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■ 誇り
カッコ悪くても誇れる自分というのがいて。 カッコ良さげでも誇れない自分というのもいる。 自分でこんなこというのもかなりキてるとは思うのだけど。
要するに、自己満足の世界なんだけど。 自分に対して最終的に決定を下すのは、いつも『自分』しかいないと思っているから。 自己満足でオケオケ。
端から見ててどんなにカッコ悪く見えても。 みっともなくても。余裕が無くても。 誇れる自分であれるのなら、それでいい。
でも逆に端から見ててカッコ良さげに見えても。 賛美の声や、羨望の眼差しがあっても。 誇れない自分であったなら、意味が無いのだ。
『許せる自分』てどんな自分? 『許せない自分』てどんな自分?
自分にその決定を下せるのはやっぱり自分しかいないと思ってる。 『許せない自分』にいくら周りが『それでいいんだよ』っていったって納得できないのと同じだ。
『誇れる自分』てどんな自分? 『誇れない自分』てどんな自分?
自分という存在を肯定して、それに背かずに行動した時にしか、『誇れる自分』というのは存在しないと私は思う。 自分に背いたら、それはもう既に自分じゃないんだ。 自分じゃない存在にどれだけ周りが賛美をしても、それは『自分』にとって何の価値も無いんだ。 それって誇れない。とてもじゃないけど誇れない。
『誇り』って大切だと思う。 ともすれば慢心に傾いてしまうから難しいと人は云うけれど、 本当は、もっと全然違うものじゃないかって思うんだ。 だってそれって、アイデンティティの最高の肯定。最上格で認めているって事でしょう。 誇りって美しい。 誇りを持って生きるって、美しいと私は思う。 最上の自分の美学に適った生き方を通している感じ。
誇りを持って生きていけるようになりたい。 必要以上にへりくだったり、低めるのは好きじゃない。 そんなのは無意味だと判ったから。 ただいるのは在りのままの自分。 器とか視野とか、そんなのも含めて全部。 その在りのままの自分に、誇りを持って生きていけるようになりたい。 そう、思う。
2003年01月02日(木)
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