ぼんやり日記
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すごく久しぶりに祈り会へ行ってきた。 なんだかんだと理由をつけて行かなかった祈り会。
結局、無理矢理時間を作って1時間ほどしかいられず。 それでも、行ってよかった。 祈らなくちゃいけない時なんだと思った。
神様に押し出されて歩んでいるんだな、という気がする今年。
さあ今日のご飯は何にしよう。 昨日のチキンソテーは、トムには不評だったようだ。 一昨日の冷や奴もちょっと無理だったようだ。
あああ。 ご飯へたでごめんね。 でもしゃーないから辛抱してね。
2004年09月20日(月) 大失態 2003年09月20日(土) ポケモンセンター
昨日のPTA実行委員会の終わった後。
いつも役員が最後に残って今後の段取りを話すんだけど 脱線して世間話になることも多い。
その話題がちょっとつらかった。 大体、いつも悪口が多いのだけれど まあPTA役員なんて保護者のクレーム窓口みたいなものだから ストレスたまるし、わがまま理不尽な保護者にあきれることが多い。 なので、自分たちだけの時は悪口というか愚痴を言って ある程度発散させないと、というのもわかるので 仕方が無いかなと思っている。
でも、昨夜の話題は別の地域の住民についてだった。 別の地域の小学校区が環境的に劣悪だというのだ。 ちょっとその地域へ習い事に行った時期があるとか、 話を聞いたことがあるとか、 その地域で働いている知り合いがいるとか、 そういうところから受けた感想を断定的に話す。
私は、その地域に知り合いが何人もいる。 みんなとても暖かくて魅力的で愛がいっぱいあふれている人たちだ。 みんなが「ひどい」「いつもカップヌードル食べてる子達」なんて 言っていたその小学校で6年間学んだ子も知っている。 どれだけ両親から周囲から愛されて 曲がらず優しく育ってきたか知っている。
みんなが言っている環境の悪い部分、確かにあるだろう。 でもそれば全てではないし、 そうやって言っているみんなの役職はPTA本部役員なのだ。 会長とか副会長とか。 そんな立場の人間が、たとえ内輪であっても口にするような 話題ではないと思った。
思ったのに、私は何も言えなかった。 言えなかった自分が情けなかった。
家に帰って、その話題を思い出すたび ずっと胸がしめつけられる。
どうして大好きなみんなを守ってやらなかったんだろう。 よくない事をよくないとどうして言えなかったんだろう。
確かに立場は弱い新入りの私だけれど 人間として見過ごしてはいけないことだった。
ごめんなさい。 大好きなみなさん、ごめんなさい。 神様、ごめんなさい。 今度、同じような場面に出くわしたら きちんと発言できるよう、私に勇気と真理を愛する思いを下さい。
2004年09月06日(月) きゅるきゅるるる 2003年09月06日(土) 都会をぶらぶら,100均考 2002年09月06日(金) BANKEY JET CITY
沖縄に行って、それほど焼かないで済んだと思ったら 教会のキッズキャンプに行って プールのロッカーに日焼け止めクリームを置いてきてしまい まあいいかと2時間じゃぶじゃぶ遊んだら すっかり真っ黒け。 あらら。
沖縄で焼けたのなら自分なりに これは沖縄のあの日差しで焼けたんだと 何となく感傷に浸ることもできるけれど 浜寺じゃなあ。
2004年08月29日(日) 誠意をみせる 2003年08月29日(金) レッドでハッスル 2002年08月29日(木) 試験が終わった〜っ / ちょっと借りてみた
2006年08月16日(水) |
家を建てて変化したこと |
常に「地境を広げる」ということを考えるのだけれど この3年くらいでずいぶん地境が広がったし元気になった。 体重も増えた。 体重が増えたのは余計かもしれないけれど 実は体力がついたので、気力も充実できたわけだ。
信仰的に充実してるかとゆーと その問題は、ただ誰かのとりなしでまかなわれている。 ほんとに臆病な人生です。
って、訳わからんな。
で、表題。
家を建ててから、まず広くなったでしょ。 お客人を呼びやすくなったのよ。 しかも一度くると、ほら必ずみんなあっけにとられるでしょ。 つかみはOK!てなもんで また次回も来てねって言ったら たいがいの人は「また来る来る」って言うわけよ。
私にはもてなす賜物が薄い。 料理も下手だし、さりげない気配りは苦手だし。 気の利いた話もできないし、 会話しながら料理だしたりするの下手。
向いてない。
でも、この家には人を招かなければならない。 もう自分自身から来る思いを超えたもので 私は人を招く。
それができている自分に驚くのですよ。 今日もみっふぃの友達が泊まりに来ている。
あさってからは3人くる。
そして。 9月にはとうとうホームステイだ。 信じられへん。 そんなの一番苦手な自分が。
しかし問題はごはんだよ。 とほほ。
2004年08月16日(月) ドメスティック・トランポリン 2003年08月16日(土) 骨休め?神戸へ 2002年08月16日(金) ヒットチャート / 大味な試合でございますが
沖縄に行くことになった。
友達が家族で引っ越したので 「遊びにきてねえ」という声に乗ってしまった。
その友達に電話をしてみた。 まだ落ち着くところまでいっていない。 こちらからの引っ越し荷物も 船便なのでまだ到着しないとか。
でも、元気そうな声を聞いて安心した。 我が家の子ども達もとても楽しみにしている。 一緒に「美ら島水族館」に行こうねと言った。 一緒にシュノーケリングやろうねと言った。 そして、教会に連れていってねと言った。
こちらは、おばあちゃんも一緒なので あまりハードな旅行にはできない。 ましてや泳げない私、夏が苦手な私のことだ。
バカンスとしての沖縄に興味を抱いたことはなかった。 このまま旅行の前日になったらどうしよう、と思っていた。
でも、友達との電話を切ってから 無性に沖縄観光情報を知りたくなり 無理矢理に買っていた情報誌を読みあさり始めた。
スイッチオン
読まなきゃ読まなきゃ。 沖縄行きの気分をあおらなきゃ。 どんな所か頭に入れなきゃ。
そう思ってムックを開いているうちはダメ。 全然頭に入らない。 自分、バカなんじゃないかって思うくらい 全然頭に入らないし、想像力も働かない。
スイッチがオフの時は何やっても無駄だ。 やっとオンになってくれてほっとした。 旅行まであと1週間だものな。
2004年08月15日(日) アロハな気持ち 2003年08月15日(金) 奈良の空気
やっぱりストレート型携帯が欲しい。
今のJP51っていうのかな、ボーダフォンの、あっ違う J-PHONEのパナソニックのヤツ。 これが一度修理してもらったけれど、だんだん寿命に近づいている。 今度悪くなると修理できるかどうか。悲しい。
この携帯をことさら愛しているわけではない。 むしろ使いにくい。 しかし他に代替機が一切無いのだから仕方ない。
代替機が無いわけないじゃん。 あまたとある携帯電話。ポイントも貯まってるし選び放題。 しかし、自分は電話を折るという行為がだめだ。 パカパカ鳴る開け閉めの音が耐えられない。
この話は日記でも何度も書いたけれど、 やはりどうしても書かずにはいられない。 最近はスライド式の開閉携帯が登場し、 これはパカパカ嫌いの私に対する折衝案か?と聞く耳を持っている。 しかし、やはり厚みが気になる。
ボーダフォンでもストレート携帯が出た!とニュース。 飛びついて見るとプリペイド型だった。うーむ。
プリペイドやこども用限定、あるいはPHSだと 今でもストレートはあるのだけれど。
ソニーなんちゃらから出た防水型のストレート携帯。 ボーダの前のノキアと同様、ストレートだけど恰好悪い。
結局、INFOBARを超えるデザインにまだ出会っていないのだ。 なんでさ。 なんで素敵なデザインの携帯が出ないのさ。 INFOBARが発売されてもうすぐ3年になるというのに。 二つ型で、ああこれはっていうデザインの物は時々ある。 けれどストレート型では、私の好みの機種は出てこない。 そんなに特異な趣向を持ってるわけじゃなく、 むしろステロタイプというか、ミーハー志向の私であるのに。
ドコモから出るFOMAのストレート携帯は 今のJP51に近いせいか、まだマシな気がする。
このままだと自分、PHSにしようかななんて考えもよぎる。 ググってたらこんなもの出た。 Jホン、長さにこだわったストレート型携帯電話発売
この際、これでもいいや。 しかしなんだこのサイト。 作りてぇ。。
2004年08月11日(水) 市内の夏 2003年08月11日(月) プールへ
おばさんがカマキリを捕まえてきてくれた。
まだこどものカマキリだと思う。 捕まえてくれたはいいが、飼わないといけないのか? 虫かごもなくて、ブドウとイチゴの入っていたパックに穴を開けて ホチキスでフタをして入れた。
えさは? 調べると「カマキリは動くものしか食べません」 だー。生き餌か。 折しも蚊が飛んできたので、つぶさないようにそおっと生殺し。 生かさず殺さず捕まえて(意識すると難しいぞ) お手製かごに入れる。
すぐには食べないで、夜、静かになった頃つかまえていた。
しかし蚊ごときで腹いっぱいにはなるまい。 虫かごもやっと物置から出してきて広くなったカマキリルーム。
公園へ行って虫を捕まえてくるように、と子どもらに命じると きゃつらダンゴムシを捕まえてきた。 ダンゴムシは食べないことが判明した。 やはりあの甲羅が固いのだな。
くさったバナナでショウジョウバエを捕まえてみたが こちらも食べている気配がない。 家の中がショウジョウバエのお屋敷と化しただけだった。
失敗続きでイヤになった。 そもそも何故、私はカマキリを飼っているのだ? 子どもたちは最初だけわーわー行っていたが今は無視だ。 くるりるが観察日記を書く、というのだが。
困っているとパパが「ペットショップに行こう」と言う。 コーナンに行ったついでに店に行って聞いてみた。 ペットショップの兄ちゃん、 「カマキリの餌っすかああああ」 「み、みみずとか」と言うと 「いや〜…カマキリっすか。ちょっと待っててください」と チーフみたいな人を呼んできた。
「コオロギくらいすかねえ、1匹15円です」 「こ、こ、コオロギ、15円。」 まだ小さいカマキリなんだけどな。ま、いいか。 夜だったのでクローズしていた昆虫フロアを解錠し、 おそらく家でそのまま飼って音色を楽む目的で ここで飼われていたであろうコオロギを5匹捕まえてきてくれた。 こいつらは生き餌なのだ。
と、思うと以前の鈴虫のように名前を付けるのはやめようと 心に固く誓った。 15円という小さな命の値段にくらくらしかけた。
家に帰って一匹をカマキリのかごに入れる。 コオロギ用にわざわざ購入した虫かごにはあと4匹。
すぐには食べない。うーむ。 こんな大きいもの食べられるのだろうか。
夜になり、子ども達が寝静まってからふと見ると 頭だけなくなったコオロギを抱きしめているカマキリがいた。
・・・・ 子どもを起こして見せてやる。 生きたまま頭から食べられるってどんな気持ちだろう。
それから数日。 4匹ばかり食べたカマキリだったが こんな生活を我々もカマキリも繰り返しているわけにはいかないので パパが「公園へ捨てて…いや離してくる」と言った。 子ども達には既にどうでもよくなっている。 くるりるが日記にかまきりの絵を描いたのを合図に 公園まで虫かごをぶら下げて出て行くパパ。
あのカマキリは元気でやっていくだろうか。 もうどうでもよいのだが。 1匹残った衰弱したコオロギはどうだろうか。 すでにやばい気がしているが。 や、もうどうでもよいや。
暑くて頭がまわらない。 自分はけだものだ、と思った。
2004年08月05日(木) 危険・胃レントゲン撮影 2003年08月05日(火) 夏に母を想う
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