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■ 選んだものが廻ってくる。
「好きでこんなとこに生まれたわけじゃない」 とか 「あの子には何の罪もないのにあんな不幸な境遇に生まれて」 とか。 生まれてくるのには全く選択権が無いような言い方がされているのを聞く。よく聞く。
だが、そうだろうか。
本当に私達は自分の生まれ先を自分で選んでないのだろうか?
生まれる前なんてはっきり云って覚えてない。 ましてや自分の出生先を選択する、などと。 だが、私達は覚えてないのだ。 知らないのだ。 知らないのに、言い切れるんだろうか?
大人になると全く覚えてないと思うが、 3,4歳くらいの小さな子供の中には「生まれる前を覚えてる」と言う子もいるらしい。 その「生まれる前」の環境の表現は様々だが、「あそこに行こうと思った」とか「ドアを選んでいった」とか云ってた子もいるという話だ。 そんなのは子供の想像力が織り上げる作り話ダロ、って笑う大人もいるだろう。そこまで行かなくとも、懐疑的な見方をするのが普通だ。 だが、「無いもの」より「何かしら在るもの」の方に耳を傾ける方が少なくとも何かを掴めるきっかけにはなる。 火のない処に煙は立たぬ。ってちょっと違う??
だがそういう証言(?)がある限り、「あながち・・・」という見方もあると思うのだ。
思えば私達は常に選択をしている。 そして私達は何者にも属さない。 そして何者も自分のものには成り得ない。 自分のものは、生まれてから死ぬまで、いや、もしかしたら生まれる前や死んだ後も、自分のものなのだ、と思う。 「自分」は「自分」にのみ属している。 それ以上でもそれ以下でもない。 そして自分が自分のものである以上、自分の選択した行為はすべて自分に廻ってくる。 自分に廻ってきたこの出来事は、いつか自分がどこかで選択した出来事の結果なのだ。と、思う。 それが意識的にしろ無意識的にしろ。
自分の選択した事、というのにも、二種類あると思う。 実際に行動に移して選択した(例えば「車で出かけた」とか「何が起こるのか判らないボタンを押した」とか)場合と、 頭の中だけで意識の方向を変えた場合(例えば「自分はこうなるような気がする」とか「何か事故に遭いそうな気がする」)だ。 後者の方は第六感と言った方がいいのかもしれないが。 でも、そういう出来事を「感じる」というのは、「自分の潜在意識の中でその出来事を決定付ける」という事だろう。何かしらの確信を持つという事だ。 潜在意識には「流れ」があると思う。 自分の「潜在意識的に」思っている流れの方向に、ものは流れていくような気がするのだ。 だからやっぱり「自分の選択した事」というのは、その流れによって巡り巡ってくるものがあると思う。 言葉の使い方が下手な上に無駄に多いし、云ってる事が二転三転するので判りにくいが。
「選択」したものには「結果」が待ち受けている。 そしてそれはすべて自分にのみ属するものだ。 私達が日々「選択」する出来事や意識は、 何らかの相応しい、あるべき形ですべて自分に廻ってくる。 悪い事をやったから悪い事が廻ってくるとか、 良い事をしてやったから良い事が廻ってくるとか、 そんな極端なことを云ってるんじゃない。 自分の選択した些細な行為・意識一つ一つが、また自分に何らかの形で還元されるのだ。
還元されたものに気付いた時は、ちゃんと受け止められるといい。
でもこれは今の自分が、ここに居てよかったと思うからこんな平和ボケしたお目出度い甘ったれた無知な言葉が吐けるのかも(駄目だ・・自分で云ってて落ち込んできた)しれないし、これから先物凄く困難な状況に立たされた時何かに後悔するかもしれない。 そして色んな人に刺されそうな危険な言葉かもしれない。 が、刺されるほど沢山の人は読んじゃいないだろう・・、もしくは読み流しだ。
でも今掴んでいる(と思っている)確信はこれだった。
選んでたよ私達は。 きっと何処かで選んでた。
****** いつもいつも(根拠なしの)確信や観念のみで話を進めているので、主張していることがひどく薄っぺらな感じな気がするからなるべく根拠のしっかりした、事実に基づいた事を言いたいと思うのに、脳が足りない。こんなんじゃまともなエッセイ書けないわけだな。趣味で勝手にやるぶんにはいいんだが、試験で小論とかだと駄目だ・・・。
2003年02月28日(金)
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