|
|
■■■
■■
■ 犠牲がないと成り立たないもの
「出来る限りのことを」 「全力を尽くします」
医療ドラマとかで、よく医療者が言ってるような言葉がある。
実際には、出来る限りのことを、出来る限り以上に、いっそ危ないのではと言えるほどに冒険してでも治療をしている。
出来る限りではない。出来る限り、以上だ。
術後いつまでたっても、3kgちょっとの体から一日300-400mlも胸水が出続けてとまらない子。これは単純計算で、60kgの大人から毎日6リットルの水が外に出ているのと同じだ。考えうる限りの薬、手術をいくつか行ってもよくならない。
片肺が大きすぎる心臓に圧迫されてつぶれているためか、人工呼吸器の設定を下げると息がじゅうぶん吐けずに二酸化炭素が体にたまり、人工呼吸器から離脱できない子。
濃い濃度の液で腹膜透析を回さないと体の水が外にほとんど出なくて、おしっこもまったく出ていない子。 最終段階まで手術は終わって、循環的にはふつうに近い構造になっているのに、循環が保てない子。
心臓自体がダメージをもう受けていて、血管や心臓を手術してもどうにもならないのじゃあないかと言われていて、最低限の体重がないとできない手術をしようにも栄養を工夫しても体重がまったく増えない子。
どんづまりのような状況で停滞している子たちが、病床数の7−8割を占めている。 どうすればいいんだ。どうするんだ。 と思いながらも、ドクターたちは絶対諦めずに考えられる以上の手立てを行おうとする。 私たちスタッフは必死にそれについていく。
みんなこの科に呑まれていて、あらゆるものを犠牲にして、あの場に立って、その世界が全てであるかのようにあのせまいフィールドで尽くす。
たぶん息切れになりながら、それでも走るしかないから、走る。
看.護.部.長は、「どうしたら、やめるスタッフが減るだろうか」「職場の雰囲気は、どうしたらよくなるか」と、異常な離職率に頭を悩ませている。
無理だと思う。
心.臓.血.管.外.科が心.臓.血.管.外.科である以上、スタッフの意識がとか、態度が、とか、そういう小手先のものをどうこうしたところで、きっと何もどうにもならない。 みんなが、家にろくに帰れないとか、神経をすりへらしてちょっと病的になってたりとか、色んなものを犠牲にして、そのせいでまぁ、色々とすさんだ人になったりしてても、言いたかないけど「場によってもたらされる、どうしようもないもの」っていうのが存在すると思う。
そうしないと、たぶん成り立たないんだ。
気を張り詰めていないと、些細な心拍数や血圧や、児の状態の違いに気付けない。神経症の患者みたいにピリピリしていないと見落としてしまうような致命的なサインがいくつもある。 現状の状態に甘んじていたら、その子は死ぬかもしれない。 そうでなくても、ダラダラしていたら次のオペが出来ずに待機患者の重症度は増す。
ある程度成人して生きてきた大人の意識なんてそうそう変わらないし、そんなの変えたところでガンジーとかにでもならない限り、無理だ。
身を切るように寒くなければ、冬ではない。 くたばるほどに暑くなければ、夏ではない。
水中では息ができないものであり、 身を焼けなければ炎ではない。
そういうものなのだと思う。
たぶんこの世の中は、いろんな人がいろんなものを犠牲にして何かをつくっていて、それでしか成り立たないものが多く存在する。
結局は、しかたがなかったと、
まだ今の部署にうつって4ヶ月もたってない自分が漠然と思っている。
2010年12月11日(土)
|
|
|