脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 生と死、たましいの話〜10歳の男の子と〜

10歳のM君との会話
〜生きること、死ぬこと、たましい について〜

思いがけず、楽しい会話ができて嬉しかった。



生まれた頃から手術を繰り返して、長い入院生活を送り病院にすっかり慣れてしまっているM君も、
ひとりで早朝に目が覚めるのは、たとえ大部屋の中にいても心細いらしい。
しばらく彼は詰所でお喋りしたりゲームしたりしていたが、やがて日課の早朝散歩をするからというので一緒についていった。
休日ということもあり、まだがらんとした院内は少しこわいらしく、手を握ってきたのできゅっと握り返す。


手術後のため体に入っていた管が、体調がよくなってきたために抜いたときの話をしていた。
「痛かった、泣いちゃった。赤ちゃんの頃は注射されても泣かなかったってお母さん言ってたのに」
確かに、管を抜いた時M君は大暴れの大泣き(いや、大吼え)で、なまじ体が幼児とかよりはでかいため、脚を抑えるのもそれはそれは大変だった。
「そりゃあ痛いもの。赤ちゃんのときのほうがね、痛みを感じないって言われてるんだよ」
「そうなん」
「うん。あとすごいおじいちゃんとかおばあちゃんとか。M君みたいにある程度おっきくなった子のほうが、痛みを感じるんだよ。M君よりずっと大きなお兄ちゃんだって、泣き叫ぶことはあるんだよ」
「そうなん!」
「うん。だからM君が痛いって泣いちゃうのは、全然おかしいことじゃないよ」
「そうなんだ」
「赤ちゃんとおじいちゃんおばあちゃんは似てるところがあってね、まるでおじいちゃんたちはまた赤ちゃんに戻っていくみたいに、痛みもあまり感じなくなっていったりするって言われてるんだよ」
「どうして?」
「赤ちゃんの前って、生まれる前ってことでしょう。おじいちゃんたちの後って、死んだあとってことでしょう。生まれる前も死んだあとも似ていて、おじいちゃんたちは生まれる前に戻っていくようになるから、だんだん赤ちゃんに似るところが出てくるんだって言われてるよ」

生まれる前と死んだ後にあるのは、その人の魂で。
このあたりから魂の話に発展しだす。
M君の、今までの疑問が次々と飛び出す。


「たましいってな、一度死ぬと消えるって言う人もおるが。それってほんとなん?」
「本当の事はね、ほんとは誰もわからないんだ。ただいろんな人が色んな事を言っていて、一度死んじゃったら魂も消えちゃうって言う人もいれば、魂は消えずにまた新しい命に生まれ変わるっていう人もいるよ。
看護師さんはね、また生まれ変わるんじゃないかなって思う」
「そうよな。だって魂が消えるんだったらさ、なんで霊がおるん、って話になるもんな」
彼の中ではちゃんと霊は「在るもの」として認識されているらしい。その割に、幽霊がこわいっていってたな。だからかな?

「魂ってさ、頭にはいってるって言う人もいれば心に入ってるっていう人もおるが。どこに入っとるん?」
「それもね、本当のところは誰もわからないんだ。でもなんかさぁ、どこかひとつの場所に入ってるっていうよりは、何か、身体全部に一体化してる感じがせん?
こう言う人が居るよ。人って死んじゃったら、お墓作るでしょう。お墓に骨を埋めるでしょう」
「うん」
「たとえ体を焼いてしまって骨だけになっても、魂は自分の骨を憶えているから、魂が離れてもすぐ骨のあるお墓のところに戻ってこれるんだよ」
「ふぅん…!」
「魂が戻ってこれるその骨のあるお墓をお参りをするのはね、生きてるひとが死んだひとに会えるからなんだよ」


「魂ってさ、本当は虫も人間も動物もみーんな、話ができるかもしれんよな」
「面白いこと言うね。看護師さんもそう思う。私たち人間でさえも、アメリカ人とか日本人とかいて生きてるうちは言葉が違うからお互いうまくお話できないでしょう。でも死んでしまったら言葉の違いなんて関係なくお話ができる、って言ってる人がいたよ。魂同士はお話できるんだって」
「そうなんだ!」

休日の早朝、まだしーんとなっている院内を二人で手をつないでてくてく歩く。
ちょっと引け気味の声でM君がつぶやいた。
「こんな話してたらさ、霊とか出るかもしれんな。こわい」
「そうだね。でもこの病院で出るとしても、皆頑張って頑張って死んじゃった人たちの霊だから、こわくないよ。大丈夫だよ」
「がんばって…、」
「うん。考えてごらんM君、もし、会いたくてももう二度と会えない人や友達にまた会えたら、嬉しくない?
看護師さんだったら嬉しくて泣いちゃうな」
「うん、うれしい」
「ね」
がんばって死んじゃったひとたち。
その話をしたとき、M君がぽつりとつぶやいた。


「Aくんも頑張って死んだんかな」
「Aくん?」
「うん。Aくんは○○病院にいた時の友達でな、手術して菌が全身にまわって死んだんよ」
「そっか…、うん、Aくんはすごく頑張ったと思うよ」
「Aくん、手術いくまえに、がんばるからって言って行ったんよ。さいごにAくんと喋ったのがそれだった」
涙がにじみそうになった。
「うん、じゃあAくんはぜったい頑張ったんだよ。Aくんはすごく頑張ったんだ」
頑張ったのはAくんで、泣くべきは私ではない。
もう二度と戻ってこないひとたち。かなしみはずっと消せないであろう肉親。忘れることなんてできない友達。
…病院生活の長かったM君は、どれだけの人の死や回復、退院を見送ったんだろう。


「どうしてかな。どうして助かるひともいるのに死ぬひともいるんかな」
「どうしてだろうね………、」


「まださ、看護師さん(←私)と知り合ってそんな経ってないじゃん、
でもこんなに仲良く話できるのは、前に魂の仲がよかったからかもしれんよな」
「そうだね。前の命のときにもしかしたら仲良しだったかもしれないね」
「こういうのって、魂って憶えてるのかもしれないね」
「うん、かなしい気持ちとか嬉しい気持ちとか、だいじなこととかも、魂って憶えてるような気がする」
「うん」

とても充実した気持ちになった頃、私たちは少々長めの散歩から病棟に戻ってきた。
すごい。10歳だともうここまで考える事ができるんだなあ。
同世代の子よりも、ずっと忌憚なく生死に関する話が、すなおにできた気がして、すごく嬉しかった。
こういう話、最近してなかった。

病院にいる子もそうでない子も、こういった話はもっと素直に、好きに、お互い話していいんじゃないかなあと思う。



うちの父も詮無い事を大真面目に考えるひとで、
まだ年端もいかぬ私を前に2時間も3時間も、生と死について、死んだあと魂はどこへいくのか、今の文明ができる前の魂と体の在り方、とか、そんなんについてたっぷり語ってくれた。私はそれを興味津々に聞いていた。魂とは何か。ソレを宿すヒトの器とは、この自然の中でどういう機能と役割を持っているのか。そのシステムはどんなに画期的なものか。
(生き物の体を構成する材料は非常にシンプルであり、この自然に実に豊富に存在する物質から成っている。それは最初からプログラムされており、「いくらでもある物質」であるがゆえに我々の身体を構成し得るのだと彼は言う。そしてこの身体たちは同じく自然にあふれている食物や太陽からエネルギーの源をこの器で受け取り、それをうまいことエネルギーに変換して活動している、こんなに素晴らしい(魂の)乗り物〔ロボット〕は無い、と、ロボット機械工学を学んでいた彼は言う。)
そういう話は本当に、おもしろかった。

関係ないけど、海外旅行に行ってヘルスで失敗した話すらも父は忌憚なく話してくれた。まだ中学生なりたてくらいの当時の私に。(しかもそれを何年かおきに繰り返し話して聞かせてくれる)
セックスはひとつのコミュニケーションだから、愛のある相手とでないと気持ちよくない、ってよく教えてくれた。…ありがとう(笑)。不出来な娘は、今後の参考にはさせてもらっておきます。




2008年07月12日(土)
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