脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 せいりせいとん

大事にとっていたつもりのメールは、
携帯がこわれたときにぜんぶきえちゃった


取っておきたかったもの、
残していたかったもの、
その先に生きていてほしかったなにか、

どれも、これも、 私のもとから去っていきなさい



モノが消えたところで、
ココロまで消えるわけでもないけれど、

だから、擬似おそうじ、擬似おせんたく、

すっきりさっぱりした、つもり。


それでもこれはひとつのけじめのつもりだから、
これでもちょっとは前に進んでいるつもりだから、


いつまでもたくさん手に持ってると、
次のがとりたいときに、取れないものね。

たくさんの過去たちとさよならした私がほんとうにさよならしたかったのは、

たぶん、過去たちのわたしで



2011年01月22日(土)



 あ.と.ひ.と.つ ふぁんもん

あと少しがんばれば、ゆめがかなうと

あと一粒の涙で、あとひとことの勇気で




あとちょっとの辛さの先に、希望が待っていると、

必ずしも言えなくて、 
もしかしたら現状よりひどい未来が待ってるかもしれないけど、

そんな状況でも、
あと一歩、あと少しこの崖を登ったら、
あとひとつの傷でこの崖を登れるなら、
登った先に安住の地があると、希望があると、
幸せがあると信じて登らなければ、
登れなくなってしまう。


脇目をふってる余裕なんてないんだ、
未来を疑う余裕なんてないんだ、
疑ったとたんに一歩も動けなくなってしまう

そうじゃない、
「先を信じる」という麻薬を使わなければ、
精神がとたんに痛みだして暴れまわってしまいそうなんだ


希望にあふれている、うた、
わたしにもいい麻薬になる

あとちょっとで  あとすこしで

脇目もふらず空に手を伸ばしていれば、
地上の惨状など目に入らない





2011年01月21日(金)



 こぼれおちそうないのち

なくなりそうな子の命をつなぎとめるのは、

崖の上から転がり落ちそうなリンゴを走って転んでも必死に取りにいくような、

上から落ちよう落ちようとするゼリーを必死におし止めるような(押しとどめすぎると、こわれちゃう)、

そんなかんじで、ともかく、必死で


なんだか皆の、神経とか心とか、そういうのが音をたててギリギリと擦り切れてるのを聞いているようだ。

おやごさんの、ドクターの、ナースの、私の、そういうのが。


そしてその子の、あの子の、いのちそのものが、ギリギリと擦り切れている。


ここで、なぜかひとが、苦しい苦しい半年だか、何ヶ月だかを経て、よくなくなる4月前の早春が、また、やってくる。

そうして、何もしらない人が新しい顔をして、4月にやってくるのか。



ああ。

夜明け前が一番冷え込むっていうけれど、夜が明けたって本当は何も、たいして変わらないよね?




2011年01月11日(火)



 夢の中の自分

夢の中の自分が、たまに理解できない。

もっと言うと、夢の中の自分の感情表出が、理解できない。



夢の中で、患児がなくなって、お見送りまでした。

私はずっと、泣いていた。点滴作りながらすら、泣いていた。

同じスタッフやほかの患者さんもいる職場でこんなに泣くなんてだめだ、って思いながらも、涙が止まらなかった。

本当に心のそこから悲しくて辛くて苦しくて、涙がとまらなくて、目をあけた瞬間も泣いていた。



実際に起きて、冷静になってみると、たぶんあの場で私は泣かないと思う。

そんなに、泣けないと思う。私そんな、よいひとじゃない。


ほかにもある。

もう何だったか忘れたけど、おきたあと冷静になって考えてみると「どうしてそれでそんなに悲しくなるのか理解できない」ってくらい結構どうでもいい出来事なのに、なぜか夢の中だとものすごく悲しくて辛くて、涙が止まらなかったことがあった。


あれが自分の真実の心の動きのひとつだとでも言うのだろうか?

くだらないとさえ思いそうになる。 

本当は、泣くネタなんてどうでもよくて、
私は泣きたかっただけなのだろうか?

なんで?
涙はストレス物質を外に出してくれるっていうし、疲れてたのかな?


夢の中の自分の気持ちの動きが、冷静になって考えてみると自分のものと違うように思える感覚を、よく味わう。


2011年01月10日(月)
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