脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 「必然」

「偶然」なんてモノは。
本当は存在しないのかもしれない。

偶然は必然に内包されている。
偶然は、必然の名の元に起きる、
その必然性を隠す為の功名な纏い布に過ぎないのだ。
全ては必然の名の元に。
しかしそうとは気付かない当事者が、
偶然だと見誤るのだ。
「たまたま」を装うから、
信じられない出来事も受け入れる余地を残すのであって。
いや、それが「必然」だと信じないから
「偶然」だと思われているだけなのかもしれない。

何故ならこの宇宙における「存在そのもの全て」が、
「必然」だからだと思うからだ。
「起こるべくして起こる」のは、
その必要性があるからだ。
「在るべくして在る」のは、
その必要性が、役割があるからだ。
ただ在るだけではない。
「偶然」生まれたのではない。
必要があるから生まれるのだ。
ただ存在するだけなのに、
どうしてこの世界にはこんなに秩序がある。
多分に、そこには「意志」が働いているからだ。
「存在すること」に「意志」が働いているからだ。
向かう先が、あるから。
この世界や宇宙における全てには、向かう先があるから。
全ての存在が必然のもとに生まれるのだ。
偶然ではなくこれは必然だ。
向かう先が何かなどは知らないが。
何かに向かっているのだろうと思う。
そしてその「向かう先」が何であるかを科学者達が論じているのも又、
何かに向かうための「必然」なのかもしれない。

しかし「必然」というのはなかなか乙なものだ。
運命が決定されているみたいで嫌いだ、と言う人もいるかもしれないが、
私は結構好きだ。
たとえば偶然旧友に会うとする。
しかしその友人がその後の人生に大きく関わってきたことになるとする。
「あのときたまたま会ってなかったら今の自分は無かったろう・・」と、偶然に驚嘆するとする。
しかしそれは起こるべくして起こった必然で、会うべくして会った必然だったと考えたら。
なんだかいろいろな偶然に意味が見出せそうで素適ではないだろうか。
「偶然」と聞くとあまり役割を成さない意味のないもののように聞こえるけれど、
「必然」と聞くと大きな役割を成す意味のあるものに聞こえるのだ。
意味のあるもので満ちている日常が、必然で満ちている日常が、なんだかとても面白く思えるのだ。
「たまたま」だと後の気持ちに残らないが、「起こるべくして」と考えると後々まで感慨深い。
ただそれが言いたかっただけなのだ。
「必然」の方が、なんだかロマンに溢れているよと。

2003年01月13日(月)
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