今週の手話講習会は、聾者の早瀬憲太郎さんの講演会。
早瀬さんの手話を二人の通訳さんが訳してくださった。
奈良育ちの早瀬さんが小学一年生だったときに「聾者の鹿」を探したエピソードのくだりは、受講生が自力で解読。
ある日、聾学校で「耳の聞こえない鹿がいる」と聞いた早瀬さんは、学校の帰り道、「補聴器」をつけている鹿を探してみたが、見つからなかった。
家に帰って母親に話すと、「鹿はお金を持ってないから補聴器は買えないはず」と言われた。
じゃあ、どうやって聞こえない鹿を探そうか。
そうだ、呼びかけて、反応を見ればいい。
そこで、早瀬少年は鹿に向かって声を上げて呼びかけた。(正確な発音は難しいが、発声はいくらかできていた、と理解)
ところが、どの鹿も逃げてしまう。
つまり、聞こえているということ。
毎日毎日、早瀬少年は鹿を見ると、声を上げ続けた。
季節が過ぎ、冬になり、ようやくある日、一頭の「逃げない鹿」を見つけた。
おお、お前だったのか。
感激した早瀬少年は、給食の残りのパンを分け与え、同士感を共有した。
家に帰ってその話をすると「年を取って耳が遠くなって、反応も鈍くなっていただけじゃないの?」と母親には言われた。
……そんな内容を読み取れたことに感激し、「自分の仲間の鹿に会いたい」という早瀬少年の執念と発見の喜びに心動かされた。
早瀬さんの家族の中で、聾者は早瀬さんだけ。両親は「できるできないではなく、やりたいやりたくないで判断しなさい」と言う人で、妹は「お兄ちゃんは失敗なんてこわくないよね。だってさんざん失敗しているもん」と愛のある喝を入れてくれる人だった。
過分に同情しない家族に恵まれ、早瀬さんは普通高校を志願し、合格。
でも、五月病より早く四月病にかかり、学校に行くのが億劫になった。
聞こえない生徒は自分だけ。
教師も生徒も聾者とどう接していいかわからず、早瀬さんは孤立していた。
もう学校を辞めようかとまで思い詰めたが、それを思いとどまらせる事件が起きた。
靴箱に入っていた、女子生徒からの手紙。
「あなたのことを思うと胸が痛い」
手話で日本語を獲得した早瀬さんは「この人は心臓を患っているのだろうか」と思った。
理解者だった国語の先生に相談すると「これは告白の手紙だ!」となり、あわてて指定された桜の木のふもとへ走ると、桜吹雪が舞うなか、長い髪をなびかせた少女が立っていた。
まるで、絵画を見ているようだった……というのが豊かな手話表現で再現された。
まだまだ話したいことはたくさんあったと思うけれど、2時間の講演はあっという間で、高校時代までで終わってしまった。
その後、有志で早瀬さんを囲んで昼食。
わたしは、どうしても早瀬さんに伝えたいことがあり、隣に座らせてもらった。
7年前、同じ保育園で父母の会の役員をしていた聾者のYさんに「おさななじみのご主人が映画を作ることになって」と誘われて参加した会で、早瀬さんを知った(>>>2008年05月31日(土) 全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』)。そのとき、参加した数百人が頭の上で手をひらひら(手話の拍手)させる光景を見て、本格的に手話を学びたい!と思ったのが、手話を学んでいる今につながっている。
そのことをご本人に伝えられたのが何よりだった。
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