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■ 不確定性真理
私たちは見えるようにものが見えているだけであって、
そこにあるものが本来「在るように」見えているわけではない。
これは多分大きなことで、 真実が見えないのには何か意味があるんだろうと思う。 いや、もしかしたら見えないことにより意味が生まれるのかもしれない。
今解明できないからといって未来永劫解明できないかと云われれば それは断定できず、 人間は過去の様々なポイントで少しずつ真実を暴いてきた(しかしそれにより、より真実が見えなくなった場合も多々ある) 解明できる現象が、時期段階によって制限がかかっていたりコントロールされているような感じがする。 それはまるで「この地点でこの反応が起こる」とそのポイントの上に指令用のコードが落とされた染色体のようでもあり、そう考えると今までの営み全てが生命体のようでもある。(自然の営みや法則や存在、物理的現象を生命にたとえて話すのはナンセンスであると云う声もあるが、生命にたとえて話しているのもそれが是ではないと唱えるのも結局は人間である。)
此処には様々な「真実」が存在していて、それは各々の人々にとって当たり前のように「真実」として存在している。 沢山の「真実」が存在するのはおそらく間違いとかではなくて、間違いだとか正解だとかいうのはきっとそこにはなくて、 いろんな「真実」が不確定に同時に存在することこそが真実であると、云われているような気さえする。
2007年01月30日(火)
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