2011年03月11日(金)  ティータイムに激震(1か月前)

日記の更新が遅れるうちに地震から1か月経ち、今は4月13日。1か月を刻むかのように2日前の11日の午後に大きな揺れがあり、12日の朝も揺れて「おひさま」が中断した。

3月11日のそのとき、うちにせらままが訪ねていた。わたしの脚本デビュー映画『パコダテ人』でまゆちゃんを演じた前原星良ちゃんのお母さん。星良ちゃんは春から高校一年生、たまはもうすぐ当時の星良ちゃんの年に追いつく。おさがりのビデオをどっさりスーツケースに詰めてもってきてくれたのだった。

せらままの手提げがわたしと同じデザイン、サイズの色違いで、二人でまあ偶然と盛り上がり、趣味の一致を再確認。「これ、マカロンのラデュレのバッグよ」とせらまま。小石川のKOHTA YOSHIOKAのケーキを食べながら「てっぱん」どうなるのー?などとおしゃべりしていたら、グラッと揺れた。

あまりに激しく、あまりに長い。わたしはなぜかパソコンに向かい、「地震」を検索。動揺して、意味ないことしてる。「今井さん、ケータイ!」とせらまま。とにかくケータイをつかめ、と。ぐらんぐらん揺れる。人生最大だ。食器棚は開かず、何も落ちて来ない。この家丈夫だ、やっぱり引っ越しするのよそうか、と思う。

揺れが治まった途端、たまのことが心配になった。保育園は耐震改修工事を終えたばかりだから安全。だけど、その日に限って、夜わたしが出かける用があり、早めにダンナ父に迎えに来てもらっていた。わがマンションの3倍は年を取っている古家は、恐ろしく揺れたに違いない。

電話はつながらず、最悪な状況を思い浮かべて涙目になりながら、自転車を飛ばした。15分漕げば着く。その間にダンナから電話が入り、実家と電話がつながって両親もたまも無事だと告げてくれた。ほっとして力が抜けて、また涙が出た。

ダンナの実家に駆け込むと、ダンナの両親とたまは何事もなかったかのように掘りごたつを囲んでいた。テレビは津波でとんでもないことになっている東北を映していた。たまはよっぽどびっくりしたのか体を強ばらせていて、わたしが声をかけると、緊張がゆるんで泣き出した。その数十分後にはままごとを始め、いつもの笑い声を取り戻していた。

たまは地震を境に甘え癖がひどくなり、ぐずりやすくなった。せらままが届けてくれたトトロのビデオが心の薬として大いに活躍することになるのだった。


今日のtwitterより(下から上に時間が流れます)
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@oneeyedkt よかったよかった。地震の後、通りに人があふれ、知らない人同士が声をかけあい無事を確認する光景を見て、案じ合うことのありがたみを感じた午後でした。
posted at 17:51:08

@oneeyedkt ご心配ありがとうございます。たまの無事を確認するまでは涙目でした。あまりの揺れにびっくりして呆然としていたたまがわたしを見て安心したのか、泣いて、やっと言葉が出ました。それにしても揺れましたね。会社も揺れましたか。
posted at 17:26:02

グラッと揺れて咄嗟にしたこと。検索ボックスに「地震」を入力。
posted at 15:29:13

【たま語】鏡に向かい、一人エレベーターガールごっこ。「にじゅうゆっかいでーす。ゆっかいは、おふろでーす」。二十湯っ階?そりゃユカイ。ダジャレ好きはわたし譲りね。
posted at 10:12:06

お通じですからね。たまの人生初のウンチに助産師さんが「おめでとう!入口と出口がつながってる証拠!」。RT @theGONchan @masakoimai GONの職は、知的障がい施設の支援員なんですけど、利用者の殆どは排便が無いと不穏になるので『ウンチあった』と聞くと安心します
posted at 09:05:21

【たま語】お風呂にて。たまちゃん、ママを見つけて、ママのとこ来てくれてありがとうねと言うと「ママのおなか、ふくらんでたからね」。え?たまちゃんがおなかに入る前に?「たべものとか、いっぱいはいってた」。あの家に行けばおなかいっぱい食べられると思ったの?
posted at 08:03:25

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