脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 誇り

カッコ悪くても誇れる自分というのがいて。
カッコ良さげでも誇れない自分というのもいる。
自分でこんなこというのもかなりキてるとは思うのだけど。

要するに、自己満足の世界なんだけど。
自分に対して最終的に決定を下すのは、いつも『自分』しかいないと思っているから。
自己満足でオケオケ。

端から見ててどんなにカッコ悪く見えても。
みっともなくても。余裕が無くても。
誇れる自分であれるのなら、それでいい。

でも逆に端から見ててカッコ良さげに見えても。
賛美の声や、羨望の眼差しがあっても。
誇れない自分であったなら、意味が無いのだ。

『許せる自分』てどんな自分?
『許せない自分』てどんな自分?

自分にその決定を下せるのはやっぱり自分しかいないと思ってる。
『許せない自分』にいくら周りが『それでいいんだよ』っていったって納得できないのと同じだ。

『誇れる自分』てどんな自分?
『誇れない自分』てどんな自分?

自分という存在を肯定して、それに背かずに行動した時にしか、『誇れる自分』というのは存在しないと私は思う。
自分に背いたら、それはもう既に自分じゃないんだ。
自分じゃない存在にどれだけ周りが賛美をしても、それは『自分』にとって何の価値も無いんだ。
それって誇れない。とてもじゃないけど誇れない。

『誇り』って大切だと思う。
ともすれば慢心に傾いてしまうから難しいと人は云うけれど、
本当は、もっと全然違うものじゃないかって思うんだ。
だってそれって、アイデンティティの最高の肯定。最上格で認めているって事でしょう。
誇りって美しい。
誇りを持って生きるって、美しいと私は思う。
最上の自分の美学に適った生き方を通している感じ。

誇りを持って生きていけるようになりたい。
必要以上にへりくだったり、低めるのは好きじゃない。
そんなのは無意味だと判ったから。
ただいるのは在りのままの自分。
器とか視野とか、そんなのも含めて全部。
その在りのままの自分に、誇りを持って生きていけるようになりたい。
そう、思う。

2003年01月02日(木)
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