあった。

私はあまりガッツやバイタリティのある人間でもなければ、大人のようなきちんと割り切った成熟した精神も持ち合わせていない。


何かをとくべつしなければ、というニュアンスでタスクを「頑張る」というと、何だかあまりに気構えすぎて、一歩も動けなくなってしまいそうになる。

だからちょっと、言い聞かせてみる。


何かをとくべつするのが「がんばる」っていうのじゃなくて、そうしないと「がんばる」になれないんじゃなくて、
前にあるものに進んで、通り抜けようとすることも充分「がんばる」だと思っている。
それで合格点をあげるようにすれば、とりあえず足は動く。

「とりあえず足は動く」を積み重ねれば、ずいぶんの道を歩くことだってできる。


ちょっと自分は考えすぎるところがあるから、余計に考えすぎるところを減らして、シンプルに考えて動く。
自分に与えるタスクをなるべくわかりやすくしてみる。
そうしたら、「やってみようかな」と思えるようになる。

自分を動かすには、自分を知らなければ、と思う。

で、自分を知った上でできないことややらない事もあるけど、それはそういうことなのだと思う。

必要なら、いずれせねばならない時がくるし、する気になる時がくる。

それに目が向かないのであれば、その時するべきことが他にあるという事だと思っている。

多分それは本に似てて、興味があるときが、その本の読みどきなのだ。
試しに読んでみても興味がわかないのであれば、潔く手放すのがいい。
必要なときがやってくるのであれば、また目の前にその本が、やってくるときが、ある。と思う。



2011年02月11日(金)



 がらん と、 する


引越し準備、引越し準備。


まえ、夜遅くに、ぐわぁっ とかいう音をたてて、衣類ファンシーケースみたいな、簡易クローゼットみたいなのが、倒れて壊れた。

いろんなものを下敷きにして、なかの服もぐっちゃになって、下のほうに置いてた雑多なものも巻き込んで、まるでビルが倒壊するみたいに、ケースが倒れた。


次の日は日勤。夜は深夜1時をまわったところ。

正直はやく寝たかった私は、突然ふってわいたどうしようもない事態に「あららあ……、」と思考も活動も停止すること数分。

どうしたものか。このまま放っておくにはしのびない。
たしかに、このケースは持っていけないから処分しようと思っていた。けど、なにも今じゃなくても。

別の服収納ブツを購入してから、粗大ゴミのことを調べたりして、もうちょっと地道に進めていくつもりだったのに。今、おまえは倒壊するのか。
これをどうにかするには、相当骨が折れる。

だがしかたないので、とりあえず服を救出することにした。

そういえば、押入れがわりにしていたクローゼットの中はあらかた片付けたから、服をいったんクローゼットにしまえるようになったんだった。

ひーこら言いながらなんとか服をクローゼットに収納し、中途半端に簡易クローゼットをバラしてゴミに出し、そうすると更に下からたくさんのいろんなものが出てきた。


そうか、そうか。
かみさまは私に、まだまだ片付けるものがあるんだから、「いつか」じゃなくて「今」片付けなさい、と言ってたのか。

簡易クローゼットがちょっと倒壊しただけで、ずいぶんとモノの整理が進んだ。
服をいったん避難させた本来のクローゼットは、事前に私が片付けしていたために服を避難させることができた。

このクローゼットに服が収納されるのは、私がここに住み始めてから正味、2回目だ。

私がここに引越ししてきたとき、とりあえず大量の服たちは先にこのクローゼットに引越し前に持ってきておいた。

そして私がここから引っ越そうとするこの間際になって、改めてクローゼットがクローゼットとして使われている。

こうやって同じような図を眺めていると、なんだか懐かしくなってくる。

今度こそ自分の好きな部屋を作るんだと、わくわくしながら、でも引越し準備の時間がロクにとれなくて、とりあえずあるもの全部持ってきてしまって、たくさんの袋たちがカラッポの部屋に置かれていたあのとき。

あれから、まだ2年も経ってないんじゃないっけ。

あのときの私は、まさか2年も経たないうちに香川に行くために引越しの準備を始めるなんて、思ってなかったな。


簡易クローゼットの無くなったその場所は、まっしろい壁と床が出て、
引越し準備を進めれば進めるほどに、砂に埋もれた彫刻品が姿を現すように、「来たとき」のこの部屋が現れてくる。戻っていく。
私の気持ちも、あのときのまッさらな気持ちに戻っていっているようだ。


母がくれた鏡台以外、たくさんの大型家具を手放すつもりだ。

この部屋が再び、後進国の夜の空港のようにがらんとなったとき、どんな気持ちになるのだろう。




2011年02月02日(水)
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