2009年09月28日(月)  「瀬戸内国際こども映画祭」を子育て中

7月29日の日記に「瀬戸内国際子ども映画祭」の実行委員会に出席したことを書いたが、あれから2か月、再び実行委員会が開かれた。漢字が多いので「子ども」を「こども」とひらがなにしましょうと合意したので、以後、「瀬戸内国際こども映画祭」と表記する。

参加者は男性3名、女性6名。前回はチーズケーキの差し入れがあったが、今回は、ダクワース、手づくり栗ようかん、ミニたい焼き。女性が多いと、おやつがにぎわう。おやつがあると、話の角も取れて、会議はまあるく進む。

今日の議題は、コンペ部門の実施方法、各専門部会の割り振り、サイトの準備をどのように進めるか、予算を抑えるためにどこにどんな協力をお願いできるか、などなど。やりたいこと、やるべきことが、少しずつ具体的に煮詰まっていく。映画祭を支えるためには、ボランティアの存在が不可欠で、実行委員会も手弁当。参加する一人ひとりが気持ちを会わせ、チカラを会わせないと、志だけが空回りして空中分解してしまう。「ボランティアではなく、サポーターと呼ぼう」と意見が一致した。

映画祭のコンセプトをコピーにする仕事を託されたので、帰ってから、前回思いついた「二十四の瞳、きらり」をキャッチコピーにして、ボディコピーを考えてみた。さ来年夏に産声をあげるこの映画祭は、名前にも「こども」がついているけれど、これから育っていくべき存在で、そのためには、たくさんの「育ての親」が必要だ。そんなストーリーが浮かんだ。


折しも9月下旬から配布中の池袋シネマ振興会のフリーペーパーbuku21号(表紙は『悪夢のエレベーター』監督の堀部圭亮さん)に掲載された「出張いまいまさこカフェ」13杯目のタイトルは、「母と子と映画」。『ぼくとママの黄色い自転車』公開の話とあわせて、こども映画祭のことも紹介していて、「映画祭を産み育てる」という言葉が、ひと月前に原稿を書いたわたしから出ている。

たくさんの人に愛されて、その愛を未来にお返しできるような、「こども」になって欲しいと願い、育ての親の一人として、注げるものを注ぎたいと思う。

2008年09月28日(日)  オレンジの壁のユキちゃんち
2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』
2002年09月28日(土)  料理の腕前

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