脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 


「もし物事がうまくいかないのであれば、
それは適切なやりかたをしていないからだ」


何かから逃げるために選択する何かってのは、
何か無理をして見つける何かってのは、
適切なものではないのだろうとは思う。

困難な道をどうにかする方法は、
その道を通っていくしかないのだという言葉があった。

そう、多分本当は迂回路など存在しないのだ。
その道を通るしかないのだ。


ああ、

じゃあせめて、
パーキングエリアが何処にあるか教えてくれ。



2007年06月23日(土)



 人は避けられない

ああ、今気付いた

人のいないところに行けば人と関わらずに済むんじゃなくて、
人の少ないところほど、お互い協力して関わりあって生きていかなければいけないんだ。

山の奥深くの集落は、仙人のようにまわりから離れて住む場所ではないんだ。




2007年06月22日(金)



 


心配して電話かけてきてくれたおとうさんに、

「つらいよ」って一言が いえなかったよ



2007年06月14日(木)



 ばかにしている、日本人

「やっぱりあっちの人たちにもプライドはあるんですか、そうなんですか!」


黙っていたが、傍で耳に聞こえてきたこの言葉に純粋に怒りを覚えた。



うちの職場でとある発展途上国にスタッフの何人かが指導に行くために色々話していたが、いくら指導するとはいえある意味国と国との接触なのだ。
どうして相手と対するのに相手を尊重するという心が無いんだ。
後進国だろうが発展途上国だろうが、その国のほぼ中心といってもいいトップの病院に、選ばれた精鋭スタッフたちだ。それこそ信念を持ってよほど勉強して努力してるだろう。

ちゃんとして頑張ってる人を、尊重しないほうがおかしい。どうして誇りが無いだなんて思えるのかわからない。
どうして無意味に下に見ようとするのか(しかもそれが無意識だから性質が悪い)。
先進国ではない外の国での・外の国に対する日本人をちょくちょく見たり聞いたりしてきたが、世界の中での日本に住まう日本人としての自覚も十分にないような人が、どうしてでたらめな定規を使って他国者と自分を比較して簡単に、無意識に相手を尊重しない態度を取ってしまうのか。
大学の教授でも国のそういった筋の組織の人でも、判らない人は本当に判っていない。


変なところで中途半端な馴れ合いをして大事な事をうやむやに流そうとしたり、相手の真剣な習慣や文化を笑ったり、自分の国のことが一番正しいと他のところでも当たり前のように通そうとしたり、


正直、恥ずかしい。




こんなことを声高にえらそうに言っている私も、恥ずかしい


2007年06月10日(日)



 

「死滅させることが不可能な毒物のアミノ酸・ドウモイ酸を持つケイ藻は、地球を破壊しつづける人間に対し原始生物として抵抗しているのではないか」(tvより)



いやぁ、ケイ藻はただ生きてるだけだろ

私らだって地球を破壊しようという目的のもとに存在してるわけじゃなくて、ただ生きてるけれど結果的にこういうことになってるんだろう?
そして、生きてるケイ藻が生み出すあるアミノ酸が結果的に私達を死に導く結果になったとしても、そこにあるのはケイ藻の意志ではなくてそれもただの必然の結果だ。


種の互いの関係性やその行く末に意志を働かせ調節しようとするのは、
おそらく当事者云々がどうこうできている話ではない


舞台の役者は私らだが、脚本家と舞台演出家は私達の視えないところにいる
私らはこの舞台が、本当はどうやって何のために出来たのかすら、
おそらく知らない。

2007年06月02日(土)
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