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■ 隣の芝は
実は私は、中学生の頃から哲学科に憧れていた。 哲学が何かなんてろくに判ってないのに、ものごとについて考えるのが好きだ。現象について。誰が何だとか、そんな個人の事情なんかどうでもいいのだ。大事なのはそこに発生して存在する現象の意味とかたちだ。
けれど哲学科を出たって具体的な将来食っていけるビジョンが無いってんで、こんな「手に職」みたいな道に来た。 けれどこちらの方にも魅力を感じたから来たわけで、 人間や人間の身体の中の仕組み、 そしてそれを恐ろしいほどに侵食する疾患やウイルス、そこに生まれる不可思議な現象にどうしようもなく惹かれていたのだった。 そういえば小学生の頃、夢中で毒キノコの図鑑や放射能の本(奇形児)や公害の本(奇病)を読み漁っていた。人体への致死的な影響を目の当たりにするたびに、どうしようもなく興奮した。残酷な好奇心である。
しかしフラリと哲学科の紹介ページなんぞを見ていると、これまた魅力的なのだ。 身近な現象から「行為とは」「他者とは」「存在とは」とか考えることを突き詰めたり学んだりする場が哲学科であるなら、と思ったらゾクゾクして仕方ない。なんて楽しそう。なんて心地よさそう。
そうなのだ、結局はただの興味と好奇心だ。 使い物にならなければ、好奇心など野次馬根性で終わる。 自分の好きなことを好きなぶんだけ、学ぶなんていうのは娯楽なのだ。 好きなところを旅するのと似ている。 本当に好きなことを好きなように仕事に出来ている人間が、いったいどれほどいることだろう。 それを突き詰める事ができるのは、苦しみを伴う努力が置き換えられるだけの情熱と才能を持っているからだ。
隣の芝は青い? 私は芝を勘違いしている。 芝(仕事)ではなくアレらは花(娯楽)である。 芝を見ているつもりが、花ばかり見て「いいなぁ」とか言っているたわけ者なのだ。
世界一周できるぐらいお金がたまったら、哲学科に通おうか。 いやむしろ、本当に国外逃亡でもしようか。
いずれにせよ、娯楽を楽しむ余裕を持てるようになってからの話だ。
2007年07月24日(火)
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