脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 



幸せのうちに、自然であれ



2007年01月31日(水)



 不確定性真理

私たちは見えるようにものが見えているだけであって、

そこにあるものが本来「在るように」見えているわけではない。


これは多分大きなことで、
真実が見えないのには何か意味があるんだろうと思う。
いや、もしかしたら見えないことにより意味が生まれるのかもしれない。

今解明できないからといって未来永劫解明できないかと云われれば
それは断定できず、
人間は過去の様々なポイントで少しずつ真実を暴いてきた(しかしそれにより、より真実が見えなくなった場合も多々ある)
解明できる現象が、時期段階によって制限がかかっていたりコントロールされているような感じがする。
それはまるで「この地点でこの反応が起こる」とそのポイントの上に指令用のコードが落とされた染色体のようでもあり、そう考えると今までの営み全てが生命体のようでもある。(自然の営みや法則や存在、物理的現象を生命にたとえて話すのはナンセンスであると云う声もあるが、生命にたとえて話しているのもそれが是ではないと唱えるのも結局は人間である。)


此処には様々な「真実」が存在していて、それは各々の人々にとって当たり前のように「真実」として存在している。
沢山の「真実」が存在するのはおそらく間違いとかではなくて、間違いだとか正解だとかいうのはきっとそこにはなくて、
いろんな「真実」が不確定に同時に存在することこそが真実であると、云われているような気さえする。



2007年01月30日(火)



 エンヤ

enyaの曲の中でも、やっぱりCaribbean Blueが一番好きだ。

どちらかというと単調なメロディー進行、
けれど左から右へ、右から左へと悠々と流れるような旋律と、
とおくで響くバスの低音と、
包みこむような多重声が、
そこに世界を出現させる。

ひろいひろい、どこまでもひらけた海と空の大パノラマに、
切り立ったたかいたかい崖。
陽が高ければ空はどこまでも抜けるコバルトブルーで、
陽が沈んでくれば薄絹を幾重にもひいたようなうすい雲のヴェールが、
淡いオレンジからパステルピンク、ペールラヴェンダーに彩られた空に貴婦人のようにかけられる。

Boreus 北風の神よ …
Zephryus 西風の神よ …

と、歌がひとつの神話のようにある種神聖な世界がそこに在る


もっと私が感じた真実に近い表現をしたいのに、しきれないのがいつももどかしい。


enyaを知ったのは、中学のとき友達がenyaのカセットテープを餞別に渡してくれたのがきっかけだった。
初めてOrinoco Flowのストリングスのピチカート(アイリッシュハープ?)前奏を聞いたとき、カセットなのになんて綺麗な音が出るんだろうとまず、その透明感溢れる音に感動した。
次の曲で入っていたCaribbean Blueを聴いて、私の中でも歴史的に本気で好きな曲となった。
その次に入っていた明るくて聴きやすいBook of Daysも、同じぐらい好きになった。拡がりのある美しい声に、ただただひたすら感動した。

その後、怒涛のように私はCDを集めはじめた。
大好きな曲の歌詞は必死に訳した。
当時通っていた英会話学校の授業で、自分の好きな曲を何曲か使って、その曲たちを挿入歌としてひとつの物語を作りなさいという課題があった。
自分で物語を書いて、曲の歌詞を一曲分入れて、物語を書いて、曲の歌詞を入れて…というのを書いたあとは、それを自分で読みあげて曲も途中で一緒に入れて、自分なりのひとつのカセットテープを作る、というやつだ。今思えばなかなか考えられた課題だ。筆記と読解と発音のいい勉強になる。しかも大変だけど、ちょっと楽しい。成果も残る(恥とも言う/笑)。
正直英語のつたない私には、どういう解釈とも取れそうで隠喩に富んでいる非常に詩的なenyaの(正確には歌詞はenyaが書いてるわけではないのだが)歌詞は、話に組み込むのはすごく大変だったが、意地で使った。先生に頼って一緒にあーでもないこーでもないと唸った。何を言おうとしてるのか?何を伝えようとしてるのか?何を表現しようとしてるのか?直訳なんて何の役にもたたなかった。
他の人の曲も使おうと思って、先生に歌詞のことで質問にいったら「もしかしてenya?ああ違うのね、だったらうん、いいわよ(笑)」と笑われた覚えがある。


よく友達で、enyaは癒されるだとか眠くなるだとかヒーリングミュージックだとか言われると、好きになったばかりのころの昔の私は軽く憤慨していたほどだった。
enyaは眠くなるどころか、音、声、メロディー、世界観、すべてがエキサイティングで感動的なほど美しい音楽なのに、どうしてそんな止まった音楽みたいな表現をするの!!と。
癒されるというよりも、イマジネーションが拡がる。興奮する。
enyaの音楽がきっかけで、アイルランドの音楽に興味を持ち始めたんだった。

これだけ好きになれるものに出会えたことを幸せに思う。紹介してくれたあの子には、感謝してもしきれない。
私が大好きだった現代文の先生が、「いい本っていうのは何回でも読めるんだよね」と言っていた。
音楽もたぶん、同じような気がする。
この人の音楽は、たとえ私がいくつになって聴いても、本気で違う世界の夢を見させてくれるような音楽であるような気がする。


2007年01月29日(月)



 夜の執行猶予

気がついたら、もう日は暮れていて

さっきまで空を橙に染め上げていた緋色は、すっかりなりをひそめていた。

どんどん藍色が塗りこめる帳のなかで、

なにまだ夜がとぷんとあるさと笑ううちは、

まだ夜明け前というものを知らない。



夜明け前が本当は、

一番眠くて

一番暗くて

一番寒いのを、

まだ、身をもって知らない。



そして、その夜明け前にどう足掻くかで、

浴びる朝日がどんなふうにも変わってしまうのを、

まだ、身をもって知らない。


2007年01月24日(水)



 




明けない夜はないけれど、

それはただ明けるというだけで、

必ずしもハッピーエンドとなるとは限らない。


明けるだけの夜だって何十夜 何百夜も続けば、

それは明けない夜に等しい



2007年01月23日(火)



 せんせい



お父さんあてにきた年賀状に、「実は結婚しました」という報告をしてる生徒さんからの年賀状があった。

そういえば、生徒さんから昔きた手紙をこっそりお父さんの部屋で読んだことがあったっけ。
あんなただの太った親父さんに若い女の子から手紙がくるギャップに首を傾げたなぁ。

お父さんの部屋には、今も写真たてに飾ってある生徒さん達との写真がある。キャンプか何かに行ったやつだっけ。

お父さんの部屋には、ひそかに今までの生徒さんたちが生きているのかなと思った。


そう考えると、今私がいる分野で先生なんてなる気ないしなりたくないけど、先生っていうのも悪くないかもなとちょっと思った。



そういえばお父さん、「昔は教師なんか絶対なるもんかって思ってた」って云ってたっけ。

何いってるんだか。お話したり教えたりするの大好きなくせにさ。
人がいっぱいいる処にいないと寂しいくせにさ。

天職じゃんか、けっこう。




2007年01月10日(水)



 



最初の一日か二日は、みんなが自分の国を指さした。
三日目、四日目は、それぞれ自分の大陸を指さした。
五日目には、わたしたちの目の写っているのは
たったひとつの地球しか無いことがわかった。
byスルタン・ビン・サルマン・アル=サウド(宇宙飛行士)




2007年01月08日(月)



 バッハ



きてほしいところに音がきてくれる心地よさ

意識の隙間を音が埋めていく心地よさ

2007年01月03日(水)
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