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■ 生を支える死
免疫系統の指令のような役割を担うTリンパを養成する場所が、ある。 胸腺、人呼んでエリート養成所だ。(←そう呼んでるのは私だけだが) まだちっちゃなTリンパが胸腺にやってきて、 そこで自己と非自己を認識するノウハウを徹底的に叩き込まれる。 エリート育成だ。私はこれを知った時からずっとそう思っている。
そんな養成所でTリンパが成長するのを優しく包み込んで、援助する細胞がある。 「ナース細胞」だ。Tリンパの生の援助者だ。
だが、これだけの徹底的教育を受けておきながら、 一人前になって体内の末梢系で働けるのは胸腺に来たTリンパの全体のうち、 5%しか居ないのだ。あとの95%は胸腺内で処分されてしまう。 数えるほどの優秀者以外は、ほとんど消されてしまうのだ。 自己と非自己の認識がうまくできなかったら、自分で自分を攻撃する事になってしまう。 だから、外に出る前に消されてしまうのだ。 そして、その消す役目を担っているのもまた、「ナース細胞」だったというのだ。
生の援助者であり、死の援助者であるナース細胞。
その死さえ、生のための死なのだ。
ところでどうだろう、今の医療(いや昔からか)はその95%をいかに5%にずらせるか、 という姿勢じゃなかろうか。 これから医療に従事する人間が言うのも変かもしれないが、 昔なら淘汰されていた筈の存在を、とどまらせる。そして、それが子を成していく。 その業が巡り巡って今、どこに来ているか?
アンバランスな援助は、最終的に死を招く気がする。 生のみの援助でなく、「よく死ぬこと」についてもよき援助者であった方がいいのではなかろうか。
2003年05月16日(金)
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