脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 枠の外


色々な現象に、いちいち意味づけをしようとする人間は、面白いと思う。

「花が枯れるのは、木が枯れるのは、新しい命をつないでいくため」
だが事実だけを捉えると、花や木が枯れて新しい何かが芽吹く。
ただそれだけの話だ。

「○○のために、▲▲がある」
○○があって、▲▲があるだけである。

現象は現象であり、多くの場合それに一貫した意志を持った連続性を勝手に見出しているのは人間である。
だがその意味付けがやたら面白い。
何だか、星占いを見る気持ちと似ている。


だがその「つなげて考える」ことがいつもいつもうまくいくとは限らない。
また、困ったことに私達には言葉とか表情とか振る舞いとかがある。
うまくいかなかった結果が、同種には実に顕著にあらわれる。


だが結局は、その「つなげて考える」のが妥当かどうか考えているのも同じ人間なのだ。
勝手につくった勝手な枠のなかであーだこーだ言っているだけなのだ。
なんだかそう考えると、私達は壮大な夢の中で自己満足をしているような気分になる。
この壮大な夢の外にはいったいどんな存在があるんだろう。
この夢の中は、やっぱり安全なんだろうか。
夢の外を、見てはいけないんだろうか。



ひとの決めた枠の外が、気になって仕方がない。
私達の常識を超越する現実なんて、本当はいくらでもあるはずなんだ。

2006年10月27日(金)



 



ずっと寄りかかるのは甘美だけれど、
自分で立ってつきあったほうがきっと楽しい。

2006年10月12日(木)



 生きる体

夫である身体が必死に、
「生きるのだ」
と。
云っている気がするので、
「はい」
と、
つつましく、
妻のように母のように、
ここはひとつお返事をしておきましょう。


あなたがそう云い続けてくれて、
私は何だかんだであなたに感謝しているのですよ。
いつもこきつかってごめんなさいね。
本当はとても、大事です。


あなただけは最後まで私を信じているから、
私も最後まであなたを信じています。
だから安心して、お生きなさい。

2006年10月10日(火)



 

「明日最後を遂げるもの明日始まり築くもの
時が過ぎて花を付けたあなたの小さな心の中に一体何を残すだろう?
"Happy Birthday to You"」


必死で頑張っている子がいた。
本気で命がかかっているレベルで頑張らざるを得ない環境に立たされている子だ。
それが最後のラインを越えてしまわぬように


いやなほど、ある程度の形を持ってあらわれているソレを越えて
終わっていく大事なものがある
それを実感しながらも、かつて自分が始まった瞬間を意識に迎えるものがある


時が過ぎる 誰かの大事な涙が流れる
それを知っていようと知っていまいと
生き続けると 魂が宣言する
まるでそれが、
生まれたときから持っている、
当たり前の私の意志であるかのように


私も生きるでしょう あなたも生きるでしょう
どんな状況であったとしても、
たとえ生きれそうにない状況であったとしても、
変化という名のどうしようもない存在感を持った、
これ以上にない生の証明を伴って。


ともすれば死のようなものと隣り合わせになっている生。
それでも私は、生きていくのだ。
最後まできっと残る、この私の存在の意志とともに。
私という幼児のような人格の意志が望む望まないにかかわらず、
この瞳にこの世の色んなものを映して、
色んなものにぶつからせて。
色んなことを学びなさいと。
色んなものを感じなさいと。
まるで、生まれたときからの親のように。


人格の意志は、今までの経験からものを決めて希望し、拒む。
存在の意志は、私という生の存在と更にそれを越えたところからものを決める。
それはまるで、生まれる前や後のことも知っているような、
超越した、意志。

2006年10月09日(月)
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