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■ 親には親の人生
両親が 大きな買い物の話をしていた。 お金無いって言ってたのに。 私を県外の大学に通わす金は難しいなんて渋ってるくせに。 私に出すお金はなくって、新しいでっかいクルマに払う金はあるんだ。 もう同じようなのあるのに。 これから老後のために家も買おうとしてる人が? そんなにお金ないくせに。 キャンピングカーとかに投資するお金はあっても、 子供の私の将来に投資するお金はないんだ。
―――――って、思ったけど。 ちょっと、気付いてしまった。 ――それは、彼女達の人生の中の投資なのだな、と。 あれは両親が生きていく上で、自分の人生に組み込みたい数々のもののうちの一つだったのだと。 そしてそれに、口出しする権利なんて私には無いと。 まして自分に投資しろなどと。 子供が自己の人生を生きる権利を主張するように、 親にだって親自身の人生を生きる権利が主張できるんだ。 子供だからって、親の人生台無しにしていいなんて権利無い。 主張すれば生きさせてあげるのが尊重するってことで、それはまたごく当たり前の事なのだろうなと。
私の人生を歩むのは私であるように、 私の人生があるように、 親にだって親の歩むべき人生があるんだ。 そんな当たり前のことに初めて気付いた。 そしてそれに私がどうこういうのは、ちょっとお門違いだった。
子供を精一杯、色んなものを犠牲にして育ててくれてるのは ほかでもない親の愛と絆があるからこそで。 子供のために親が犠牲になるのが当たり前なんていう考え方は、 慢心も甚だしい考えだった。 それにそんな風にとられてちゃ、いくらなんでも親の愛が哀れでならないよね。
2002年05月27日(月)
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