ぼんやり日記
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2002年09月06日(金) BANKEY JET CITY

前回の失敗をもとにブランキーを借りてみる。

借りたはいいが歌詞カードが付いてない。
しかもディスクに曲目のクレジットがない。
どうやら1991−2000年のベストアルバムということだけ判る。
メンバー構成すら知らないので仕方なく真っ白なまま曲を聴く。
ジャケ買いも滅多にしなかった私には珍しいことである。

想像したよりヴォーカルが甘い声なので少々肩すかし。
(6ペンス・ナン・ザ・リッチャーのヴォーカルも甘甘だったなあ)
曲は、曲はどうしよう。

私は思春期に洋楽かぶれになり、日本の音楽シーンをどこかでバカにして
青春時代を過ごしてしまった。
「日本にロックは根付かない」そういうことを根拠もなく
思いこんでいたことを今さら思い出した。
(もちろんド影響を受けた日本のバンドがあるのですが 後述)

じゃ、この曲はどうなんだ、と突きつけられている。
とにかく速い。走りすぎている。楽曲が、ではなく
音楽から発するエモーションが生き急いでいるというのか。
このバンドは空中分解するだろう。
そのくらい密度が濃くて、かっこよすぎて疾走しすぎている。

あまりに彼らについて知らなさすぎるので、ネットで少し調べてみた。

あら。
私が心配しなくても2000年にしっかり解散してるやんか
恥ずかしい(^^;)
それにしても1991年から10年間も活動していたのか。
その間、私は彼らのことを知らないで何をやっていたのかと不思議である。
1991年〜といえば退屈で単調で、これがメガヒットかと
あきれる楽曲が次から次へと流れてきて
日本もひどい事になったと思っていたっけ。

ブランキーのベスト盤をタイトルも知らず聞きながら、
いくつかのバンドを思いだしていた。
心ふるわせたバンド、そして疾走していったバンド。
ストーン・ローゼス、ザ・スミス、ルースターズ

そう、ルースターズ。
彼らを、そして大江慎也を思いだしてしまった。
今でもルースターズは私の中のスペシャルである。
うーん、スペシャルというより…
過去、ある時期に彼らを通して何かを心に刻みつけられ
それが今でも残っている、といえばいいのか。
それをうまく文章にできないけれど、
大江慎也のヴォーカルを聴きながら悲しくて悲しくて
うずくまっていた事を思い出してしまった。
そうして去っていった大江慎也を思い、音楽とか人間とか
生きていくこととかを膝を抱えて考えた事を思い出した。

たぶん、ブランキーをリアルタイムで体験した人たちには
私がルースターズに影響されたくらいのものを
強烈に彼らから受けたのだろう。

とにかくルースターズを引き合いに出してしまうほどだから
ブランキーは見事なバンドだったのでしょう。


バンドについて。

やはりバンドというのは、はかない夢なんだろう。
ワンマンのバンドなら長く続けることは可能であるけれど。
私達は、ついつい好きになったバンドがいつまでも活動することを
(しかもオリジナルメンバーで)求める。
でも、それをするなら確実にバンドのボルテージは下がる。
走るだけ走り、上を目指して(あるいは前を目指して)やがて
彼らのモチベーションの最高のところまで来たら、
もはや初期と同じものを彼らに求めることはできないのである。
違うスタイルで新たに仕切り直すか、バラバラになるしか道はない。

そんな分かり切った事、10代、20代の時は気づかなかった。
(気づかぬふりをしていた)
それでもバンドという形の音楽には魅力がある。
はかない夢だからこそ、とてつもなく美しく輝いてみえる。

あ、ブランキーのアルバムは土屋昌巳プロデュースだったのね


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