2008年03月28日(金)  マタニティオレンジ258 保育園のお別れ会で恩師を想う

この春、保育園を退職、異動される先生方のお別れ会が開かれた。主役は園児たちで、早くお迎えに来れた保護者は子どもたちにまじって参加。園児51名、職員はその半数ぐらいの小さな園で、園長先生をはじめ11人もが入れ替わる。先生方が挨拶のときに感極まって涙ぐむ姿を見て、この保育園と子どもたちを心から慈しんで仕事に打ち込まれていたんだなあと感じる。先生方の挨拶、父母会からの花束と園長先生へのメッセージ集贈呈のあと、辞められる先生一人一人と園児が「握手でバイバイ」。先生方は全員の名前を覚えていて、「たまちゃんは給食よく食べてくれたね」「たくさん遊んだね」などと声をかけてくださる。とても心があたたかくなるひとときだった。0歳児クラスの娘のたまは、今去られる先生方のことを覚えていないかもしれないけれど、たっぷり愛情を注いでもらった記憶は何かの形で残るだろう。人生最初の恩師だ。

わたしにとっての恩師の最初の記憶は、幼稚園の年長組のときの担任だった溝上のり子先生。美人で、やさしくて、大好きだった。卒園してからも手紙をやりとりして、中学校に上がる頃、先生の嫁ぎ先の和歌山まで家族で遊びに行ったりした。その後連絡が途絶えてしまったけれど、お元気かなあとひさしぶりに思い出した。もう一人、とくに印象に残っているのは、中学一年のときの担任だった吉田和子先生。専門は美術で、「今井の絵には、今井カラーがある」とわたしの色使いをほめてくださった。文化祭で演劇をやることになったときには、「今井ならやれる」とわたしに演出の白羽を立てられたのだが、その体験が今のわたしの原点になっていると思う。わたしの何を見て先生が見込んでくれたのかは聞きそびれたけれど、自分を認めてくれる大人の存在が自信とやる気につながり、わたしの力をのばしてくれたことは間違いない。長らく連絡を取り合っていない吉田先生にも、あらためて感謝の気持ちがこみ上げた。

2007年03月28日(水)  マタニティオレンジ101 ビクス仲間のレイコさん
2005年03月28日(月)  『ダ・ヴィンチ・コード』で寝不足
2003年03月28日(金)  中国千二百公里的旅 干杯編

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