とても気に入って、洗濯しては着せている長袖がある。人からもよく「どこの服?」と聞かれるのだが、「ミキハウス」と答えると意外がられる。MIKIHOUSEがでかでかと主張するトレーナーのイメージを持っている人は、筆記体のm.h.の刺繍のさりげなさに驚く。お祝いでもミキハウスの服をいただいたが、どれもかわいくて丈夫。とくに、おさがりで回ってきたものを見ると、何度洗濯してもへたらない頼もしさがよくわかる。
学生時代、就職活動でミキハウスを受けていた。広告業界志望だったのに、なぜ受けたのか動機は覚えていない。ファッションに興味はあったけれど、ここの服がとくに好きというわけではなかった。軽い気持ちで資料請求したのだろうか。一回目の試験でMIKIHOUSEのロゴが入った缶ペンケースが配られた。二回目がバインダー、三回目が水着と試験を一段階上がるごとにお土産がいいものになった。バインダーは今でも使っているけれどペンケースと水着は誰かにあげたのだったか。「ミキハウスって、ええ会社やで」と母親に言ったら「そら、あんたらが将来お客さんになるんやから」と笑われた。
他にペンをもらったような記憶もあるのだが、三回か四回の試験を経て社長面接となった。大会議室のロの字に組んだテーブルを女子学生二十人ぐらいが取り囲み、ロのてっぺんに社長の木村氏が座り、二つ質問をした。一つは忘れたけれど、もう一つは「いま読んでいる雑誌」で、わたしは「公募ガイド」と答えた。木村社長はリアカーを引いて売り歩いた時代から育ててきた会社への思い入れを語った。その会社を一緒に育てる人材を見つけるために時間をかけ、心をこめて面接している、その誠意と情熱が伝わってきた。
社長面接で内定が出たのだったか結論は持ち越されたのだったか。百貨店に入っているお店で実習する機会があり、わたしも出るはずだったのだが、広告会社の試験日とぶつかってしまった。電話ではなく本社に出向いて断りを入れたのは、木村社長が「男子学生は犬のようで、内定を断るときも誠意を見せてくれる。だが、女子学生は猫のようで、興味がよそに移った途端冷たくなる」と言ったことを覚えていたからだった。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を練習する実習生の声が届くテーブルで採用担当の女性と向き合い、ここまで自分を選んでくれたことへの感謝と、でも自分はやっぱり広告をつくる仕事がしたいことを告げた。「自分が行きたい道へ進むのがいちばん」と女性は笑顔で送り出してくれ、大好きなままミキハウスという会社にさよならをした。
就職を決めた広告会社で配属されたチームは偶然にもミキハウスの広告を手がけていた。わたしのコピーは書いても書いても採用されず、プレゼン用のボード貼りを手伝ったり、撮影に使う小道具のケーキを注文したり、雑用ばかりだったけれど、うれしいつながりだった。それから十年あまり経って、母の予言通り、ミキハウスを贈ったり贈られたりする一人の母親になった。社長さん、お元気かな、と洗濯物を畳みながら思い出している。
2007年01月09日(火) マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌
2004年01月09日(金) ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水) 見えなかったB