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■ 悪夢
厭な夢を見るんだ。 そう、厭な夢。 『怖い』んじゃなくて『厭な』夢。 起こって欲しくない最大級のことが夢の中で起こってる。 私はその事態に途中までは対処できるんだ。 できるんだけど途中から、どうにも対処できなくなって 私は叫んで逃げ出したい衝動に駆られるんだ。
「モウイヤダ コンナノイヤダ」
って。 そしたら私は逃げ出せているんだ。だって夢だものね。 私はそうして起きているんだ。 そして思う。 何か、厭なものを見ていた。と。 思い出したくても思い出せない。 でも、絶対に起きて欲しくない事が起きていた、と。 そして、ああよかった、と。 『今』起きているコッチが現実でよかった、と。 アッチではたまったものではない、と。 そうして胸を撫で下ろすのだ。
でも。
悪夢っていうのは、何の為?
『今』の良さを判らせる為? 警告を示してくれる為? 今のままではいけないよって?
それとも・・・ 最悪の事態が起きるのを予測して それに備える為? 慣れさせて、ショックを和らげる為? これって結構合理的?
でも。 もしそうだったとしたら。 私は目を逸らしてはいけなかった。 夢の中で、目を開いていなければいけなかった。 『眠る』という行為自体無意識の影響下にあるのだから、 無意識的に目を逸らす―要するに、目を覚ます―事を意識的に 妨害するというのは、かなり難しいんじゃないかと思うのだけれど、というか『意識』が働いた時点でもう半覚醒から覚醒に移行しつつあって、本当の意味で『夢の中で目を開く』という事が出来るのかどうか疑問なのだけれど、 やっぱり、どういう状況のショックだったのかくらいは、起きた時に思い出せるくらい目に焼き付けておきたいと、 覚醒状態にある今は思うのだ。
だって。 悪夢から目を逸らしてばっかりっていうのは。 すぐに起きちゃうっていうのは。 なんだか厭だ。 まるで、今までも私はそうやって、厭な事から目を逸らしてばかりだったと。 自分で自分に再確認しつづけているみたいで。 そんな自分が厭だと思うからだ。
夢の中にあるような「最悪の事態」。 その事態は私の夢の中ではアタリマエで。 その事態ってのも何パターンもあって、毎回違ってて。 逃げられないその事態を回避する術を私はその夢の中で知らなくて。 「そういう事態」をありのまま私は受け止めるのだ。 その夢の中では、私はずっと、そういう日常で。 まるでその悪夢を受けるのを、「決まっていた」かのように捉えている私がいるのだ。 夢の中では、「絶対起こって欲しくない事」がアタリマエのように起こる。 私は完全に夢に呑まれてしまうのだ。それがアタリマエだと思えば思うほど。 そんな日常ありはしないのに。 だから、はっと目が覚めた時思う。 ココは何処だ?と。 私にとって本当の現実である筈の日常世界が、私にとっての非日常に置き換わる瞬間だ。 その本当の日常世界は、私の夢の中とは比べものにならないほど平和で。 信じられないほど平和で。 つい今し方まで命の危機を感じていた――そしてそれがアタリマエだった――夢の中とは差が激しすぎて、逆に戸惑うほど。 そしてその戸惑いと同時に私は忘れてしまうのだ。 『どういう』最悪の事態に瀕していたのだろうか、という事に。 詳細な悪夢についての記憶がすべて吹っ飛んで、残るのは安心感と不安感。 『ああよかった、私はコッチの世界で生きていて、本当によかった・・・』 というのと 『私は何に対してこんな厭な気持ちを抱いていたのか、もう思い出せない。・・・・忘れてしまって、本当によかったんだろうか。』 という不安感。 忘れてはいけない危機。 目を逸らしてはいけない危機。 そういうものから一歩飛びのいてしまって、次、どう対処したらよいのか判らないような、そんな不安感。 こんな不安感ばかり残されても。
――ねえ悪夢って何の為?
や、別に初夢が悪夢だったワケぢゃないですよ(汗)これから見るし・・でも新年早々縁起悪いな自分
2003年01月01日(水)
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