三楽の仕事日記
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2009年11月06日(金) |
第4回生徒指導担当者会 |
今日も朝から議会対応の仕事であれこれ。なんと表現したらいいのだろう。どう書いても差し障りがありそうだが、「この仕事はどれほど意義があるものなのだろうか」と沸々とわき起こる気持ちを抑えながらの時間は、確かに長い。こうした時間が数週間続きそう。
ある相談あり。必要だと思うところには予算が回せそうになくて、必要でないと思うところに予算がつく可能性がありそうだとのこと。我々にはその事情は分からないが、この財政事情で予算がつく見込みがあるのなら、それを活かすことを考えようと協議。
午後は第4回生徒指導担当者会。県教委からの諸連絡、各教育事務所からの現状報告が続く。中間期を迎えたこの時期、不登校生徒数は昨年より減少している状況で、来年度に向けて良い兆しが見られたことはなりより。
会議で提供された国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官・滝充先生の講演記録を読む。平成4年に国が出した不登校に関する報告書を否定し、平成15年に新たに出した報告書こそ、真の不登校対応・不登校対策を見据えたものであるという主張。滝先生から直接話をお聞きしたことはないが、歯に衣着せぬ内容で定評がある方だ。記録を読みながら、何カ所もラインを引く。例えば、
さて絆づくりと心の居場所の問題は大きく違う。心の居場所は平成4年に初めて使われた。15年にも残っている。受け手は保健室登校だとか相談室登校があるが、このこと自体は悪いことではない。受け皿になるからである。 平成15年にはそれに加えて絆づくりの場が入れられた。居場所は大人が造る。心の安定が得られた子ども達が次に彼ら自身がつくるのが絆なのです。この区別がつかない人が「お友達になってあげる」、「友達を探してあげる」、「学級担任が友達になってあげる。」しかし絆はつくってあげられない。一緒に仕事をしていく中でこの人ならやっていける、そう感じていくことが絆なんです。本人が感じ取ろうとすることが絆になる。 (「学びの協同体」を目指す学校の不登校児童生徒が減少したり、新たな不登校児童生徒が現れにくいというのは、仲間との学びを通して絆ができることが大きな要因だと自分は理解している。) 本人が主体的に参加しなくては絆はできない。保健室にずっと居て絆ができるわけがない。運動会なり修学旅行なり、一回でもやってみて、この子たちとならできる、この子たちが居てくれるから学校に行けるんだ、そう気づいて絆ができる。 だから一見親切な、実は、はた迷惑な先生が居る。「あなたは何にも心配することはない。私が居るから。」自分が支えになっていると思っている。 それは無茶。それはいつまでたっても飛び立たない。自分らしさが出ない。 「どんな時でもついていてあげるよ。」そんな状態で登校している状態では、中学校では迷惑である。中学校に来るわけがない。 大事なことはその子にとって、目指すべきゴールをはっきりさせることが重要である。卒業するまでに本人が一人で学級に戻る、それがゴール。そこまで返さなくてはいけないのに「私が迎えに行けばこの子は来る、私はこの子にできる最大のことをしている。」これは大きな間違いである。不登校状態を長引かせているだけである。 ちなみに我がグループでは、「絆づくりプログラムの開発」を2年前から研究校に依頼し、研究者の指導を仰ぎながらその妥当性について検討している。本年度末には検証したプログラムを公開する。また、ここで報告したい。
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