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■ 科学と哲学
科学−宇宙物理学−と哲学の両面から宇宙の起源についてアプローチできたらいい。 この、今在る宇宙について、科学者達はその宇宙が「なに」であるかを検証し論じる事に夢中で、「なぜ」という問いに踏み出せないままでいるように思える。 周りは一体どうなっているのか。それを観測し結合定数をはじき出し理論と数式を以って宇宙を果てまで見通そうとする。 細部まで検証し分析することによって見えてくるのは、 その奥にある何か大きなものの存在ばかりだ。 そしてそれが判らないでいる自分達だ。 「なに」であるかが判っても、 それが「なぜ」あるのか。 「何の為に」「何を以ってして」あるのか。 それは本来哲学の領域なのだろうが、 めざましい速さで日進月歩し、知識があまりに広大になりすぎた物理学や自然科学のスピードに哲学の方が追いつけなくなってしまった為に、宇宙が「何の為に」あるのか、という問いに深く踏み込めなくなってしまったのだ。 どうして理系学問が細分化し専門化が進みに進んだか。 ちょっと名前を聞いただけでは何の研究をやっているのかさっぱり判らないような専門性の高い(?)域にまでそれぞれが細分化している理由。 それは、範囲があまりに広大になりすぎたためだろう。 全部を網羅するのは到底出来ない。だから研究対象の、扱う範囲の的を絞る。そうしなければ、扱えなくなってしまったのだ。 その道の専門家がそうなのだから、況や哲学者においてをや、である。
宇宙の起源やこれから、そしてこの今の現状。 何も知らないゼロから、ヒトは知ろうとし始めた。 元々知らなかった。 知らなかったら知らないままで変わりなく生きていける筈なのに、私達は知ることを選んで、選び続けてきたのである。 一生涯をその研究に捧げる者も珍しくなく、――いやむしろ数え切れない――それでもなお明確に明かされる事の難しい問題。 存在していながら、認められていながら、それでもなお周りに問い続ける。 それは生まれてすぐ生き別れた片親を探す様に似ている。 その存在によって、自らで自らを肯定したいのだ。 生きていながら、未だなお信じられない。いや、信じる信じないというより、「知りたい」のだろう。 自分が何者かという事を。
今はまだ、「なに」であるかに終始しているこの宇宙に対する論も。 そのうち「なぜ」在るのか、という論に変わってくるのではないかと思っている。 しかしたとえ「なに」であるかが全て判ったとしても、「なぜ」在るのかという問いまでその時判るか、というと、「判らない」という可能性の方が高いような気がする。
究極的な「なぜ」在るのかという問い。 何故この宇宙が在るのか?何の為に在るのか?何に向かっているのか?私達が「なぜ」と宇宙に問い掛けるのはなぜなのか? 問い掛けるような私達が宇宙にいるのは「なぜ」なのか?
―――科学者さんたち、頑張ってくれないだろうか。
2003年01月14日(火)
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