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■ この世の郷とあの世の郷
この世で生きていくには、たぶん、 この世で生きていくように 生きていかねばならない
この世にいる限りは、この世を生きていくためのこの世なので、 生きるということがこの世の郷なのだろう
そのルールを放棄するのであれば、その郷の方が「出ていってくれ」と言うのだろうと思う。
だから、どんなに死期が間近でも、人は最期まで生きることの希望を捨てないと言われるのだろうかと思った。 生きている限り、生きることに対して微かでも望みを持ち続ける、 持たざるを得ないんじゃないかと思った。
そして、逆に考えると、 死んでしまったら、死んでいることそのものに関してその存在は望みを持つかもしれないとも。
たとえ死後、この世でないところに行ったとしても、その先ではまた別の望みがあるような気がした。
けれどそれは、死者のための本当の望みであって、生者のための望みではない。 死後の話は死後の話である。この世の当たり前な価値観や考え方、概念すべてまったくもって関係ない、別個のスタンダードのようなものがあるんじゃないかと思う。 生きてるうちから本当は、死後に望みをかけるのは成立不可能な話だ。 だから今、生きてる人たちがかけている死後の望みというのは、本当の意味で死後の望みではない。 この世の概念の生んだ死後の望みだ。
たいせつなことはしばしば、真実ではなくて救いだったりする。
それがいいとか悪いとかではなくて、 この世の郷と あの世の郷、 純粋に、ベツモノなんじゃないかなと思っただけである。
2007年04月30日(月)
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