脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 救急搬送

救急搬送患者を受け入れるには、ICUやHCUのベッドが空いていなければならない。
だが一方で、救急患者として搬送され、脳死判定がずっと出ていてもそれ以外の機能を無理にでも、いつまででも生かし続けてほしいと家族に請われてずっとICUにいる患者さんもいる。
またある患者さんは、経過がある程度安定しても、この急性期医療を行う病院には長くいられないため次の転院先が必要だけれども、「次」の転院先が決まらない。理由は、本人にとって必要である医療的な条件(急変する可能性を残している、等)と家族の条件(実家の近くにない、医療者を信用できない、等)と実情が伴わない、都合のすりあわせがうまくいかない。など。
またある患者さんは、ギリギリ生命を保つラインで生きていて再度のオペが早急に必要だけれども、院内で急変が起こり緊急手術となった患者さんのために手術ができずに集中治療室で管理しつづけざるをえなかった。

ベッドは、いつまでたってもなかなか空かない。空けられない。ときが、ままある。
極論で言えば、ベッドが空くときは、すなわちその人が死亡するときか軽快するときで、
集中治療室のベッドを空けろという事は、軽快しろと言っていると同時に死ねと言っているようなものなのだ。


いのちは、それぞれの人とそれを取り巻く人々にこそ最も重く受け止められ、
いつでも一番重要なのはその時そこにいる、その人自身たちだ。
それぞれ皆が、自分とそれに属する人が一番大事で、目の前にあるのはその事実で、他者の事実など見えようはずもない。
だが、それは至極当然のことで。


2008年11月30日(日)



 ホスピスケア〜希望の家〜

「きこえてる? …きこえてるよね」


「もうすぐね、天国にいくよ」
「がんばったねぇ」
「いいこと、たくさんあったねぇ」


限りなくやさしい声が、もう間近のその人の横で囁かれた。


医学的にもう回復が見込めない末期の方や、死期の近い方が過ごすホスピス。
ホスピスに入ってから、周囲の人たちと色々あったその人も、もう間近のためにベッド上でずっと横になっていた。
もう、あと、2,3日。
往診に来た医師とスタッフの間では、改めて入院はさせない方向で話が落ち着いた。

そのあたりから、宿直であったり昼間勤務のスタッフは、かわるがわるその人のところで長い時間を過ごすようになる。
お見送りのときまで、その人が一人にならないように。
なるべくさいごまで、一緒に居られるように。
そして、やさしくこんこんと声かけをするのだ。
なるべくいい思いのまま、いってもらえるように。
さいごに、やさしい気持ちが残るように。

聴覚はさいごまで残るというから、たぶん聞こえてるんだと思う。


さいごのさいごまで、看取る。
さいごのさいごまで、寄り添う。

こういうのが、本当の看護の一つなのかもしれないと思って、
どうしようもなく涙が出た。



その施設では、入居者もスタッフも「生きる」ということをちゃんと見つめているという。
ホスピスって、そういうものなんだろうと思う。


その人が亡くなった後、スタッフがその人の思い出話をしながら和やかに笑っていた。
自分のいる現場は子どもばかりで、その上外科系なので、治る事が前提だ。しかも普通に生きていれば、本来たくさんの未来が待っている筈の存在だ。
だから、亡くなってしまったりするとどうしようもなく皆、やっぱり苦しいし悲しくなる。並大抵の悲愴ではない。
大学のころから、いずれホスピスや緩和ケアに行きたいかもと思っていた私も、就職してからはその死に耐えられない気がしていた。

けど、やっぱり、気になるなぁ…


どれだけ成長したら私はその現場に立てるだろうかと考えると、
いつまでたっても立てるようにはならない気がする。
でもその気持ちは心にとどめて、
とりあえず今を頑張るか と、思いなおす。



2008年11月07日(金)
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