脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 存在への問いかけ

人々が問い掛けた先には、
いつも答えが待っていた。
試すように、待ち構えていた。
そしてステップを上らせるのだ。
「永遠の問い」という名の階段の。


問いかけには、受け答えがあった。
それは一種関数的で、
ある存在に対してもう一方の存在が必然的に在る様に似ている。
私達は常に問う。問い続ける。
それは素朴な疑問であり、究極の問いでもある。
自分達の存在についての問い。

私達は存在している。
この宇宙に存在している。
そして私達は問うことをやめられなかった。
「なぜ」私達が在るのかという事を。

そんな問いを持てる私達が在る理由は?
私達は何故己の存在を問うのだ。
「在れ」ばそれでいいと見過ごせないこの衝動は。

くだらないとせせら笑う人も居る。
もっと他の建設的な事を考えろと呆れ返る人も居る。
でも問うという衝動が抑えられない人も居る。

それには多分理由がある。
「問う」という衝動が存在するのには理由がある。
「問われる先」が存在するからだ。

存在には理由があると思っている。
無いと存在出来ないのだ、などと高圧的な事を云っているのではない。理由があるのは必然なのだ、その存在が気付こうが気付かまいが。
私は、そう思っている。
何の根拠もあげられない、非常に心もとない主張だが、それでもある種の「確信」を思わずにはいられない。

そう考えると、問う事もあながち意味のある事なのではないかと思えてくる。


問われる先まで辿り着きたい。
輪廻転生が利くのなら、記憶がすべて無くなっていてもいい、私は必ず「問い」を思い出す。いや、思い付く。
そして問われる先へ辿り着くまで何度でも転生しなおす。
なんて貪欲で単純なのだと見下しても構わない、
それでも私はこの確信を失くさない。


今はまだ身体の中のちっぽけな筋細胞ほどの存在だとしても、ずっと転生を繰り返していれば、外を見回す眼球くらいにはなれるだろう。もしくは、その情報を処理し考える脳だ。
意識体を持つ身体そのものには、なれないかもしれないが。

2003年02月19日(水)
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