脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 なくなった日記

じつはもう一個、日記を持っていたのだが。
結構前もポツポツ落ちていたのだが。

…とうとう死んだか、エブリダイアリー。



自分の日記をロクに保存してるわけもなく、
けれどかなり真剣に書いてたから、
そんな武士のようにバッサリ潔く全部データ飛んでしまった私はこの心のあなをどうすればよいのだ
忘れろっていう事か



とっておきたいものや
憶えておきたいものほど、
予想よりはやく消えてしまって、
しかもそんなものに限って大事に取っておけていない。



忘れるには大事に育てすぎた、
取っておくには目を逸らしすぎた

もうちょっとしがみつけばよかった、
いっそのこと消えてよかった


だいじにだいじに忘れる作業を終えた頃、
また日記が復活してたら、
私は迷わず消せるだろうか

2007年05月21日(月)



 「目立たない」

「目立たない」ということは、
ただ地味に何もせず存在していればいいというものでもない。と思う。

「目立つ」と思われる時というのは、
良くも悪くも「相手の意識にひっかかりが生じたとき」であるように思う。
要するに、
「こうだろうな」と思う相手の思考の道を、
邪魔したり途絶えさせたり混乱させたりするような、
「えっ?」と思わせる言動や現象のことだ。


だから、只でさえいっぱいいっぱいで
正直極力目立ちたくないときは(目立つというのは、長期的視点で見てもマイナスに働く事が多い)、
相手が期待する・予想している言動をなるべくトレースするように動くと、トラブルが少ないように思う。
何もしないわけではない、
けれど何かしすぎるわけでもない、
これは正直けっこう難しい。
プラスに逆転させるにしても、徐々にしていったほうが相手の拒否的反応をなるべくマイルドに回避できる。(しかしながら注意せねばならない点は、この「徐々に」というのは自分の基準ではなく相手の要求しているステップの基準にあわせるという点である)
人は、プラスにしろマイナスにしろ突然の変化には少なからずストレスを感じるだろうからだ。


これの良い点は、比較的落ち着いて行動できて、
しかもそのために結構自分の実になることが継続しやすいことである。


2007年05月18日(金)



 

おなかは若干減るけど、ごはん食べるよりしたいことがたくさんある。
ごはんは生きる楽しみの一つかもしれないけど、ごはん食べるために前後に費やす時間が勿体無いと思ってしまう罰当たりな兆候が。

(そういえば小さい頃、私はあまり寝ない子だった。
父に「なんで寝ないんだ!!」と怒鳴られて、
「だって寝るのもったいないんだもん!!!寝ることよりしたいことがたくさんあるんだ!」ってハッキリ言い返したので父はびっくりしたらしい(元来おとなしゅうてすぐ泣く子じゃったんよ)。びっくりしたのは私だ。)


ごはん食べずに生きれたらいいのになと思うけど、その状態が続くと胃酸にやられて胃潰瘍になって胃がんになって胃切除とかになって、本当にごはんをロクに食べられない事になりかねないなと思うと、皮肉だなと思った。

勿体無い勿体無いといいながら、有効な時間の使い方はできてないところが愚かというか何というか


望む世界はそうではないのだけど、「そう」以外なりえない事態っていうのは、たぶんよくあることだ。
そしてその打開策は、シンプルだったりシンプルであるがゆえに突拍子もない方法だったりする。


ああでも本当は、
生きるために行う色々なことから遠ざかって、
雑多な周りから遠ざかって、
ただ内的世界に籠もって籠もってじーーっと「なにかを考える」海に落ちていけたら、
いいのにと前から思っている。

けれどそういう状況になった場合、
私はからっぽになって
なにも考えることが出来なくなるんじゃないのかと思うから、
今のようにとりあえず生活していくのが今の自分にできることなのだろう、と思う。



2007年05月14日(月)



 「自己中心」≠「自己のみ」

own - centered
「自己中心」的な世界には、
     other
かならず「他者」が存在するわけで、

only myself
「自己のみ」の世界には、
     other
おそらく「他者」は存在しない。



そして本当の「自己のみ」の世界に生きる人は、
おそらく「自分自身」を映そうとする鏡も厭わしく思うだろう。
自己であって自己以上でも以下でもない存在があればいいのであれば、
それをその世界に存在させない「他者」に認知させる必要性も、
「自分自身」という「他者」に認知させる欲求すらも、
厭わしく思われるであろうからだ。

2007年05月13日(日)



 



死の匂いを感じさせるほどに

雨で朽ち落ちた牡丹の花には、

ぞくぞくさせられるものがある。




2007年05月06日(日)



 存在や事象の居場所

平面に広げた地図には真ん中があり、
自国が中心に据えられていたりするが、
球体の地球において「真ん中の国」などというものは存在しない。


また、
地球はこの銀河系のためにいるわけではないし、
この銀河系の中心でもない。



この世界は決して私達のためにあるわけではなくて、
私達は世界に存在してるだけである。
ただの一員であり、その一員に区切りなどつけれよう筈もない。




これは、お互いの価値が同等だと無理矢理じみて声高に叫んでいるのではなくて、
ヨコやタテでものを見るということに注目する事自体が、既にそれに囚われているわけで。
そうではなくて、
自分達を中心にすべてのものごとが存在するのではなくて、
本当は、ただ自分達はそこに居るだけなのだと。
それ以上でもそれ以下でもないと思う、だけの話だ。



意味づけや価値づけをするには全て、理由や思惑・望みが絡んでいる。
そういうのを全部とっぱらったら、
そこにあるのは何のてらいもない、ただシンプルな存在や現象であり、
私はそれこそが、それだけで、それゆえに、
だいじなんじゃないかと思っている。
それを見落としたくないと、忘れたくないと思っている。

2007年05月01日(火)
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