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■ 自然の流れ、星の流れ
人間は、自然の流れに逆らっているのだと思っていた。 地球の流れがそのまま自然の流れだと思って、 そんな地球の歩みをとめて地球を汚しまくっている人間は、 そしてそれがヤメラレナイ人間は、 そのまま自然の流れをも穢して、流れに逆らっている危険因子のような、癌細胞のようなものだとばかり思っていた。 人間は、あるがままの自然、地球、それらの流れに対して、 異質な存在、不自然な存在だとばかり思っていたのだ。 ナニカガオカシイ。にんげんハナニカガオカシイ。 人間の流れは自然に逆らった不自然な流れであると思っていた。
でも、以前どこかで読んだ文章の中に、 この、地球を滅しているような人間の行為すらも大きな自然の流れの内にあるのだ、というような記述を見つけた。 環境破壊につながるような私達の行為全て、それらすらも自然の流れであると。 地球の歩みであると。 逆らっているのではなく、それすらも流れなのだと、云っていたのだ。 地球は確かに滅亡に向かっている。 でもそれは、人間がいたから、ではないのだ。 もともと生があれば死があるのは必然の事だった。 この地球だって、星の中心の材料が尽きて核融合反応(だったっけ)が終われば星としては寿命だろうし、その前に太陽の肥大化によって熱にやられてしまうかもしれないのだ。軌道が少しずつ変化して遠ざかっていってたって。 そういう事があるまでは、どんなに地上がぼろぼろになろうと星は星として生きている。 ただ私達が生きられなくなるだけだ。 地球を滅ぼすなんて、そんな仰々しいこと人間ができるわけがない。 地球は地球として、その星の一生を終えていく事だろう。 それに人間などが関与できよう筈もない。 そんな力あろう筈もない。 天災に翻弄されるのはいつも人間だが、自然が人間に翻弄される事はない。 枯れて朽ちて沈んで、だが真にいなくなるわけではない。 ただ静かに押し黙っていくだけだ。 その人間はいつかいなくなるのだから。
私はこの星の将来を見届けられたらと願ってやまない。 もし輪廻転生が成り立っているのなら、 来世で今の自分のこの願いを忘れていてもいい、ただこの星のゆく道を目の当たりにできたらと思う。 そのためなら、「何度でも生まれ変わってやる」なんて気になってしまう。 自分がこうやってまた生まれてきたのも、見届ける過程をどこまでも生きたかったからなんじゃとか、これを見たかった、知りたかったからなんじゃ、とか思ってしまうときがある。これって仰々しすぎ? 人間のゆく道を見ていくのも面白い。 詳しくいうと本当は、人間がこの星とどうやって関わっていって、最終的にどうなっていくのかを見たいのだ。 この星が終わるときはどんなだろう。 静かに燃え尽きるのだろうか、壮絶に散るのだろうか。 そのあと宇宙に音もなく浮かぶ様はどんなだろう。 地球から毎年3センチずつ離れていってる月は、どうなってしまうのだろう。 地球自体の引力がなくなったら、もうそこれこそ離れたい放題で、どこぞへと行ってしまうのだろう。 そのとき太陽系はどんなになっているだろう。 終わって行く過程も、終わるときも、終わった後も、そして再び生まれるときも、 どれも見ていたい。 でも無理なんだろうなあ。
でもせめてギリギリまで見れるように、何度でも生まれ変われたらいい。
2002年07月24日(水)
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