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■ ハッピーライフライン
「ライフラインを書きましょう」
そういって先生は一枚の白紙を私達に配った。
私達の、私達が予想・希望するような一生を線に表してごらんなさいと。
「どういう状況で、どう死にたいかっていうのもちゃんと書いてください」
色々悩んだ。 多分死ぬ頃には私の伴侶がいる(といいな)。 私が先に死ねば私は哀しくない? いえいえ、でもそれでは相手がひとりぼっちに残されてしまう。 それで残りの人生謳歌できるならいいけれど、 さみしい気持ちで残されるようなことになったら。 ひとりぼっちで、さみしいよって、 背中まるめてるような自分の旦那さんを思うほうが私は辛かった。 相手には最期まで幸せでいてほしい。 できれば私が看取りたい。 私の大事な人の中で、私が看取れるだけの人たちなら、私が看取りたい。 そうしてちゃんと、「じゃあまたあっちでね」っていう約束を交わすのも忘れない。 その時大事なのは、先にある真実ではなくて、 その時の心の真実だから、 その約束を交わすのを忘れない。
自分の死期がそろそろだなって判るといい。 判った上で、自分で動けたらなおさらいい。文字を書けるだけでもいい。 自分の思いつく大事な人たちに「ありがとう」と、もうひとつ、わかりにくいあいさつを伝えたい。 後から初めて判るような、お別れのあいさつを。 ああ、お葬式で読み上げてもらうのもいいな。 子どもがいたら、そしてその子がいい子だったら、お葬式くらい挙げてもらいたいな。 でももう会えない人がいたら、それはお葬式のあとに私が直接会いに行こう。
そうしてなるたけ心残りをなくして、いきたいなぁ。
ほら、言うじゃないか。
「立つ鳥後を濁さず」
って。
周りの人に辛い気持ちを残させないように、
綺麗に飛び立ちたい。
ハッピーライフラインの、できあがり。
わけもわからず生まれてくる私達が、(いや、でも本当はわかってるのかもしれないけど) 死ぬまでに考える猶予が実は残されている事実を有効活用したいなと、 思っているだけのおはなし。
2004年11月18日(木)
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