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■ クソ度胸とチャレンジ精神とガッツと。
「この名前の意味なんていうか知ってる?」 「Skyって意味なんだよ」 と限りなく爽やかに教えてくれたあの人の名前はノパドン・チャトノパドンといったか。(ノパドン=Noppadon=means "Sky" in Thai) 半年くらい同じところで同じことを勉強した仲間だ。
彼らの行動力とその範囲たるやハンパじゃない。 私は日本に帰った。 彼はさらに英語の勉強をするためマレーシアのELS(英会話スクール)を出てUSのオハイオ州のELS(アメリカが本元)に行ったそうだ。 理由はすべて仕事のため。 母国がタイの彼には英語を話せたらよりいい職につけるというのは常識だった。 彼(30代くらい)とは半年近く同じクラスにいたが、確かこんな私より英語は出来なかったはずだ。 それなのにいくら大人とはいえ単身アメリカ? 費用の高額さを改めて考えてみて、マレーシアのELSに残っていた私達は嘆息したものだが・・・・それを抜きにしても。 一体どうやって生活していっているのだろう? 生活するためにはそれなりにお役所を通さなきゃいけないこともあるだろうし、フォーマルな文書を作成しなきゃいけないときだってあるはずだ。 それをきちんと英語でクリアしていけるのだろうか、彼は。 私の英語力でさえなけなしの拙いものであるのに、それを更に下回っていた彼は。 目を見開くばかりだった。 あれからもう二年が経とうとしている。彼はあの地で働いているのだろうか。それとも。
まだ他にもいた。 マレーシアンチャイニーズのヤンリン。 彼女は・・途中まで同じクラスだったけど、途中から下のクラスに下がったんだっけ。気さくで明るくてメガネだったかグラサンだったかをアタマにひっかけて、いつも林檎食べてたような気がした。 彼女もイギリスに行ってバイトしながら大学行ってるんだっけ。 最後まで同じクラスだったヤオはマレーシアのペナンにとどまってそこの大学に行こうか(ペナンはマレーシアの中で教育機関が一番進んでいると言われている)カナダの大学に行こうか(友人が大勢行ってるらしい)迷っていた。 結局ペナンにとどまったらしいが。 ジャック(渾名)は私よりもひとつ年下のタイ人だったけれど、早々にELSをやめてインドの方の学校に行ったみたいだった。インドは身分の差が激しくて、教育水準の高いところは世界でもトップクラスなほど高い。 そんな中に身を投じていったんだ。 唯一いた日本人の、私より1つか2つ上の大阪出身の男の子は、あるレベルまでELSに通ったあと、コンピューター関連のビジネスに就くためにKL(マレーシアの首都)の大学に行ったらしい。 ペナンの日本人学校のとき同じクラスだったなつみちゃんも、インターナショナルスクール・・Uplandで大学受験資格(たしか”Oレベル”)を得るため、まさに今、頑張ってるはずだ。 いつだったか電話で話したとき、彼女は「国境なき医師団」みたいな医者になりたいんだって言ってたっけ。だからUplandでもこれから理系の教科をたくさん取るんだ、って。
・・・みんなそれぞれの道に果敢に挑んでいってる。 もうこれって「やれるかな、やれないかな」ってんじゃなくって「やるに決まってんじゃん」ていうクソ度胸とチャレンジ精神とガッツだ。 「とりあえず行ってやれ!」みたいな大胆さ。 認識を改める事はできても、それを行動に移せるかどうかはまた別問題。 実力とか、そんなのと、行動力ってのは全然違うんだ。
そんな所から、私は帰ってきてしまった。
けど、でも、いつか。
2002年06月29日(土)
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