脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 ともしび


たくさんの命の灯が街にともっていて、

ふいに風が吹いて、

いくつかの灯が消える。


その灯は不運にも偶然消えたように見えるけれど、

吹いた風にはそういった軌跡があって、

その風がそう吹くには、そういった機序がある。

私達にはその機序は判っても、

そう吹いた風の意図は、わからない。


私達はその灯に、また火をつけるためのマッチも何も持たない。

たまに持っている人がいて火をつけるけど、また同じように風が吹いて、

どうしてもその灯をともさせてくれない。

つけてもつけても消える火を見て、無力感に苛まれる。



2008年12月25日(木)



 かみさま、


今に限ったことではないし、
別にどこにも因果関係なんてありよう筈もないんだけど、
それはわかってるんだけど、

神様、どうしてご自分がお生まれになる前に、
こどもたちを何人も連れていってしまわれるのですか。


はじめてのクリスマスも迎えられなかった子、
迎えるのが当たり前の家族の中にいて、もう迎えられなくなった子、


クリスマスとか、お正月とか、おひなまつりとか、
家族で迎えるべきイベントはたくさんあるはずなのに、
たくさんあったはずなのに、



いのちは地球と同じくらい重いとか聞くけれど、
私には地球の重さはわからない。
たぶんそのご家族たちも、地球の重さなんて知ったこっちゃないと思う。
唯一のものを比べる定規なんて、たぶん、ない。



でもやっぱり、こどもは親より早くしんじゃだめだ。



2008年12月24日(水)



 2008年12月11日

術前に、一人で部屋にいるのがさみしくて泣いてたあの子は、
あちらではさみしくて泣いたりしていないだろうか。


もう痛いところは無いだろうか。
苦しいところは無いだろうか。
声は出るだろうか。
目は開けられるだろうか。
動けるだろうか。



どうか、
さみしい想いをしてあの子が泣いたりしていませんように。




さいごに、目が開いたときに会いに行けてよかったよ。
お見送りも、できて、よかったよ。
がんばったねえ、






なんだか、メールを送ったらお返事が返ってくるような気がするよ。
でも、送ったってもう、見てくれる人はいないんだよね。




最初に涙がたくさん出たのは、きみの受け持ちになって現病歴を知ったとき。
次に涙がたくさん出たのは、まだ2,3週間は大丈夫そうだとカルテ上で確認したけど面会に行って、部屋に戻ってきた瞬間。
何でかわからなかったけど、ものすごく苦しくて泣いた。何故だかあまりにも辛くて、立っていられずに玄関で崩れるようにして泣いた。
結局、それがさいごの面会になった。
次に涙がたくさん出たのは、翌日。
病棟から、いってしまったという報せを受けたときと、
急いで実家から病院に戻ってお見送りをして、ご家族の方の姿も見えなくなってから。
そのあとは、なにも。

まさか、2回目の面会の翌日にいってしまうなんて。



考えようとするけど、あまり考えられない。もやもやと何かに邪魔をされる。
でも私はなるべくていねいに、あの子のことを思い出そうとする。
いろいろ考える。少し母に話したりしてみる。でも本当に口にしたいこととは何か違う気がする。
ただ無性に、やさしい歌が歌いたい。
上まで届くような歌が歌いたい。

何かに、すがりつくようにして泣きたい。泣けない。



2008年12月12日(金)



 

「アイスクリーム、ケーキ、チョコレート等を口に含ませてもいいと思います」
何よりも現状を伝える一文だった。


普段は2,3行しか書かれないドクターの記録が、
15,6行にまで及んでいた。
そしてそれを書いているのは、二番目にトップの先生。


何としてでも私は今日、あの子に会いに行かねばならない。
泣くのは早い。泣いてはいけない。

……泣かずに会えない。

2008年12月10日(水)
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