脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 懐刀


今日、職場の目標管理面接みたいなのがあった。
師長さんとの面接だ。

仲のいいもとPICUメンバーの先輩とかから、先輩が辞める旨を話したときに「○○ちゃん(先輩の名前)は裏切ったんじゃ!」と師長さんがリアルに大号泣しただとか、
職場に適応できなくなって結婚してやめていった他の先輩に
「もし○○さんが子供を産んで、その子が心臓疾患でウチ(の科)にかからなくいけんくなったら、どんな顔であなたが来るか見ものだわ」
とか、まァその他もろもろなかなかにプシけている師長さんの話を聞いている身としては、何ひとつ弱みを握らせてはいけないある意味緊張の面接である。


「何か気になることはある? 人間関係とか…あの人がどうだ、とか。私には話してもいいんよ」

いやいやぁ、具体的な名前や行為を挙げられるわけないじゃないすかー、
どうせその情報また上のスタッフに流すんだろ?
全部を具体的に流すんじゃなくて、かいつまんで流すでしょう? そのほうが余計たち悪いっての。
そんでもって私がこの部署の不利益になるようなことをしたときや、やめるときとかに、その私の弱みを逆に凶器として振るうかもしれない人に、何ひとつ漏らせるわけないじゃんかー


まるで背中に、笑みを浮かべながらひたりと刃物を突きつけられて、
質問をされているような感覚だ。
わあ、こわいな。
不用意なことを口走るなよ私。

力入れすぎ? 考えすぎ? 疑心暗鬼?
いやいや。
全てひっくるめて、しまいこんでしまえば、
それはあったことにはならないよ。
「ないもの」に対して、ふるえる刃なんてそうそうありゃしない。
それくらいでたぶん丁度いい。それでもまだ足りないくらい。


妙に物分りのいい返事をする私は「○○ちゃんは私が思うに、ちょっと大人じゃから、こういうことで悩んだりせんかもしれんけど」とか思われてたり、

師長
「今回こういった事情で急な異動になって、最初は元の部署に戻すって話だったらしいけど…ちょっと、こっちは戻すのは難しいっていうか…3月まで働いてもらうことになったし… だから、何か言いたい事とか気になってることとかあったら看護部長さんが面接で話を聞くって言ってて、他の異動の子も行ったりするみたいなんだけど…」

「お話を最初に頂いた時点で、もどれないだろうなと思ってましたよ。教育するのにそもそも時間がかかるし、難しいですよね…。それに私は来年の異動の件で部長さんとはお話させていただいてるので、その面談はしなくて大丈夫です(ニコヤカ)」
師長
「○○ちゃん、大人じゃなぁ…」

とか思われていたらしいが、

いやいやァ、そりゃ師長さん、
何言ったって無駄だと思ってるから何も言わないだけですよ
もう見切りをつけて居なくなるつもりだから、唯々諾々と従ってるんだよ

どこまで真に受けてくれてるのか甚だ疑問だけれど、
言葉っていうのはなかなか便利なツールだね。
慎重に使わなければ手ひどく怪我をするけれど、
うまく使えばなかなか良いものだ。




背にひたりとあてられた刃物を感じながら、
決して振るうつもりもない懐刀を、
だいじにだいじに撫でながら私は心を鎮めていく。

おかしいおかしい、
刃を見せない限りコレが刀だとも気付かないかもしれない。

どうぞどうぞ、
気付かないままに。
私はただコレで、林檎をむいたり工作をしたり、髪を切ったりしているだけですから。



2010年09月27日(月)



 イタリアのことば

イタリア人はひそかにこう信じている。




どうせ頑張ってみたところで上手くなんていきっこないさ。


明日の最悪の運命よ、精々昨日の最高の思い出になれ!





いずれにしても、外国人はイタリア人を明るく陽気な連中だと思っている。

少なくとも、彼らの堪忍袋は尾が切れないのだと。



結局、何もかもが悪いわけではないのである。





2010年09月25日(土)



 まわる日の中、なまぐさく生きる

職場に、誰かから遅刻する旨の電話が入った。

その電話に、先輩は非常にさわやかに、かつ「気をつけて来るんよ」と言って対応していた。

その後その先輩は、他の先輩に「『○○してたら目覚ましが○○で、○○で…』って…だから、寝坊したんじゃろ、っちゅー(※寝坊したんだろ、っていう の意)」と低い声でボソボソと喋っていた。

本人こそ前にしないものの、まぁ色んなところで色んな人のことを言っている図の多いこと。
おそらく誰だって好き好んで人のことを悪し様に言いたくはないだろう。が、場や空間がそれを吐き出させることは、おそらくよくある。

私も裏で何を言われてるかわかったものではない。

が、就職当時は「ウソでもいいから少しくらい笑ったり、語調にまろやかさを持たせてほしい」と涙目で思ったものである。

それを考えると、表面的にはほぼ理性的に接することのできているあの先輩たちは、単純にすごいなと思う。コントロールできる部分は、コントロールしようとしている。まるでロボットのようだ。

そしてそのロボットの関節の隙間から、グロテスクな筋繊維や脂肪や骨が見え隠れしているが、そこは本当は人間だもの、仕方ない。

あの人たちもあの人たちで、あの限られたフィールドで精一杯仕事をしているのだ。精一杯何かをしている人を、たとえその人がどんな人であろうと、悪し様に言うことはできないような気がしてきた。
とても人に向けるような言葉ではないような言葉や、人として言ってはいけないような言葉を言っていたり、理解が追いつかないほどに情緒不安定になって取り乱されても、それはただ悲しく、哀れである。それを向ける方も、向けられた方も。

何が悪いとか、誰が悪いとか、そんな簡単なことで事が片付けば、よかったのにね。



深夜勤務後、病院内をすり抜けて大学付属の学食に向かう。
平日の朝だからか、クーラーの効いていない暑い廊下にワサッとドクターを待っている、MRさんたちが並んでいる。
視線をうつせば、大型プリンターを運びに来ている業者の人がいる。
みんな、働いている。そうしないと生きていけない。
私も、労働者のひとりだ。


軽く朝ごはんを食べたあと、疲れた深夜明けのぼやっとした頭で、ガタついた自転車をこぐ。

ああ、太陽が、熱い。

深夜明けの太陽の光はいつも痛くて、目に沁みる。

そう。太陽は熱いのだ。

太陽がまわって、地球がまわって、朝と夜が繰り返される。
その繰り返される朝と夜のもとに私たちは生活をまわし、何かしら活動をして、生きている。
太陽すらもまわっている。太陽だからこそまわっている。
だからこそ、かどうかは判らないが、それと共に私たちも生活を回している。回しているために動き続けなくてはいけない。

まわりたくないなと思っても、この世にいる限り止まることができない。
いや、この世にいなくても、たぶん止まることはできない。

仏教のえらい人は、何を思って解脱とか、輪廻からはずれるとか考えていたんだろうか。何もかものしがらみから抜け出して、さらに高いところを目指して、どうなりたかったのだろう。どうなるというんだろう。
ラクになるということ? ラクになるということすらも、越えるということ?
何それある意味スーパーニート? それってすごくね?


とりあえず、どうやったって逃げられる事なんてないのだという事はわかった。


太陽にすみずみまで照らされて、逃げ隠れる場所などどこにもない。

もし太陽が女だったら、相当キツい女だっただろう。自分の真面目さやバイタリティを、他人にも厳しく要求するに違いない。

私がこんなに頑張ってるんだから、あんたたちだけ逃げようったってそうはいかないわよ、とか何とか言ってビシバシ太陽光線をまんべんなく放射してくるのだ。やめて。やめてくださいよ。



だめだ、相当認知がイカれてる。甘いもんでも食べてさっさと寝よう。





2010年09月14日(火)
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