保育園へ迎えに行くぎりぎりまで仕事をしているので、娘のたまを連れ帰ってから夕飯の準備に取りかかる。その間、娘に邪魔をさせないために、今日は何で遊んでもらおうかと頭を悩ませる。少し前までは「バーニー、み!」(恐竜ッキャラのBARNEYのビデオを観る)でおとなしくしてくれていたのだけど、なるべくテレビに子守りをさせたくないなあと思い、しばらく封印していたら、忘れてしまったのか、観たいと言わなくなった。おやつのバナナやおせんべいは、口に入っているうちはおとなしいけれど、あっという間に平らげてしまい、子守効果は五分と持たない。食べ終えると、「なーい」と訴えてうるさくなる。絵本は読んでもらわないと飽きるし、お絵描きは「ママ!」とわたしに描かせたがる。一人遊びをしてくれたら楽なんだけど。
ところが昨日、スープをたっぷり作るためにずいぶん野菜を刻んだところで、ふと、静かだなと気づいた。一度も「ママ」と呼ばれていない。子どもの場合、便りがないのは良い便りではなく要注意。わたしの携帯をいじっているか(あまりかけてほしくない人に、勝手にかけていたりする)、デジカメをいじっているか(「オールクリア」の操作をして、寸前で止めたことが何度か)、書類を封筒から引っぱりだしているか(大事な部分を狙ったかのように破る)。振り返ると、たまはダイニングテーブルの下で、わたしの財布の中身を床に広げていた。
以前は硬貨を口に入れたりお札を破ったりするのが心配だったけれど、お金は大事なものだとわかったらしく(床に落ちた十円玉や一円玉を見つけると、拾って差し出してくれる)、それなりに丁重に扱うようになった。財布が子守りになるならいっか、と放っておくことに。札入れ部分に入っている中身を出しては戻す動作を飽きもせず繰り返す集中力はなかなかのもの。ビデオカメラを向けても、カメラを見ようとしない。おかげで家事がはかどった。
そんな昨夜のできごとがあり、今朝、財布の中を見て、あれっと思った。商品券と図書券とレシートとポイントカードの類はあるのだが、お札が一枚も入っていない。一万円札と千円札がたしか入っていた気がするのだけど。使ってしまったのかもと思ったが、もうひとつ何かがなくなっている気がした。「あ、相棒のチケット!」。となると、お札もやはり消えた可能性が高い。疑わしき犯人はただ一人。だけど、「どこに隠したの?」と聞いても、「はい」と人を食ったような答えしか帰ってこない。夕方になって、わたしの花柄の手提げを何気なくのぞきこんだら、出てきた(後でビデオを再生すると、財布で遊ぶたまの傍らに花柄バッグがしっかり写っていた)。そういえば、昨日、財布で遊ぶ前だったか後だったか、たまが手に提げていたので、「大事なもの入れておでかけしたら?」と声をかけたのだ。相棒のチケット2枚とお札(3万8千円也)だけを選り分けた識別能力、おそるべし。
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