視界の端を一瞬、蛮の異形の腕が過ぎった。 ――ような気がした。
銀次が次の瞬間、はっと今目覚めたかのような瞳で瞠目する。 蛮の足下には舞矢が、そしていつのまに倒したのか、遊利までもがその床に転がっていた。
「オ…オレ…またなんか…誰かを傷つけそうに……」 「心配すんな。オメーはオメーだ」
震える銀次の言葉を遮るように、背中を向けたまま、蛮が告げる。 その言葉に、蛮の背を見つめ、「うん」と頷いてはみたものの。不安が胸中に広がる。
先の力の解放は、蛮がその腕で防いでくれた。 だからもう大丈夫、とそう自分に言い聞かせてきたが。 兆しは残っている。 むしろ、強くなっている気がする。 いや、土台なくなったと思うほうがおかしいのだ。何しろ此処は無限城なのだから。 ここでは、雷帝の力に限界などない。尽きる果てることはない。 銀次の身体が回復すれば、またそこに強大なエネルギーを取り入れ蓄えようとする。 …それを忘れていたわけではないが。
「どうします? この二人?」 「道案内にもなりゃしねぇし、ほっとけよ」 倒れたままの遊利たちを見下ろし、蛮が言う。 「それより、先に進むぞ。もう時間がねぇ」 「…そうですね」 花月がそれに応え、頷く。
その二人から少し離れた位置に佇んだまま、銀次はただじっと蛮の背中を見つめていた。
蛮ちゃんはすごい…。 ちょっと前に闘った時はボコボコにされちゃったのに、今はもうカスリ傷も負わない。
どこまで強くなるんだろう。 どうしてそんなに強いんだろう。
オレ、は…・。
思い、銀次が身体の横でぎゅっと拳を握り締める。
「では、行きましょう!」 「…おう! あ、いや待て」 「どうかしたのかい。美堂君?」
オレの"本当の力"って、いったい何なんだろう。 オレは、いったいどうなりたいのか。 どんな強さが欲しいのか。
「ぎーんーじ」 「……」 「銀次! おいコラ!」 「え! あ、蛮ちゃん!」 「"あ、蛮ちゃん"じゃねえ! これから敵のまっただ中に突っ込んで行こうってのによ!」 「ご、ごめん! オレ、ぼけっとしてて…!」
心底驚いたような銀次の顔に、蛮が"…ったく!"と小さく舌打つ。 が、それはすぐに溜息に変わった。 銀次に近づき、まだぼんやりしているような琥珀を見つめ、声を低くして言う。
「アホ。…なんてぇ顔、してるんだよ」 「…え?」
どこか切なそうに銀次の瞳をその紫紺に映し、蛮がちらりとマクベスと花月を見やる。 「おい、テメエら」 「な、何? 美堂君?」 「ちょいと、向こうむいてろ」 「え?」 「ガキにゃ、刺激が強すぎるだろ?って言ってんだよ」 「え、え…あの…!」 しどろもどろになる純な少年王をちらりと横目で見、花月が瞳の聖痕で蛮を睨んだ。 「僕もですか? 美堂君?」 「おう、テメエもだ。紘巻き」 「…わかりました」
"マクベス"と促すように花月に呼ばれ、少々顔を赤らめたマクベスがそれに従う。 「え、あぁ、わかった」 背を向けた花月からは、殺気に似たものが感じられたが、今に始まったことではないので、蛮は今更気にしない。 銀次は、少々居心地悪そうな顔をしたが。
「来い、銀次」 「うん」
腕を差し出され、銀次が数歩で蛮の身体に辿り着けば、つい先ほどまで異形をしていた腕が、今は人の手に戻って、そっと銀次を抱き寄せる。 背中にそっと片腕を回し、宥めるように、もう片手で金色の後頭部を自分の肩口へと引き寄せた。
「蛮ちゃん?」 「大丈夫だ。不安がるな」 「でも…」 「俺が傍らで護る。テメエに暴走なんぞ、もうさせねぇ」 「で、でも蛮ちゃん…っ」
告げられ、そしてぎゅっと強く、その腕の中に抱かれた。 逞しい肩の上に頬を置いて、銀次が強張った身体からゆっくりと力を抜く。
…蛮の匂いがする。 こうしてもらうだけで、ひどく落ち着く。 不安も何もかも、拭い去ってくれるように。
だけど。 そんな自分の暴走を止めるために蛮は、きっとまた無茶をする。 それが、つらい。そして怖い。 だから、そのためにも、もっともっと強くありたいのに。
「蛮ちゃんが傍にいてくれることは、俺、すごく嬉しい。けど、護られるだけは…」 「あぁ、わかってる。これは俺のエゴだ」 「エゴって…」 「だから。好きにさせろ」
事も無げに言い切って、蛮の肩から顔を上げた銀次のその両頬を手のひらで包む。 見つめる紫紺は、泣きたくなるくらいやさしい。手のひらも、あたたかい。 蛮が自分を失いたくないと思ってくれるのと同じように、銀次もまた、いつも自分を見守ってくれているこの眼差しを、体温を失いたくないのだ。どうしても。 何があっても。
「もう…。ズルイなぁ、蛮ちゃんは…」 「あ?何がズルイよ?」 「いろいろと」 「わかんねぇよ、それじゃあ」
子供っぽい口調に、つい蛮の言葉が笑いを含む。 つられるようにして、銀次も笑んだ。 それから、もう一度蛮の肩に顔を寄せて、その逞しい背にそっと腕を回す。
抱きしめても、抱きしめられても、感じる安心は同じだと思う。 だから抱き合えば尚、安心は互いのものになって倍増する。そんな気がする。
「蛮ちゃん」 「ん?」 「…此処にいるとさ。みんなの負の感情が俺の中に流れてくるって、そう言ったよね…?」 「…あぁ」 「悲しいとか苦しいとか、どうしようもなくつらいとか。不安だとか憤りだとか怒りだとか、それから憎しみだとか、恨んでいるとも」 「…ああ」 「でも。どうしてかな」 「あ?」
「蛮ちゃんだけ、見えない」
「銀次…?」 「俺に、見せないように、してる」 「――銀次」 静かに呼ばれて、ゆっくりと顔を上げる。 真正面から、蛮の瞳を見つめた。 「どうして?」 琥珀が瞬く。紫紺が応えて、微かに困惑の色を示す。 「――感じるんだ。そんな風に無限城の力じゃなく俺の心が、蛮ちゃんの心の叫びを聞いてる。でも、蛮ちゃんはそんな負の感情を今、俺に一切見せようとしない」 「…それはよ、銀次」 言い募ろうとした言葉を制するように、少し悲しげに銀次が頷く。 「うん。わかってる」 自分のことを蛮が何もかもわかってくれるように、自分もまた蛮がわかるのだと、そんな風に少しだけ微笑みながら。
「俺の中に雪崩れ込んでくるそんな負の感情が、俺を雷帝化に導くってコト。わかってる。だから、蛮ちゃんも気をつけてくれてるんだって事も。…確かにね、人の感情の暗闇の部分を見せられることは、本当はとても怖い。それが俺のものなのか、誰かのものなのか、だんだん俺にはわからなくなっていく。…だけど。蛮ちゃんのは、違うよ」
銀次の言葉に、蛮が瞠目する。 そして銀次が、蛮の背に回していた腕を一旦解いて、今度は首に絡ませた。 見開いた紫紺を見つめ、静かに告げる。
「蛮ちゃんの悲しみが、俺に前に進んでいく勇気をくれる。怒りが俺を奮い立たせる。がんばらなくちゃ、今戦わなくちゃって、そう思えるんだ―。俺のこの力は破壊のためじゃなく、誰かを護るために授けられたものなんだって、そう信じられる。この力で、絶対蛮ちゃんを護れるって」 「銀次…」
「だから、見せて。俺、大丈夫だから。…少しでいいから。蛮ちゃんの背負っているもの、俺にも分けてよ」
こういう時だからこそ。 蛮ちゃんの苦しみや、悲しみを。 …知りたい。 知っておきたいと思う。
蛮の腕が、再び銀次の身体をぴたりと自分へと抱き寄せる。 互いの狭間に出来る、僅かな空間でも嫌うように。 そして、金の前髪を長い指先で掻き上げ、形のよい額に口づけた。 銀次が、ふわりと瞳を閉じる。
蛮が心を解放する。唯一、銀次にのみ。
銀次が蛮の首にあった腕を解き、再びその背中に回した。 この方が、より近くにいける気がする。
「………」
銀次が蛮の背で、ぎゅっと抱く手に力を込める。 垣間見せられた想いは、どうしたって切なかった。 けれど、決意は。たぶん同じだった。自分と。
そっか、蛮ちゃんも…。
「うん、わかった…」
銀次が微笑む。 そして、またふわりと瞳を開いた。
「これでいいのか」 「うん…!」 「満足したかよ?」 「うーん。ほんとうにちょびっとだけだったから、出来ればもうちょっと見せてほしかったケド。でも仕方ないか。蛮ちゃん、ケチだし」
笑いながらも不服げに言う銀次に、蛮が低く嗤って、その額をコンと拳でこづく。
「ぁあ!? 誰がケチだ!贅沢抜かすな!」 「いてっ!」
銀次が片目を瞑って、首を縮める。 その笑みに、もう不安が消えていることを確かめて、蛮が笑んで"大丈夫だな"というように金の髪をくしゃりとやる。 銀次が、意図を察して"うん…!"と強く頷く。 確かめて、蛮が一つ息をつキ、声のトーンを上げて言った。
「――さぁてと! じゃ、そろそろ行くか」
それを合図に、銀次がそっと蛮から身体を離す。 抱きしめていた体温が離れると、とても心許ない気がしたが、それでも不安に揺さぶられることはもうなかった。
「もう…いいですか?」 「おう、ラブシーンは終わりだ」 「ラ、ラブシーンって、蛮ちゃん! ごめんね。マクベス、カヅッちゃん。もう平気だから!」
銀次の声に振り返った二人の顔が、銀次の笑顔に安堵したようなそれになる。 と、同時に、やはりこの男でなけれなならないのかという、憤りも感じたが。それはこの際、それぞれの胸にしまっておくことにした。
「んじゃ、行くとすっか!」 「ええ。では、手始めに、"デルカイザーの居城"へ向かいましょう」
「…!」
マクベスの提案に、駆け出そうとしていた三人の足がぎくりと止まる。 「構いませんね、美堂君」 「…構わねぇよ」 蛮の瞳が一瞬翳り、それからギリ…ッと奥歯を噛みしめ、射るような鋭い瞳で言った。 「あのクソオヤジに、一泡吹かせてやるぜ」 憎悪さえ籠もった声音に、銀次が少し気遣うように、そっと蛮の腕に手を差し伸べる。 それに気づき、はっとしたように銀次を見ると、瞳が合うなり蛮がニヤリとした。 銀次の二の腕を掴んで引き寄せる。
「おい、銀次」 「んっ?」 「景気づけだ」 「え? 景…」
問い返そうとするなり、唇が近づいてくる。 銀次が瞳を大きく見開いた。
ちゅ。
小さく音をたてて軽いキスを銀次の唇に落とし、蛮が再びにやりとする。
「ば、蛮ちゃんっ!!!」 「みみみ美堂くん! そ、そういう事は、見てないうちに済ませておいてくださいっ…!」 「そ、そうだよ、もうっ、蛮ちゃんってばっ! ぁあ、カヅッちゃん! 冗談だからね、蛮ちゃんのいつもの悪ふざけだからねっ! そんな背後から、てんこもりの憎悪をこめて見つめないで〜〜」 「銀次さんに向けるわけありませんよ」 「いや、ワカってるけど! そうなんだけど!」 「そうそう、紘巻き! 銀次の雷帝化を未然に防ぎたかったら、負の感情はこの際胸にしまっとけや」 「ええ、肝に銘じておきます…!」 「か、花月…」 「あぁ、もうやめようね。みんなっ! お願いだから仲良く、蛮ちゃんのお父さんとこ行こう!」 「テメエなぁ、実家に遊びに行くみてぇに気軽に抜かすな!」 「いてっ!」 「さ、今度こそ行くぞ!」 「うん!」
そして、ややチームワークの不安を残しつつも、デルカイザーの城を目指して皆で走り出す。
蛮が父と対峙した時に、蛮の持つ蛇遣い座の力は、解放されるんだろうか。 銀次が、考える。
もしも。 もしも、蛮ちゃんが…。 そうしたら、オレは――。
それに今度、雷帝の力が暴走を始めたら――。
…いや。 それでも、きっと大丈夫。
どんなつらい運命とか、そんなものでさえ、きっと二人で乗り越えていける。 蛮ちゃんと一緒なら、オレは絶対誰にも負けない。
だって、GetBackersのsは、一人じゃないって意味なんだし!
そして、何よりオレ達は。 なんといっても、『無敵の奪還屋』なんだから!!!
END
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マガジン47号のパラサイトSSなのですが…。長っ!!!(笑) 感想の代わりに、ちょこっとだけSS書いてみようーと思ったら、またしても無駄に長くなってしまいました…。 でも、マガジンのネタバレSSなんて久しぶりで、書いててとっても楽しかったです。
何がなんでも、”銀次が本当は強かろうが護ってほしいとか思ってなかろうが、そんな事ぁ関係ねえ、俺が護りたいから護るんだ!”みたいな蛮ちゃんに、ひたすら敬服です。 そして先行きに、再び蛮銀対決があるのかなぁと暗示させるようなマクベスのモノローグ。案外、蛮ちゃんの言ってた道づれは"暴走の止まらなくなった雷帝"のことなのか?とか夢みたりしています。(切ないけれど、他の誰かを道連れにされるよりは…)
何はともあれ、48号の発売までに書けてよかった…。 まぁ、単にいちゃついてるだけなので、この先のストーリーがどう動いてもあまり影響ナイんですけども(笑)
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