脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 


強く引き摺り出されたら、中のものが出てくる。

ただそれだけの話だ。



今更目くじらをたてる必要が、どこにある?




ああ、そうか、
引き摺り出した側としては、
”今”が初めてなのだったな。

2006年07月24日(月)



 

とある小説にあった言葉


”「つまらない奴はいるよ。―(中略)―
確信犯のくせにおよそ聡明でない奴とかね。 〜」”



全く、笑えるな

2006年07月23日(日)



 迷言・妄言・戯言

「これから手にするためにその手は空いているくせに
一体何を強がっているのか」
**************
「人を怒らせる無神経と
いちいち目くじらをたてる神経質」
**************
「他の存在を貶める事に、
正当な理由などないのかもしれない」
**************
「裏切りという言葉を口にするなら、あなたはそれだけの信頼ができていたのかと
そして確かな、相手からの信頼を得ていたのかと
それは単なる一方的な依存ではなかったのかと
信頼が無ければ、裏切りは成立しない筈
独りよがりの「裏切り」が、なんと溢れていることか?」
**************
「命賭けてもらおうかというんなら、アンタも命を賭けるんだよね」


2006年07月20日(木)



 最後の電話

お母さん達が、日本を発つ前に電話をくれたときの日記。もうずいぶん、前。
思い出したように、ふっとのせてみる。


************

最後の電話、受け取れなかったよ…
留守電三件入ってた
しかも、最後のは私が帰った6分前だった…!!
聞きながら、いつもの癖で消しちゃった……

最初はお父さんの電話、
次はお母さんの電話、
そして
「もうお父さんもM(妹)ちゃんも寝ちゃったよ、お母さんも明日はやいからこれから寝ます。
行って来ます」
っていうお母さんのメッセージが最後だったよ…

ごめんお母さん、電話とれなくてごめんなさい
最後のおわかれの言葉すらも、私消しちゃったよぅ…

しかもこっちからあっちは、番号が判らないから待つしかないんだ、かけられないよ
明日朝早くでもいいよ 私ずっとおきてるよ おきてるから電話して…




次の日の朝八時、電話がなった
よかった!ちゃんといってらっしゃいって云えた!!!


************

最後にいってらっしゃいって言えなかったかと思うと、
寂しい想いさせたかと思うと、猛烈にくるしくてわんわん泣いた。

次の日、最後電話に出れていってらっしゃいって言えてすごくよかった、って思って嬉しくてまたわんわん泣いた。

2006年07月19日(水)



 

「退化する若者たち」って、アゴの退化病、って、
そりゃ若者ってか単に人類が退化(ある意味進化)してるだけなんじゃねぇのかな

そもそも退化って何かな
何にとってどうなることが退化なのかな
退化って言葉もアレかい、腐敗とか発酵とかっていう用語と同じような使われ方かい

2006年07月18日(火)



 雨癒

雨 は 癒しのモチーフです


泣きなさい 流しなさい 洗い流してしまいなさい

静かな雨に心凪いだ後は 雨のヴェールが身体を包みます

その身体をお風呂であたためて 優しく拭いて

ゆっくり おやすみなさい

2006年07月16日(日)



 生物のリミッター

生き物にはリミッターがかかっていると思う。
その事実が、とても面白いと思う。

今までにも色んなとこで書いたけど、人間の五感そのものが既にリミッターがかかっている。聴こえる範囲のヘルツ、見える範囲の可視光線、場所が限られている感覚点、舌の味覚範囲、嗅覚の限界。更に、脳だって全部使っているわけじゃない。肺だって、普段の呼吸で肺の容量全部換気できてるわけじゃない。

リミッターがかかっているという事は、余裕があるという事であり、何らかの力を秘めているということである。
何らかの力!

制限(リミッター)があるのは、余裕を残しておくためだけなのだろうか?
どうしてリミッターが課せられてるんだろう?
逆に、リミッターがないと駄目なのはどうして?

ああ、考えると楽しくて仕方ない。

2006年07月15日(土)



 時の薬

置いてきた気持ちに、
鮮やかに目の前を過ぎ去る本物に、
目を細めることしかできない。


でも、
細めた目を再び閉じて、また開けるくらいの余裕はできた



時と環境は、有無をいわさず問答無用でものごとの流れを形作る
傷をつくっていた環境も持ち去られることで、
傷は傷でなくなる場合がある


あらがえない流れがあって、よかった

2006年07月06日(木)



 

私はたぶん、色んないきものを育てられない人なのだ


種を蒔くということに抵抗がある
なぜって、それは実を結び花をつけるから
望んでないわ、そこまで
咲くならば、私の知らないところで咲けばいい
水もろくろくやらない子です

自分の花壇をマネージメントするより、
風に飛ばされる種が飛んでいく空のほうを見ていたい

だって自分の世界には、自分のつくる基準しかなくて面白くない
私が見たいのは、そんな世界じゃない

2006年07月05日(水)



 

悩ましい種が、実を結びそうで怖い




水をやっているのは、自分なのだけれど

2006年07月02日(日)
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