初日 最新 目次 HOME


短編小説のページ
風太
HOME

2002年11月22日(金)
キスで殺して

「よお、帰ったぜ・・・」
ボロボロになりつつも、どうにかこうにか解毒剤を手に入れて、何とか銀次のところに戻った蛮は、心の底からホッとしていた。
そこに銀次が、自分が置いていった時のままに横たわっていたことに。
自分のいない間に拉致られてるか、悪くいけば敵の手にかかって・・ということも有り得ただけに、手出しされずにすんだことはヤツらに感謝すべきだろう。
(何と言っても、無敵を誇る美堂蛮さまの、唯一のアキレスの踵だかんな・・・ このヤローは)
もちろんその代わりに、自分自身でも気づかなかったほどの、桁外れのパワーをくれることもあるのだが。
「・・・ば・・・・・んちゃ・・・ん・・・・・・・・ばん・・・ちゃ・・・・・・」
高熱にうなされながら、それでも苦しい息の下で、自分の名だけをただひたすら呼び続ける銀次が、言葉で言い尽くせないくらいに愛おしい。
その傍らに腰を下ろして、片膝をたてて、そこに銀次の身体を抱き起こす。
「ば・・んちゃ・・・・」
はぁはぁと苦しそうに息をつぎながらも、銀次は朦朧とした意識のまま手をのばし、ぎゅっと蛮のシャツの胸にしがみついた。
一人残されて、ここで一人で死ぬのかとちょっと心細かったけど、でもちゃんと信じてたよ、オレ、蛮ちゃんのコト・・。
そう言いたげに歪む銀次の顔を見つめ、蛮は口でカリ・・と解毒剤の瓶の蓋を開けた。
注意深く、瓶に鼻を近づけてみるが、特に害のあるような臭いはない。
だが・・・。
それでも、これが本当に解毒剤という保証はないのだ。
あの男は、信じてもらうしかないと言ったが、間違いない、保証するとは一言も言っていない。
もし、こっちのがさらに猛毒だったら・・・?
飲んだ瞬間に、血を吐いて、悶え苦しんで、あっという間にあの世行き。
瓶を日にかざして睨みつけ、蛮が思う。
いや。迷っている時間はない、ブラッドがいつ追いついてくるかわからない。
急がなくては。
えーい、ままよ。
いちかばちか。
銀次と一緒にジゴクに落ちる。
ま、それもいいやな・・。
フッと笑みを浮かべて、蛮がくい!と瓶に口をつけ、一気にそれを口に含む。
別に舌の痺れるような感覚もない。
イケるか?
(今、ラクにしてやっかんな・・・)
思いつつ、銀次の頭の後ろを支えながら、ゆっくりと唇を近づける。
まさか、こんな形で、ふれる機会がくるとは・・・な。
毒蜂君に、ちっとだけ、感謝状でもくれてやりてえ気分だぜ。
唇が微かに触れ合った瞬間、銀次の瞼が小さく震えた。
熱い、唇。
熱のせいとはいえ、その熱さは、あまりにリアルに自分の唇に銀次の唇の感触を伝えてくる。
眩暈のしそうな。
恋い焦がれた唇。
そっと合わせて舌を差し入れて、少し開かせたそこに薬を流し込む。
これが、もし猛毒なら、まさに無理心中だぜ・・・。
まごうことなき、死の接吻。
それにしては、あまりに甘美な。
神聖な儀式のような。
でもこれは「あの」儀式とはまるで違う。
ありゃあ、何の感情も入らねえ、正真正銘のただの儀式だったんだからよ。
だが、これはちがう。
同じ人助けでも。
どっちかっていやあ、人命救助を隠れ蓑に、単に銀次にキスできる恰好の口実が出来たに過ぎない。
その証拠に・・。
オレはいつまで、コイツの唇をむさぼってる気だってーの!
自分で、夢中で銀次に口づけている自分に気づいて、苦笑しながら唇を離す。
ちくしょう、まだ名残惜しい。
くそ、せめて邪眼のタイムオーバーまでもう少し時間がありゃあ。
ったく、往生際が悪いぜ、美堂蛮。
フッと笑いを漏らして、瓶にまだ少し残っていた薬も全部飲み干す。
「これで、この瓶の中身が毒だったとしても、おあいこだぜ、銀次。死ぬ時ゃあ、一緒だかんな」
呟いて、銀次の身体を支えて立ち上がり、その身体を背中に担ぎ上げる。
「だー、重え・・・。ったく、たいして食ってねえくせに、てめ、この、太りすぎなんだよ・・!」
よっこらしょとおぶさって、スバル目指して歩き出す。
バトルの後で体中が軋むが、背中にかかる銀次の重さは心地良い。
とにもかくにも助けてやれたことに、本気でほっとしている。
そんな自分に、つい自嘲の笑みが漏れてしまう。
こんなに誰かのことで、心配したりほっとしたり、忙しく感情を揺さぶられるなどということは、銀次と出会う前の自分なら考えもできないことだ。
そんな蛮の背中で、まだ荒い息をしている銀次が掠れた声で呼んだ。
「・・・蛮・・・ちゃ・・・あん・・・」
「あ? どした? 苦しいか?」
「ん・・・・。さっきよりはマシ・・・・かも」
「そっか」
「・・・・なぁんか、ユメ見てたよー」
「どうせ、何か食ってるユメだろが?」
「やだなあ、ちがうって・・・。蛮ちゃんと、ねー。へへ」
「んだよ、気持ち悪ぃ」
「いいや・・・。どうせ怒るし」
「怒んねーから、言ってみな」
「怒んない・・・?」
「ああ」
「蛮ちゃんとねー、キスするユメ・・・・・」
ゴキ!
「いたぁいー! ひどいよ蛮ちゃん! 怒んないって言ったじゃないかー、もお。オレ、病人なのにー」
「そんだけ、よけいなことぺらぺらしゃべれりゃー上等だ! 病人だと思ったら、ちったあ大人しくしてろ!」
「はーい・・」
怒鳴られて、銀次が蛮の肩の上に顎をのっけて、目を閉じる。
まだ本当は、話をするどころか息をするのもつらいのだが、蛮の帰りを待つ間は本当に心細くてたまらなかったから、こうしてくっついていられるだけで嬉しくて、まだ意識も朦朧としているのに、ついぺらぺらとしゃべってしまった。
(蛮ちゃんの背中、あったかいや・・・・)
安心して、また意識がどんどん遠ざかっていく。
おぶってもらって話すことなんて、そうそうないだろうに。
ずっとこうしてて欲しいなあ・・。
寝ちゃうなんて、もったいないなあ・・・・。
そう思いながらも、蛮の飲ませた解毒剤が効いてきたのか、銀次は少しだけ呼吸をラクにして、すー・・っとまた眠りの中に落ちていった。





「んあ・・ ここは・・・・?」
「車ん中」
「おわ!? 蛮ちゃん、どーしたの、その傷!!」
「カスリ傷だよ、こんなモン。それよか、体はどーよ?」
「ん・・・・・ なんか息がラクになったみたい」
「そっか・・・」
「毒蜂の野郎、見かけによらず律儀な男みてぇだな。ま、どのみち、保険はかけといたんだが・・」
「そっか・・・ 蛮ちゃん、オレのために戦ってくれたんだね」
「・・・・・・んな大げさなモンじゃねーよ」
「・・・・・・そっか―― オレ― また蛮ちゃんに助けられたんだね――」
「なーに、いっちょ前に落ち込んでんだよ」
「んあ」
ゴン!と殴られてシートに沈んだ銀次は”いったいなー、もう”と言いながら身を起こしかけ、何かを思い出したようにふいにその動きを止めた。
「・・んだよ」
「あ・・・」
「どうかしたか?」
「えと、別に・・」
殴られた頭を手で押さえながら、倒されたままのシートにそのまま身体を預け、蛮を見上げる。
ちょっとためらいがちに、銀次が尋ねた。
「ねー、蛮ちゃん」
「あ?」
「なんかさ、毒蜂さんから薬みたいの、もらってきた?」
「もらってきたつーか、かっぱらってきたっつーか・・・」
「オレ、それ飲んだ?」
「ああ。んで、ラクになってきたんだろ?」
そうなんだ、とひとまず納得して、それからもう一度考え直し、また銀次が口を開く。
「・・・・・・ねー。蛮ちゃん?」
「ああ?!」
「あ、ソレ飲む時さ、蛮ちゃんさー。もしかして、オレにキ・・・・」
「あ〜!! そいから、マリンレッドも無事奪い返したからな! いや、オレさまの邪眼でばっちりよ!! こんでオレらも車生活とおさらばして、ロフト付きマンションに住めるぜ!!」
「ねー、もしかして、キス、とかしなかった?」
「いや、ロフト付きなんてケチなこと言ってねえで、いっそオートロックのマンションにだなあ!」
「ねー。蛮ちゃあん」
「うっせえな! ヒトがいい気分に浸ってんのによ!」
「ねー、してない??」
「してねえよ! バカじゃねーのか、テメエ! ヤロー相手にそんなことすっか!」
「だって、雨流にはさあ」
「あれは儀式だっての! 人命救助っつーんだ、人命救助!」
「でも、オレだって人命救助・・・」
「テメーのは、ただの蜂さされだろーが!」
「そうだけど・・・。ねー、ほんとにほんとにオレにキスしなかった??」
「してねえっつーんだよ、しつけえんだ、テメーはよ!!」
「・・・・・・そうかなあ・・・」
言いながらシートを起こして座り直して、その上で膝を抱える銀次に、蛮はまだ吸い終わっていない煙草を灰皿で揉み消すと、また新しい煙草に火を点けた。
煙草をくわえる蛮の口元をちらっと横目で見ながら、自分の唇にそっと指を置いてみる。
蛮はあんな風に言うけれど、唇に、妙に確かに感触が残っている。
誰かの、唇の。
だいたい蛮が、本当に解毒剤かどうかアヤシイ確証のないものを、他人にほいほいと飲ませるとは思い難い。
とすると、一応自分で毒味でもして、それから、そのまま口移しで・・・・。
想像するなり、かああっと顔が熱くなる。
まさか、そんなこと、やっぱ、ないか。
うん、ないよ。
そんなこと、してくれるはずがない。
ないない、やめやめ! 
考えるなオレ! 
やばい、うわー。
なんか、また熱が出そうだ。
顔が熱い。
「おい」
「んあ?」
「顔、赤けぇぞ」
「あ、そ、そう?」
「車、イカれててスピード出ねえし、当分依頼人とこにゃつかねーから。おまえ、熱あんだから、もーちょい寝てな」
「・・・・うん」
蛮に言われ、銀次は頷くと、大人しく目を閉じた。
身体の熱はもう大分ひいてきたのに、これじゃあ、またぶりかえしだ。
頭ん中と顔が熱い。いざって時に役に立たなくて、また蛮ちゃんの足ひっぱったら嫌だし、今のうちに寝とこー。
うん、そうしよう。
そう思い、 もう一度シートを倒す。
自分でもあきれるくらい、瞬く間に眠りに誘われていきながら、銀次は思っていた。
蛮ちゃんは自分を助けるために、ただそのためだけに戦ってくれたんだ・・。
それだけで、もう充分だよね。
そのおかげで、今ここにいるオレがあんだから。
「・・・・・・・蛮ちゃん・・・・・・あんがと・・・・・・」
夢見心地で、銀次が呟く。
蛮はハンドルを握りながら、その言葉にちらっと隣のシートを見、幸せそうな顔で眠る銀次に、包み込むようなやさしい瞳をして、その口元に笑みを浮かべた。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マガジン50号の、例の薬はどーやって飲ましたのか!?の話がどうしてもどうしても気になって、つい書いてしまいました。
きっと皆さん書きつくされてるんでは?と思いつつ。(イメージ崩れたらゴメンナサイ)
後半の「んあ・・ここは・・?」から「なーにいっちょまえに落ち込んでんだよ」の後の「んあ」までは、実際にマガジンにあった部分からの抜粋です・・。
なんかこうやって台詞だけ書き出すと、すごいね!
同人SSの中においても、どこが原作かわからないくらいのラブっぷりです・・・!
蛮ちゃんは本当に銀ちゃんに甘い!
そして、今後の名誉挽回の銀ちゃんの暴走に、つい期待をかけてしまう私なのでした。



2002年11月26日(火)
ららばい

無限城の「“IL”奪還」の仕事が終わってから、数日がたった。
外の世界に出て、銀次は心から安堵していた。
けだるい疲労感が身体に残ってはいたものの、そしてそれは数日がたった今でもとれることはなかったが、それでも街はそんな裏の世界のことなどに干渉されることはなく普段と同じで、雑踏も、車の渋滞も、自分たちが無限城に赴く以前と何一つ変わってはいなかった。
ホンキートンクでは波児と夏美が笑顔で迎えてくれたし、挽きたてのコーヒーは心の疲れさえとってくれそうだった。

だが。

銀次の中に起こった星の爆発のような力の放出は、無限城の中では何ら自身への影響がなかったにも関わらず、外の世界に一歩出るなり、確実にその心身を蝕んでいたのだということを身をもって銀次に教えた。
特に、幼い頃のトラウマの中から、えぐり出すようにして「雷帝」の封印を解かれた心は、鋭いメスで斬りつけられたかのように、どくどくと血を流しては痛んだ。
それでも、蛮がそばにいたから、銀次はその痛みのほとんどを自覚しないまま、ごく自然に笑っていられたし、多少の疲れなど吹き飛ばせるほど、また強くもいられた。
今までと変わりのない日常に身をおいて、眩しいほど幸福だった。

しかし。
夢の中までは、そうはいかなかった・・。
気を抜いて、眠りに落ちると、とたんに悪夢に引き込まれる。
しかも、見る悪夢は夜な夜な同じだ。

薄暗い部屋の片隅に、幼い自分が膝を抱え、恐怖に全身をがたがた震えさせている。
おぼろげな記憶。
だが、その時の底のない恐怖心は、いつまでたっても忘れることができない。
多量の血のにおいと、たちこめる死の気配。
いくら幼くても、自分のいるすぐその近くで殺戮が行われていることは、想像がついた。
肉の裂ける音、血飛沫。
断末魔の叫びが、コンクリートの壁と床を伝ってくる。
こわい・・・・・。
だれか、助けて・・・・。
声が、出ない。
こわいよ・・・・。
誰か、ここから救い出して・・・。
どうして、こんなところに置いていかれたのだろう。
捨てて行くなら、もっと別の場所もあっただろうに。
自分を置きざりにした者は、捨てた証拠を残さぬように、自分がここで切り刻まれて、ただの肉片になることを望んだのだろうか・・・。
そんな、酷い。
ひどすぎるよ・・・。
誰かの足音が近づいてくる。
薄暗い扉の向こうに、気配が近づく。
全身から、嫌な汗が吹き出る。
震えが尚いっそう、ひどくなる。
たすけて・・・。
来ないで・・・。
オレを、見つけないで・・・。
足音が扉の前で止まる。
びく!と全身が粟立つ。
ギィイィィ・・・・・と錆びた扉が開かれ、人影が近づいてきた。
いや、だ。
怖い・・・。
死にたくない、殺されたくない・・!
闇の中から手が伸びてくる。
銀次めがけて。
身の毛がよだつ寒い気配がぞわあ・・・・と背中を駆け上がってくる。
いやだあああぁぁぁああ・・・・・・・・・・・!!! 
助けて、助けて、助けて、助けて、誰か助けてええぇぇぇっ・・・・・・!!


「銀次! 銀次・・・!!」
揺り起こされて、ばっ!と勢いよく身を起こした。
「おわ!」
その途端に、勢い余ってゴン!とフロントガラスで額を打って、またシートに撃沈する。
「いてー!」
「何やってんだ、テメー」
「あ、蛮ちゃん」
「何が”あ、蛮ちゃん”だ。安眠妨害だぜ、ったく」
「ふえ〜・・・ ごめん・・」
「おら、汗ふきな」
投げ渡されたタオルを受け取って、やっと自分が全身汗だくになっていることに気がついた。
前髪を上げて、額を拭う。
背中を伝う冷たい汗に、ぞくり・・と悪寒が走った。
「大丈夫か?」
めずらしくやさしい声で聞いてくれる蛮に、銀次がにっこりと笑う。
「うん!」
「・・そっか。じゃ、ちっと待ってな」
「うん?」
言い残して、こちらの返事も聞かずに車を降りて、バタン!とドアを閉めて言ってしまった蛮に、銀次がきょとんとした顔でそれを見送る。
どこに行ったんだろう。
煙草が切れたのかな?
それとも、トイレかな? 
行き先を告げずに、ふらりと車を降りてどこかに行ってしまうことはしょっちゅうあることなので、さして気にはならないが、今は深夜で、しかもこんな悪夢のあとだから、できるだけ一人になりたくなんかないんだけど・・・。
思ってはみるが、仕方がない。
銀次は、ふうっとため息をつくと、シートの上で膝を抱えるようにして、カーラジオに表示されている時間を見た。
午前1時10分・・・。
眠ってから、まだ2時間半くらいなのに、もう今夜だけでうなされて起きるのは2度目だ。
(そっか、蛮ちゃん・・。オレの横じゃ、うるさくって眠れないからホンキートンクにでも泊めてもらいにいったのかも・・? ここからだったら、わりと近いもんねー・・)
考えて、ちょっと淋しくなる。
でも、やっぱり仕方ない。
やっぱり、オレが悪いんだもん・・。

 『そうさ、お前が殺したんだよ。 お前のせいでみんな死んだんだ。 お前が皆を見殺しにしたんだ―!』

バーチャルとはいえ、あまりにリアルな鮮明な映像が意識の奥に入り込んで、あたかも本当にあったことのように銀次の罪を責め立てる。
ベルトラインの連中ではなく、自分のこの手で、シュウやリューレンを殺したのだと責められる夢。
それなのに、おまえ一人、ここを出て楽になって、と。
それと、幼い頃の天子峰に拾われた時の記憶とがセットになって、交互に夢に現れるのだ。
(ハードだなあ・・・ せめて、一晩一回で、どっちかだけになんないのかなー・・)
思ってはみるが、自分の見る夢だ。
誰にも文句のつけようがない。
強いて言えば、マクベス。
ちょっとホントにアレ、ハードだって。
オレの雷帝化の封印を解く、さすがな作戦だけど、あとあとキツイよ・・・。
まあ、本当のこともあるから、仕方ないんだけどね・・。
夜の街を、通りの向こうに消えていった蛮の右肩の白い包帯が、その闇の中にぽっかりと浮かび上がって思い出される。
あれだって、オレの・・。
蛮ちゃんは、邪眼使ったっていうカモフラージュに使えたんだから、別に気にするこたぁねえさと言ってくれた。
そんかわし、大概痛い目させられたんだから、テメーも同じ目にあわせてやらあ!とさんざんグリグリされたり、げしげし足蹴にされたりしてイジメられたけど。
それが蛮ちゃんのヤサシサだってことは、オレ、ちゃんとわかってる。
だから、オレのためにゴメン・・・って思う代わりに、きっと必ず、蛮ちゃんがピンチの時にはオレも身体をはって蛮ちゃんを助けるんだって、そう決めてるから。
それはいーんだ。
負い目とかそういうの、きっと蛮ちゃんは嫌いだろうし。
オレもよくないと思うから。
でも、この悪夢ばかりは・・・。
あれやこれやと考えているうちに、頭がぼうっとしてきて軽い睡魔に襲われる。
もう4日ぐらい、まともに眠っていないのだから当然だ。
でも、眠りたくはない。
また底なしの悪夢に引き込まれる。
そう思い、迂闊に眠ってしまわないように、項垂れたままでぶるっと首を横に振った。
いつまで続くんだろう、こんなことが・・・。
少し重い気持ちで考えかけた途端、バタン!とドアの閉まる音がして、はっと運転席を見た。
「・・蛮ちゃん」
「おう」
一瞬だけ、意識がとんでいたらしい。
隣に戻ってきてくれた蛮に、銀次が心からほっとしたような笑みを浮かべる。
「おら」
「んあ?」
差し出されたコップを受け取り、なに?と問いかける間もなく、そこに蛮の持っていたステンレス製の水筒から、なみなみとあたたかな液体が注がれた。
「飲んどけ」
「って、蛮ちゃん?」
「ホットミルクだ。感謝しろよ、波児たたき起こして作らせたんだからよ」
「うん・・・。で、なんで蛮ちゃんはビールなの?」
「ノドかわいたんだよ」
「オレだけミルク?」
「そ!」
「ふーん」
「んだよ!」
「オレもビール、飲みたいなーと思って・・」
「ガキはミルクでいいんだよ!」
「でも、オレ、蛮ちゃんと同じトシ・・・」
「うっせーな! 不眠症のガキには、あっためたミルクがいいんだってよ!」
「え?」
そこまで言われてやっと気づいた。
そっか、眠れないオレのために、わざわざミルク・・・。
不眠症には、ぬるめのホットミルクがいいとかなんとか、前にラジオかなんかで聞いたような気がする。
隣で派手に缶ビールを煽っている蛮を横目に、プラスチックのカップに注がれたそれに、ゆっくりと口をつける。
ノドを通ってくるそれは、冷たい身体に染みわたるようなあたたかさがあった。
「あったかいや・・・」
ほっとしたような顔をする銀次に、蛮がいつになくやさしい笑みで静かに聞く。
「・・・眠れそうか?」
「うん・・・」
「あんま、急いで飲むな」
「うん」
コク・・・とゆっくり飲んで、それからそのカップを見つめたまま、銀次が言う。
「オレさー、蛮ちゃん」
「あ?」
「いろいろつらかったけど、今度の仕事で無限城にいけたこと、よかったって思ってるんだ・・。なんもかも放り出して逃げて出てきたみたいなとこがあったし、そんなキモチが胸の奥でくすぶってたから。でも、そういうのも、ふっきれたし。・・・・ありがと、蛮ちゃん」
「なんだよ! オレは別に何もしてねーぞ! 第一、450万は・・・・! あー、今思い出してもムナクソ悪りぃぜ、あのクソ屍のヤロー! 今度あったら、この美堂蛮さまがギッタンギッタンに・・・!」
「わー、だから、蛮ちゃん! ソレだけはやめた方がいいってば!」
「なんだと! テメー、オレがあんなヤローに負けるとでも・・・」
「わわ、そうじゃなくて、いだだだだ・・・・!! わーん、ミルクこぼれちゃうよ〜」

気がつけば、時計は大きく2時を回り、さすがに眠気に勝てなくなってきた銀次は、目を擦りながら、ふああ・・とあくびと伸びをした。
「眠ぅ・・・」
「いーから、もう寝ろ」
「うん」
シートを倒して身を預けながら、微かに不安げな表情を見せる銀次に、蛮は指先で軽くその鼻先をはじくと、驚いて瞳を見開く銀次に包み込むような瞳を向けて言った。
「悪い魔法使いはもう来ねえから、安心して眠んな」
「うん・・」
ん? 悪い魔法使いって?
と、思いながら、ゆっくりと目を閉じる。
そういや蛮ちゃんって、魔法使いの血筋なんだよなあ。
あ、魔法使いじゃなくて、魔女だっけ?
魔法使いと魔女ってどうちがうんだろう・・・。
今度きいてみよう。
あ、でももしかしてまた、ゲンコが飛んでくるか・・・・・も・・・・。
考えの途中で、意識が深みに落ちていく。

ああ、また悪夢が始まるのか・・・・。



薄暗い部屋の片隅に、幼い自分が膝を抱え、恐怖に全身をがたがた震えさせている。

あ、またコッチのユメ・・・。今日は2回目じゃないのかなあ。一回でも充分なのに・・。

多量の血のにおいと、たちこめる死の気配。
肉の裂ける音、血飛沫。
断末魔の叫びが、コンクリートの壁と床を伝ってくる。
こわい・・・・・。
だれか、助けて・・・・。
声が、出ない。
こわいよ・・・・。
誰か、ここから救い出して・・・。

誰かの足音が近づいてくる。
薄暗い扉の向こうに、気配が近づく。
全身から、嫌な汗が吹き出る。
震えが尚いっそう、ひどくなる。
たすけて・・・。
来ないで・・・。
オレを、見つけないで・・・。
足音が扉の前で止まる。
びく!と全身が粟立つ。
ギィイィィ・・・・・と錆びた扉が開かれ、人影が近づく。
いや、だ。
怖い・・・。
死にたくない、殺されたくない・・!
闇の中から手が伸びてくる。
銀次めがけて。
身の毛がよだつ寒い気配がぞわあ・・・・と背中を駆け上がってくる。
いやだあああぁぁぁああ・・・・・・・・・・・!!! 
助けて、助けて、助けて、助けて、誰か助けてええぇぇぇっ・・・・・・!!

「おい、ボーズ」
目の前に来た人影に、ぎゅっと目を閉じ、全身を強張らせる。
頭の上にポンと手を置かれ、”ひぃぃ・・!”と泣き声のような叫びを上げた。
あれ・・・・。
でも、この手は・・・?
「・・・・え?」
恐る恐る、手の主を見上げる。
天子峰じゃない・・?
「ボーズ、名前は?」
「ぎんじ・・・・・ あまの、ぎんじ・・」
「ふーん・・。トシは?」
「わか・・・・わかんない・・・」
「そっか・・」
ぶるぶる震えたまま見上げていると、その声の主が言う。
「ついてきな」
誰だろう。
顔が逆光になっていて、よく見えない。
けれど、何だかとても懐かしいような。
ついてこいと言われて立とうとしたけれど、足に力が入らず、腰が抜けたようになっていて動くことさえままならない。
泣き出しそうな瞳で見上げていると、男は、しゃあねえなあ・・と笑うと、銀次をひょいと腕に抱きかかえた。
「あ、あの・・」
「いいモン見せてやっからよ」
言われて、抱き上げられたまま、とにかくぎゅっとその首にしがみつくと、「おまえ、結構怖がりだよなー」と男が低く笑う。
わけがわからないままエレベーターに乗せられて、気がついたらひどく高いところに来ていた。
街が360度に一望できる、高さ。
「ここ・・?」
「無限城の、一番でっかいビルの屋上」
「うわ・・・」
「怖くねーか」
「うん」
風が強い。
しがみついていないと、吹き飛ばされそうだ。
それでもオトコの首に抱きついたまま、その腕の中から街の遠くまでを見る。
高く聳え立つビルが、幾つも見えた。
その遠く向こうは、もやに白く霞んで、果てがないかのようだ。
あの向こうには何があるんだろう。
ビルの谷間に、沈んでいく夕日が赤く、自分のまだ幼い輪郭と男の凛々しい横顔を染めていく。
静かに男が言った。
「外にゃ、こんなに広い世界がある。おまえが望む限り、どこまででも行けるんだ。そのことを、忘れるな。ボーズ」
「うん・・!」
男の言葉に、強く頷く。
そして、泣きはらした赤い目に、それでも強い光を宿して夕陽を見つめた。
こんなにきれいな夕陽ってあるんだ・・・。
今までずっと知らなかった。
ビルも、家も、ヒトも、車も、みんな小さくて、それに比べて太陽ってこんなに大きかったんだ・・。
思いながら、ふと大事なことに気がついて、少しもじもじして男に尋ねた。
「あの・・。おにいちゃん・・・・。だれ?」
銀次の言葉に、男が笑って言った。
「オレか? オレの名前は、美堂、蛮」
「ばん?」
「そ! よーく覚えときな。銀次」
「うん!」
「あ、そーだ。ボーズがでっかくなったら迎えにきてやっからよー。オレと「奪還屋」やんねーか?」
「ダッカンヤ? うん! やる!」
「よーし、いい子だ。んじゃ、そんかわり、それまでちゃんと生きてろよ」
「うん!」
「しっかり生きて、待ってるんだぜ。いいな?!」
「うん、わかった、約束だよ・・!」
「ああ。約束だ」




「おいおい・・・。ジャスト1分はとうに過ぎたぜ? いつまで勝手にユメの続き見てやがんだぁ?」
蛮が、すやすやと眠る銀次を、ハンドルに頬杖を突きつつ笑って見下ろした。
むにゃむにゃと寝言をいう銀次の口元は、幸せそうに微笑んでいる。
さっきの眠りの時のような、苦しげなつらそうな表情はどこにもない。
「・・・・うん・・・・・・・・・オレ・・・・ ダッカンヤ・・・・・なる・・・・」
「ちぇ、あっさり刷り込みされてんじゃねーや。バーカ・・」
蛮は笑ってそういうと、コツンと軽く銀次の頭をこづいて、自分もシートを倒して横になった。
これできっと、銀次の悪夢も終わるだろう。
ゆっくり眠れ、銀次。
気持ちよさそうな寝息を隣に聞きながら、蛮も久しぶりにぐっすり眠れそうだ、と目をつぶった。

「・・・・ばん・・・ちゃ・・・ん・・・」



いいユメ、見れたかよ・・・? な、銀次・・?




END


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何気に無限城のお話もナゾが多かったですが。
一番の気がかりは、天子峰って何者?っていうことと、蛮ちゃんの台詞・・。
「どっかで自分から封印といただろうが! そうすっと簡単に雷帝モードになっちまうとあんだけいっといたろうが!」と銀ちゃんに言ってたのですが、いったいソレはいつのまに???
読者を無視して、二人でこっそりそんなハナシをしてたのか・・!
これは封印したのも蛮ちゃんだということなのでしょうか?
とりあえず、雷帝になるには蛮ちゃんの許可がいるようです(笑) 
このIL奪還以降の話で銀ちゃんがバンダナをするようになったのは、アレはもしや雷帝の封印のしるしなのでしょうか?

とかなんとか考えつつ、無限城後のお話を書いてみました。
蛮ちゃんとチビ銀・・。かなりツボv



2002年11月28日(木)
ららばい2

目が覚めた時には、既に太陽はずいぶんと高くに上っていた。
「んあ〜〜」
久しぶりによく眠ったなあという爽快感とともに、身体中に活力がみなぎってる感じがする。
悪夢の後はいつも、身体のあちこちがきしきしと痛んで、起きあがるのさえつらかったけど。
「あ? そういや、蛮ちゃんは?」
公園横の日当たりのいい場所に車を停めたまま、蛮はどこに行ってしまったのだろう?
車から降りて、ん〜!と力いっぱい伸びをして、朝の光を浴びて(もしかしてもう昼なのかな?)空気を胸いっぱいに吸い込む。
あー、おひさまっていいなあ。あったかくて、でっかくて。
あれっ?
おひさま・・って。
(そういや、なんかユメ見てたなー。おひさまを誰かと一緒に・・・あ、おひさまっていうか夕陽・・・・。無限城から一緒に誰かと・・)

 『うん。ダッカンヤ、やる!』

(あ・・・・・)
ユメの中で幼い自分を抱き上げてくれた、あの暖かい腕は・・・。
思い出したと同時に、銀次は走り出していた。
公園のベンチに腰掛けて、集まってくる鳩を足で軽く蹴散らしながら、ぼんやりと煙草をふかしてる蛮の姿が目に入ったからだ。
「蛮ちゃん! 蛮ちゃん!!」
蛮が駆け寄ってくる銀次に気がついて、ぶっきらぼうに視線を送る。
「おはよう、蛮ちゃん!」
「おはようって、テメー、もう11時だぞー」
言うなり、転がるように走ってきてベンチの隣にひょいと正座したかと思ったら、唐突に首に抱きついてきた相棒に、ちょっと面食らった顔で銀次を見る。
「うわ、なんだお前! 煙草の灰が落ちんだろーが、おい、あちち!」
「蛮ちゃあん」
「あんだよ!」
「オレさ、オレさ、すっっごいいいユメ見ちゃったよ・・!」
さも嬉しげに「聞いて聞いて」という銀次に、蛮がため息をつきつつ、「おう、なんだ」と答える。
別段、今日は予定もねーし、天気はいーし、悪夢から解放された銀次のハナシをぼけっと聞いてやるのも悪かねえ。
そんな表情の蛮に、銀次はゆうべ見たユメを、事細かに話せて聞かせた。
あのねー。ガキの頃のユメなんだけどねー。あ、天子峰のハナシは前にしたよねー。それがさー。薄暗がりの部屋で震えるオレを抱き上げてくれたのは、天子峰さんじゃなくて、なんと蛮ちゃんだったんだよー! でねー、無限城の屋上から蛮ちゃんに抱っこされたまま夕日見て、そしたら蛮ちゃんがねー。大きくなったら迎えに来てやるから・・。

「オレとケッコンしないかってー!!」
「・・・・・・・ああ゛!?」

「おい・・」
「うん?」
「ちげーだろ?!」
「なにが?」
にこにこ笑っている銀次とは対照的に、どーんと暗くなっている蛮が低ーい声で言う。
「ちがうだろうが、ソコは!!」
「どこ?」
「誰が結婚だ?! ああ!?」
「だって、蛮ちゃんが・・」
「オレは、言ってねーだろ、んなこと言うか!? 」
「あれ? だったら、何だっけ?」
うーん?と首を傾げて考える銀次に、くるりと背を向けて蛮がベンチを立ちながら言う。
「奪還屋、やんねーかっつったんだよ! んな大事なトコ、間違え・・・!!」
吐き捨てるように言って、「しまった」という顔をした。
まさか、このヤロー・・。
いやーな予感がしつつ、ばっと!振り返る。
「やっぱ、そうだったんだ・・」
にっこりと微笑む銀次の瞳が、少し潤んで蛮を見ていた。
まんまとハメられた・・・。
この美堂蛮さまが・・・!
しかも、このアホに。
すげー屈辱・・。
ピキピキとこめかみあたりに筋を入れつつ、ぶるぶると拳を震わせて、怒りにまかせて力いっぱいのケリと、この際「スネークバイト」でも喰らわせてやろうと身構えた途端、がばっ!と今度は正面から抱きつかれて思わず蛮が固まる。
お、生意気に、殴られる前に自分から懐飛び込んできやがったか?
そっちがそう来るなら・・。
「テメェ、いい度胸じゃねえか、このオレ様のスネークバイトから逃れられるとでも思って・・!」
「・・・・・・・・・・・」
「聞いてんのか、オラ!」
「・・・・・・・・・」
「おいコラァ、銀次・・! てめー、人をコケにしといてシカトすんじゃねー!」
「・・・・・・・うん、聞いてる・・・」
「聞いてんだったら、離れろ、暑っ苦しいからよ!」
「・・・・・・・聞いてるから」
「だったら・・!」
「・・・・聞いてるから。・・・・・ちょっとだけ、こうさせて・・・。蛮ちゃん」
「・・!」
しがみつかれている蛮の耳元で、微かに鼻を鳴らすような音がした。
どんなにつらい時でも、笑顔を絶やさず元気いっぱいの、そうたやすく蛮の前でさえも涙を見せない銀次が。
・・まさか、泣いてる?
「銀次?」
「蛮ちゃん・・」
邪眼でユメを見せてくれたんだね・・。
悪夢から、オレを救い出すために。
いつも一緒に過ごしてきたから、想いもずっと共有してきた。
互いがつらい時は、同じように自分もつらかった。
だけど、この想いの深さでは、蛮に到底適わない気がする。
自分に、こんな風に相手を思える深さはあるだろうか。
冷血、冷酷と呼ばれながらもこのヒトは、誰よりも、深い情愛を持っているのだ。
でも、オレも負けないよ。
蛮ちゃんがオレを想ってくれるよりもっと、ずっと、蛮ちゃんを想うよ。
深さでかなわないんなら、強く。
もっと強く、蛮ちゃんを想う。
そんな銀次の想いを感じて、蛮がその背中をポンポンと叩いて、静かに訊く。
「・・・・んで? よく、眠れたのか・・?」
「うん・・!」
「そっか・・。なら、よかったな・・・」
「うん!」
「だったら」
「うん?」
「いい加減、降りろ、テメー!」
「んあ?」
「わかんねーのか!? テメェ、ヒトの足の上、のっかってやがんだよー!!」
「あ、ホントだv」
「ホントだじゃねえ! 気づけってんだ、このー!」
ガッ!!
思い切り蹴飛ばされて、タレて銀次が飛んでいく。
「びえええ、ごべんなざい〜!!」
ひょーんと飛んで、ボチャン!と池に落っこちるのを見て、蛮は「やれやれ」と脱力したように肩を落とした。
「わーん、蛮ちゃーん、パンツまでびしょびしょで〜す・・・」


「ったく・・・。アイツといると、とにかく退屈するこたぁねーわな・・」
フッと笑みを漏らすと、池の鯉と戯れている銀次を、バカだボケだと罵りながらも、側に行って手を伸ばす。
「おら、掴まれボケ」
「ひどいよー、蛮ちゃあん」
「てめえがナメた真似しやがるからだろ!」
「だってー。あ、ねーねー、本当におっきくなったらケッコンしてくれんのー?」
「ケッコンじゃなくて、奪還屋だっつってるだろうが!! だいたい、てめえ今よりデカくなってどーすんだ!」
「わーい、蛮ちゃん、照れてるーv」
「照れてねえ!! ったく、つまんねーごたく並べやがる口はコイツか、コイツか!? ええ!?」
「いだだだー!! わーん、ごめんなさーいぃ」



陽の光と水飛沫の中でじゃれあう蛮と銀次に、公園の鳩たちがくるりと小首を傾けて、あきれたようにそれを見ていた。
銀次の金色の髪が、よりいっそう、きらきらと輝いて見えた。






END

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


銀ちゃんて、あまり涙を見せないと書いたけど、よく考えたらそうでもないような。
無限城では、かなり手ひどく(精神的に)痛めつけられたので、涙をたくさん見せてましたし。
普段は、タレ銀の時に、蛮ちゃんにイジメられてよく泣いてますよねー。
泣き虫銀ちゃん、可愛いv
でも、ヒトのために泣くことはあっても、本当に自分がつらい時とかは、自分のためには泣かない気がする。
そんな銀ちゃんが、蛮ちゃんと二人の時だけは、気を抜いて涙を流すってのが理想ですねv



2002年12月03日(火)
ゆずれない願い

「いー天気だねえ・・」
真っ青な空を見上げて、銀次が言う。
「おまえは、年がら年中、脳天気だけどよ」
「あ、何ソレ。ひどいよー、蛮ちゃん」
買った弁当を、自分の分も銀次に持たせ、そのままぶらっと近くの公園に立ち寄って、蛮が先に芝生にへたりこむ。
風は冷たいが天気はいいから、スバルの中で食べるよりもよほど暖かいだろうと思いついて、外で食べることにしたのだが。
銀次はなんだか、遠足にでも来たように嬉しそうだ。
しかも、ついでにいえば、1000万円が手に入らなかったことさえ嬉しそうに見える。
「明日っから、また極貧生活だってのによ」
「シャケ弁当も食べ納めだよね。石倉さんからの前金も、蛮ちゃんが全部使っちゃったし」
「んだよ! 500万円のワイン2本とも開けちまったのは、どこのどいつだってんだあ!?」
「だって、そんな高いワインって知らないもん。でも、飲んだのは蛮ちゃんだよ!」
「てめえも飲んだだろうが!」
「ちょっとだけでしょー。でも、高いワインだったけど、ゼリーにしたらあんまし美味しくなかったよね」
「ったりめーだ! ゼリーにすんなら500円くれーのワインで充分だっての。ああ、考えただけでももったいねーことを・・!」
「苦労したのにねー」
と言いつつも、なぜか笑顔の銀次に、蛮は「ったくマジでのーてんきな野郎だ・・」とやれやれと肩を落とした。
金は、しっかり底をついた。
というよりむしろ、借金の方が増えた。
明日から、また空腹を抱える日々だ。
うまい具合に、またヘブンがいい仕事でもまわしてくれればいいのだが。
『あんたたちに仕事回すと、私まで金運に見放される気がしてきたわ』と言っていたところをみると、あまりアテにはできない気がする。
金が回ってこないのは、確かに金運の悪さもあるだろうし、自分の浪費癖も、ま、ちょっとはあると思う。
が、それより何より、この相棒の金への執着のなさも、かなりアリじゃないかという気がする。
ま、別にいいけど。
また稼げばいいことだし。
そんな風に思いつつ、実は自分も相棒と同じように、案外金に執着がないことに、蛮は今いち気づいてはいない。
「はい! 蛮ちゃんの分」
隣に並んで坐って、銀次が蛮の弁当を手渡して、ごそごそと自分の分の弁当をあける。
パキ!と口で割りばしを割る蛮を、銀次がちらっと見て微笑んだ。
別にどうということはないが、こういう何気ない蛮の男っぽいしぐさが、銀次はとても好きだ。
一度真似してやってみたが、ぼき!と無惨に割りばしは折れて、何やってんだと蛮に怒られた覚えがある。
あれから、さすがに挑戦はあきらめたけど。
「いただきまーす」と手を合わせて、既に食べ始めている蛮を見つつ、ご飯をほおばって空を見る。
さすがに冬の空は高い。
空気も冷たく済んでいて、深く吸い込むと胸を奥までひんやりする。
気持ちがいい。
お金がなくても、ま、いいかと思えるくらいの清々しさ。
<あと3日も空腹が続けば、あれは錯覚だったと思うだろうが>
「・・ねえ、蛮ちゃん」
「あ?」
「石倉さんてさ、結構イイ人だったね」
「あ゛あ゛!? 何言ってんだ、テメエ! あのクソじじいのせいでさんざん危ない目に合うわ、車は壊れるわ、金は入るどころか請求書まわされるわ、ロクなことがなかったってえのに・・・!」
「でも、ずっとナディアさんのこと好きだったんだよねー」
「あ?」
銀次の一言に、卵焼きをほおばったまま、蛮が眉間にシワを寄せる。
「そういうの、いいなあって。うまく言えないけど、ずっと心の中で大事に想ってたんだよね」
「・・・それで、いい人ってか? とことんお人好しだよなー、テメエってヤローは」
「そう? でも、そういうの、ちょっと羨ましいっていうか・・。いなくなった後も、ずっと誰かを想っていたり、想われり・・って」
言って、何かを秘めたような瞳で、遠くを見つめる。
だれかに、そんな風に想われたい、そんな顔だ。
何、夢みてーなこと言ってやがるんだか・・・。
少々あきれた思いで、蛮が言う。
「金、入んなくてよかったって顔だな?」
「え? そういうわけじゃないけど! でも、お金じゃ買えないものでしょ。そういうのって」
「って、何甘いことぬかしてるんだ! こちとらビジネスでやってんだぜ。ボランティアじゃねえっての」
「わかってるよ。でも、蛮ちゃんだって、ちょっとはそう思ったんでしょ? あんまりあの後お金のこと言わなかったじゃない」
銀次の言葉に、しかめっつらをして、不服そうに蛮が言う。
「ワインで精算なんざ、回りくどいことしやがらねーで、とっとと現金でよこしやがれっつーんだよ、あのジジイ! まーでも、飲んじまったもんはしょーがねえし。こっちも2本しか奪還成功しなかったわけだしよ。・・まあ、勇気ある美人のねーちゃんに免じて、大目にみてやっか・・・ってとこだな」
言って、あっという間にからっぽになった弁当箱をゴミ箱に投げ入れる。
銀次もそれを見て、また「グズグズすんな!」と怒鳴られる前にと、あわてて弁当の中身を胃に詰め込む。
「別に急ぎゃしねーよ」
「え?」
「ゆっくり食え」
「あ・・うん」
「確かにな」
「んあ?」
「悪かねえ、話だったな」
そういう蛮の目は、おだやかな色をしている。
マリンレッド・・・じゃなくて、マリンブルーっていうのは、こうゆう色なのかな・・?
思いつつ、銀次が頷く。
「・・・・うん!」
「俺にゃ、ま、どっちでもいいことだけどな」
言って、派手な欠伸を一つする蛮に、銀次は微笑んで目を細めた。
弁当をたいらげて、銀次が、袋にゴミを一つにまとめてゴミ箱に落とす。
そして、うーんと太陽に向かって大きく伸びをして、空を真っ直ぐに見ながら言った。
「オレも・・・・蛮ちゃんにいつかそんな風に想ってもらえるように、もっと、強くなんないと!」
「・・・・なんで、そこで”強く”なんだ?」
「だって、蛮ちゃんに、アイツは最高の相棒だったって、いつか言ってもらいたいんだもん」
「強いと”最高の相棒”かよ?」
煙草に火を点ける蛮を見つつ、その隣にすとんと坐る。
「そうでしょ? オレ、なんかいつも、蛮ちゃんみたく、きちんと闘うことを計算できなくて行き当たりばったりで、どうにかそれでも切り抜けてこられたけど・・。でも、このままじゃ、いつか蛮ちゃんの足ひっぱいちゃいそうな気がするんだ。今度のこともそうだし・・・。そういうの嫌だし、もっと頑張って、もっともっと強くなんなくちゃって思・・・・・な、な、なに!?」
ちょっと落ち込み気味に話しているうちに、いつのまにかうなだれていたらしく、「強く」と顔を上げた瞬間に、唐突に目の前に蛮の顔があって、銀次はまんまるに瞳を見開いて思わず後ずさった。
「そんなに驚くこたぁねーだろうが」
「だって、びっくりするよ、いきなり目を前にいたりしたら!」
焦る銀次を“ふーん”とやりすごし、蛮はいきなりその場でごろんと寝転がった。
「え、あの」
「膝、貸せや」
言うなり銀次の答えも待たないで、その膝を枕にして目を閉じてしまった蛮に、銀次が心から焦って、赤面してしどろもどろになる。
「ば、蛮ちゃん!」
「おう」
「おう、じゃなくて、その」
「おまえなあー」
「え?」
「つまんねーこと抜かすんじゃねえよ」
「つ、つまんねーことって?」
もしかして、ヒトが少々めずらしく落ち込み気味に告白したことを言われているのだろうか。
・・つまんないかなあ。
そりゃあ、蛮ちゃんにとっては、オレのそういうキモチとかって、どうでもいいことなのかもしれないけど。
とにかく、奪還の仕事さえうまくいけば、過程はどうあれ、結果だけでいいのかもしれない。
でも、コンビなんだし、ちょっとそういう気分でいるんだってこと、出来たら聞いておいてほしかったんだけど・・。
もしかして、眠かったから、聞いてなかった?
銀次の膝の上で、目をつぶったまま、何も言わない蛮に、銀次がちょっともぞもぞする。
心情的なことはおいといても、ちょっとこの状況は嬉しい。
というか、とても照れくさい。
だって、膝枕だよ・・?
蛮ちゃんが、オレの膝で寝てる。
ちらっとあたりの様子を伺って、平日の昼下がりなのが幸いして、公園に人影がないことにほっとする。
わ、顔が熱い。
しかも、なんかドキドキするし。
あの、蛮ちゃんが。
闘いのさなか垣間見る凄まじい殺気の蛮を知っているだけに、そのヒトが自分の膝でひどく安らいだ顔でいてくれる。
そうゆうの、ちょっと神様に感謝したいくらいに、嬉しい。
「蛮ちゃん・・・ 寝ちゃったの・・?」
そっと、声をかけてみる。
「てめーはな」
「・・あ、ゴメン。起こしちゃった?」
「計算なんて、しなくていんだよ」
「うん?」
「そういうの似合わねーだろ、だいたい計算なんて出来るノーミソもねえだろし! てめーは計算のない、本能だけで動いてていいんだ、それで充分強ぇんだし。たんねえ分はこのオレさまがカバーしてやらぁ。それでいいんだよ、コンビなんだから。ないもんを補い合う関係でいいじゃねーか。いちいち、くだんねーことで落ち込むな」
ぶっきらぼうに言ってはいても、蛮の言葉はいつもまっすぐ銀次の心に届く。
「蛮ちゃん・・ じゃあ、オレも、蛮ちゃんにない“何か”を補えてる?」
銀次の問いに、『まだ言わすのか』と言わんばかりに、蛮が続ける。
「・・おまえはなー。ヤサシイし、バカがつくほど人が良くて、いつもへらへら笑ってっけど、肝心なとこはちゃんとシメてるだろ? おまえがそうだから、オレは計算高くも傲慢でもいられんだし。第一、おまえが本能で行動したことに、今まで間違いなんてなかったろ。オレは少なくとも、そう思ってる。おまえの、そういうトコが・・・・」
言いかけて、ゆっくりと瞳を開く。
いつもは濃くて深い蒼い色の瞳が、空の鮮やかなブルーと混じって明るい青に見えた。
「オレは・・・・イイと思ってるからよ・・・」
あれ? 
もしかして“好き”って言ってくれるのかなと期待したのに。
あ、けど、イイってことは、”好き”ってことなのかな?
思いながら、銀次が太陽のような笑顔になる。
「・・・・うん!」
その笑顔に、蛮が少し眩しげに片目を細めて手をかざした。
「おい、銀次。もうちょっと、こっち向け」
「んあ?」
「まぶしーんだよ」
「あ? こっち?」
「じゃなくて、もっと、こう」
「こうって。こっち?」
「おう、その角度」
「蛮ちゃん、オレ、日除けじゃな・・・・・・」


「オレはな、銀次・・」

・・・え?


言いかけて、瞳が見開かれる。
蛮の真上に顔を持っていく形になって、そのまま、蒼い色と瞳がぶつかった瞬間。
のびてきた蛮の手に、頭の後ろをぐいと押された。
ただしくは、蛮の方に引き寄せられた。
ちょうど唇の位置が、蛮の唇の真上だったので。
あたりまえのように、唇が重なった。

・・・眩暈のような、熱い、感触。

え・・・?
ええ・・・・っ?
こ。
これって、キスっていうんじゃ・・・!
オレ、初めて、だよ!
ふぁーすときすだよ!
蛮ちゃん・・・!
オレ、蛮ちゃんと、キス、しちゃったよ・・・・・!?

よかったの???

銀次の頭の後ろから、蛮の手が滑り落ちる。
それと同時に、重なった唇が、ゆっくりと離される。
まだ、離れたくはないけど、ほんとは。
思いながら、頭を上げていく銀次の顔は、額まで真っ赤だ。


ぱた・・と蛮の手が芝生の上に落ちるなり、その口元からスー・・と軽い寝息が聞こえた。

「・・・え? あ、あの・・・」
オレ、初めてのキスだったんだけど?
ば、蛮ちゃん?
とっとと寝入ってしまった蛮を呆然と見下ろして、銀次が困りきったように火照った頬ををぽりぽりとかく。
どうしよう・・。
1人で赤くなってんのって、ひどくカッコ悪い・・。
眠っている蛮の顔を見ていると、ますます顔が熱くなってきそうで、仕方ナシに天を仰いだ。
冷たい風が、銀次の頬を撫でていく。

  オマエが、イイんだ

そっか・・。
最高の相棒っていうのは、もっと最高に強いってことじゃなくて。
もしかして。
・・・・オレ、ってこと?
今のオレでいい、ってこと?
そう、なのかな。
そうだったら、ものすごく嬉しい。
そうして、オレがもしもこの世にいなくなった後でも、ずっと想ってもらえたら・・。
いや、違う。そうじゃない。
そうじゃないよね、蛮ちゃん。
今が、いいんだ。
今が、大事なんだよね。
今、生きて一緒にいる、それが一番大事なんだよね。


「うん、オレも。今の蛮ちゃんがイイよ。今の蛮ちゃんが大好きだよ・・・ 誰よりも一番、大好きだよ」

小さな声で、銀次が呟く。
どうせ聞いちゃ、いないけどね。
膝にかかる蛮の重みに早くも足が痺れてきたけれど、それすらも嬉しいというように、頬を染めて空に流れる雲を見つめる。
狸寝入りを決めこんでいる蛮の口元が、一瞬、微かに笑みを浮かべたことにも少しも気づかず、銀次はただ、流れる雲をじっと見つめていた。




END






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マリンレッド」その後日談ってことで。
どうもネタバレになっちゃってごめんなさい。
マガジン読んでると、ついつい書きたくなるネタが満載で!
銀ちゃんはもっと強くと原作でも言っていましたが、蛮ちゃん的にはそれ以上強くなんなくていいって気持ちもあるのかも。
足りないとこは自分がカバーしてやるから、テメエはそのままでいろ!みたいな。
でも「守ってやる」とかいうんじゃなくて、「助けてやる」って感じかな。
「オレを呼べ」ってことは、「ピンチになったら助けにきてやるから」ってそういう意味、ですよね?
でもいつも助けられる側だから、銀ちゃんにも蛮ちゃんを助けたいって気持ちがいっぱいなんだよね。
そんなことを思いつつ、ちょこっと銀ちゃんに甘える蛮ちゃんを書いてみたくなって・・・。膝枕・・。
ハズカシー・・。
でも、やっとキスは出来たよ、蛮ちゃん! いや、もっとネツレツなのにすべきだったか・・。




2002年12月06日(金)
STAIRWAY

見上げた無限城の上の空は、どんよりとした雲に覆われていた。
それを睨みつけるように見上げるなり、一筋のいかづちが貫くようにして遠くに落ちた。

もう、ここには戻らない。

固く思いながら、踵を返した。
振り返るな。
オレは、皆を裏切って出てきたのだから。
行くアテすらない、外の世界に。
かつて、ふらりと外に消えてしまった天子峰も、こんな気持ちだったのか。
裏切りと、自責の念と、畏怖と、それでも、渇望してやまない外への思いと。
いや。
渇望しているのは、外へ、ではない。
自分の場合は、あの男へ、だ。
・・・・美堂、蛮。





ここに、あの男が、しばしば姿を現すと聞いて「HONKY TONK」という店の扉をくぐった。

たちこめる、コーヒーの香りと木の匂いの・・。
その慣れない暖かさに、ふいに心に痛みが走った。
暖かさやぬくもりに慣れない者にとって、それは時に刃となることもある。
それを見抜かれたのだろうか?
それとも傍目にそれとわかるほど、心は凍えていたのだろうか?
店のマスターは、カウンターにつくオレに、「凍えそうなんだろ?」と暖かいコーヒーを差し出した。
冷たい雨に打たれたような目をしている・・・?
この、オレが?
そんな風に言われたのは、初めてだ。
いや、もしかしたら、ずっとそうだったのかもしれない。
仲間たちの中に身をおいても、心の底から笑ったことなど一度もなかった気がした。

淋しい?
そんなことも、考えたことがなかった。
哀しい?
いや、それすら、わからない。

たぶん、今の自分はそうなのだろうと思う。
人の心を覗いたことはないが、自分に「淋しくて、哀しい」という感情がもしあるなら、これがきっとそうなんだろう。
誰かが傷つき息絶えた時も、自分の中にあったのは、これではなく、「怒り」だったから。
こういう感情を持つのは、自分が「雷帝」と呼ばれるようになってからは久しい。
もっとも、なぜ哀しいのか、淋しいと感じるのか、それは自分でもよくわからなかった。

その答えが欲しくて、
あの男を追って、何もかも捨てて、ここまで来た。

けれど。
会って、それでいったいどうするつもりなのだ。
追ってこいと言われたわけでもない。
ただ、闘って闘って、拳が割れて、肉が裂けて、血がどす黒く乾いた地面を覆い尽くし。
互いに差し違え同然まで、追いつめて傷ついて。
ただ、あの男と闘うことしか、自分の中にはなかったはずなのに。

血まみれの状態で気がついた時には、もう男の姿はなかった。
それがひどく心細いことのように思われて、それからずっと無限城に1人、その姿を探したが。
もう、2度とあの男が来ることはなかった・・。

だから、こうして、自分から出てきた。
せめてもう一度、会わなくてはいけない気がしたから。
このままもし、再び無限城で会うことになれば、また自分は闘うことしかできなくなる。
だが。
もう、あの男とは、闘いたくはない。
できることならば。

外の世界なら、守らねばならない仲間も掟も縄張りもない。
少し、話もできるかもしれない。

話す・・。
何を、話せばいいのだろう。



目の前に置かれたコーヒーの褐色をしばし見つめ、虚ろになっていく意識を取り戻すように、カップを手にとり口元に運ぶ。
あたたかい、コーヒー。
人の心も、外は、こんなふうな温度なのだろうか?
街は平和で、どこでも誰も、殺し合いなどしていない。
無限城が特別な無法地帯だとは知っていたが、これほどまでに違うとは。
物心がついた時から、あそこで育った自分には、信じがたい世界だ。
そのせいか、身体が鉛のように重く感じる。
環境との不協和音を、身体が感じているのだろう。
それが、「おまえは、ここにいてはいけないのだ・・・! 異端児なのだ!」と誰かに告げられているようで、ふいにいたたまれない気分に襲われた。
この感覚は、いったい何だろう。
思わず、オレは席を立ち上がった。


気がつけば、もうこの店のカウンターで数時間が過ぎている。
あの男は、もう今日は現れないのだろう。
落胆とともに、どこか安堵している自分もあった。


「ごちそうさまでした・・」
言って、もう店を出ようとカウンターを離れようとした途端、新聞を広げていたマスターの声に呼び止められた。
「待ちな」
「え・・?」
「もう、そろそろ来る時間だからな」
「えっ・・」
「アンタ、美堂蛮を待ってるんだろ? アイツなら、そろそろ腹減らして来る頃だ。もうちょっと待ってりゃ・・・・お? 噂をすりゃあ・・・」
煙草をくわえたまま、マスターが店の扉を顎で指し示す。
次の瞬間。
カランという音とともに、扉が開いた。
「おう、波児ー! なんか食わせてくれやー」
言いながら入ってきた男を見るなり、ドン!と心臓を拳で直接たたかれたような衝撃が走った。
体内の血が、がっと沸点まで温度を上げたような。
灼けつくような。そんな感覚。
美堂、蛮・・・!
心の中で叫んだが声にはならなかった。
ぐっと握りしめた拳が、じんわり汗ばむ。
しかし、そいつはちらっとオレの方を見ただけで、顔色も変えずに3つ,4つ離れたカウンターの席についた。
「あー、くそー! 煙草がもうねぇや!」
ポケットから取り出した、空になった煙草の箱をぐしゃりと握り潰してぶつぶつ言うと、アイツはマスターに軽口を叩く。
「あ、波児! 飯はツケでいっからよ」
「ツケでいいからよ、というのはコッチがお情けかけて言ってやる台詞だろうが! なんだ、この前からヤケに金回りがいいと思ったら、また派手に使い切っちまったのかぁ?」
「べっつに、使いきる気はなかったんだけどよ、愛しのジェニファーちゃんの調子が悪くてよー」
「また、競馬かい。おまえ、またアパート、そろそろガス・水道止められるぜ?」
「ああ、その前にそろそろ出てけって言われる頃かもなー。あのツルハゲ、ちょっと家賃が5ケ月滞ってるからってよ。うっせんだよ」
「はーぁ。・・・よく、おまえみたいのを置いとくよ。俺にはそれだけで、そのツルハゲがよく出来た人だって思うがなー」
「そっかあ?」
マスターと美堂蛮の会話を突っ立ったまま聞いていたオレは、無性に惨めな気持ちになっていた。

こういう風に、軽い話し方をしているのを見ると、あの時と同じ男だとは到底思えない気がしてくる。
あの凄まじい殺気もプレッシャーも、今はまったく感じない。
そうか。
普段はこんな感じの男なのか。
だからと言って、闘いを挑みに来たわけじゃないオレにとって、それは別に失望するようなことでもなんでもない。
ただ・・。


そうか、こいつは、オレのことなど覚えていないんだ・・。
無限城でやりあったことなど、別に取り立てて、どうということでもなかったのか。
何のためにあそこにいたかは知らないが、目的の前に立ちはだかったオレを、ただ倒そうとしただけなのだ。
幾度も死線を彷徨ってきたこの男にとっては、別に他とさして変わらない、取るに足らない闘いだったのだ。
取るに足りない、相手だったのだ、オレは。


馬鹿だ、オレは。
なんのために、仲間を裏切り、あそこを捨てて、こんなところまで・・・!


くっと唇を噛み締めて、その後ろを足早に通り過ぎようとした瞬間。
「・・・・・・!」
全身が、硬直した。
後ろ手に、突然、あいつがオレの腕をつかんだのだ。
「待ちな」
言うなり、肩越しに振り返る。
「雷帝」
「・・・・・・!!」


お、覚えていた?
覚えていたのか・・・?
オレのことを?

その通り名に、マスターが微かに表情を変えた。
腕を掴んだままあいつは、あの時のような殺戮の眼差しではなく、ちょっとおどけた子供のような目をして、オレに言った。
「じゃなくて、銀次!だっけか」
「あ・・・」

どうしてだろう。
身体が震える。
こんな風に、名前を呼ばれたことが今までにあっただろうか。
もしかすると、初めて、かもしれない。
こんな風に、自分にも名前があったのだと実感できたのは。
唇が震える。
目頭が熱い。
頬を伝うものは、いったい何だろう。
ぽつり、と落ちたものに、自分の拳が濡れたのは、どうしてだろう。
声も、唇さえ動かないのはどうしてだ?
そんなオレを、何1つ動じることなく見つめ返して、あいつが笑う。
「んだよ? オレに惚れて追いかけてきたか?」
笑って、そうしてコドモにするように頭をポンポンと叩かれた途端、オレは。
オレは。
気がついたら、その首にむしゃぶりつくように腕を回して抱きついていた。
きっと、迷子の子が、親を探して探して心細くて泣き喚いて、その挙げ句にやっと見つけた、
やっと会えた、そんな感じに近いかもしれない。

切なくて、痛くて、ただ、泣きたかった。

「って、おい・・・」
さすがに面食らったのか、声が少し動揺している。
扉を開けて入ってきた新たな客は、男同士のラブシーンまがいの抱擁に、それ以上に面食らって、慌ててまた店の外へと後ずさって行った。
それでも美堂蛮は、迷惑がることもなく、オレの腕を振り払うこともなく、じっとそうさせてくれていた。
「重ぇよ・・」と、ちょっと笑いながら。


心の声に引かれて、ここまできた。
命を奪い合う闘いのさなかに、殺気の向こうに、自分と同じ淋しさが見えた。
何1つの確証もあったわけではなかったが、確かに、美堂蛮は、あの時オレを呼んだんだ。
オレが、この男を呼んだように。
ちゃんと、聞こえた。
だから、ここまで追ってきた。


「オレのヤサに来っか?」
「え・・」
「どうせ、行くあてもねーんだろ?」
「あ、」
「やめとけ、やめとけ。あと2,3日もすりゃ、電気も水道もガスも止められるぞー。ま、それまでに追ん出されるかもしれないけどな。家賃払ってねーから、この男」
「うっせえな、波児! おーきなお世話だ。・・・どうする? 来っか?」
「・・・・うん」
「そっか、んじゃ、ついてきな。銀次」
言って、オレの肩に手を回すようにして歩き出す。
そのまま引きずられるようにして店を出ると、外はもうすっかり人通りも少なくなっていた。
肩を並べるようにして、街中を行く。
同じ道を、1人で歩いてきた時は、ネオンの色にさえ不安を募らせたのに、今は違うものが胸の中にある。
あたたかい、何か。


「どうして・・・。何も聞かない・・?」
「何を?」
「なぜ、あんたを追ってきたのか・・」
「この前のケリをつけようってか? 殺し合いの決着」
「そ、そんなんじゃ・・!」
「わかってるさ。ここは無限城じゃねえ。おまえが闘う理由もねえさ。仲間を守るためにな」
「・・・・・・・ああ」
「オレもない。・・そんでいいだろ?」
「・・・・・・・うん・・」


「オレが呼んだ。オマエが答えた。それだけだ」
それだけで、いい。
美堂蛮は、そう言って笑った。












バゴッ!!
「おあっ!!?」
「いい加減、起きやがれ!!」
「いったいよー、何すんだよぉ、蛮ちゃん! 人がせっかくいい気持ちで寝てたのにー」
言いながら、オレはカウンターで思いっきりぶたれた頭を抱えた。
「んが〜」
「んがあじゃねえ! ったく、おら行くぞ」
「わ、待ってよ、ねえ、蛮ちゃん! もお、起き抜けにー。待ってったら!」
慌てて転がりおちるようにイスから降りて、ヨダレ出てなかったかなあ?と口もとを拭いつつ、波児に「じゃあ、またね」と手を振って、さっさと行ってしまった蛮ちゃんを追いかける。
走って追いつくと、「遅せえ!」とまた頭をはたかれた。
でも、遅いとかグズグズすんなとか怒りつつも、オレが追いつくまでは結構歩く速度を緩めて、待っててくれたりするんだよねー。
「んああ〜 まだ眠い」
「テメエ、3時間も店のカウンターで寝てやがったんだぞ。それでまだ眠いのかぁ?」
「だってさあ。フア〜・・・ あれ、じゃあ、3時間も、蛮ちゃん待っててくれたんだ?」
「べ、別にテメーが起きるのを待っててやったわけじゃねえ!」
「そうなの? んじゃ、何してたのー?」
「何って別に。新聞読んだり、コーヒー飲んだりよ・・」
「ふーん」
何となく、眠りが浅い時に聞いたような気がする、蛮と波児の会話が頭の中に甦ってくる。
 

『しかしまあ、よーく寝てるなあ。そろそろ起こすか?』
『ま、いいや、寝かしといてやらぁ。せっかく、んなにキモチよさそーに寝てやがるんだしよ・・』
『・・・なんか、こいつが初めてこの店に来た時のことを思い出すなあ』
『あ?』
『淋しそうな、つらそうな顔して、ここに坐ってよ。おまえを待って』
『そうだっけか?』
『ああ。あの後、貴重なもんを見たよ』
『・・なんだ?』
『男に抱きつかれて振り払いもしないオマエとか、絶対自分の部屋に他人を上げないはずが、初対面に等しい男を自分のアパートに連れ込んだオマエとか』
『・・連れ込んだつーのは何だぁ? だいたい、貴重なモン見せてもらったっつーなら、ありがたく金でも払えよ』
『そんなこと言う前に、ツケ払え』
『・・・・ちっ』
『あン時から・・・・。既におまえにとって、トクベツだったんだな、こいつは・・』
『・・・・・かもな』


「・・・・・・・・」
「んだよ!」
「いで〜! なんで殴るの! ちょっと顔見ただけじゃんー」
「キモチ悪ィんだよ、じっと見るな!」
「あ、蛮ちゃん、照れてるv」
「バカか、おまえは!」
「いだだだ・・・! 顔掴まないでよ、痛いよ!」
ふざけあいながら、スバルの駐車場所まで並んで歩く。
あの時、初めて並んで歩いた時のことがふいに頭を過ぎり、そういや、店のカウンターでうたた寝している時、そんな夢を見ていたなあと思い出した。
今思っても、何の約束もなかったのに、ただ蛮ちゃんに会いたいだけで無限城を家出のようにして出てきたオレは、結構大胆だったと思う。
会いたくて、ただ、もう一度会いたくて、それだけだったのに。
でもって、結局、蛮ちゃんちに泊めてもらったのは、1週間にも満たなかった。
家賃滞納してるくせにトモダチまで引きずり込んで、と大家さんの逆鱗にふれ、追い出されちゃったから。
でも、無限城を出たせいで、心も体もバランスを崩して不安定になってしまってたオレが、蛮ちゃんになついて、すっかり元気いっぱいになるまでには、充分な日数だったけれど。

「ねー蛮ちゃん」
「あ?」
「オレのさ。第一印象ってどんなだった?」 
「は?」
「無限城で初めて会った時とかさー」
「聞いてどうすんだ?」
「どうするってわけじゃないけど、ちょっと聞いてみたいなって」
「・・・・雷しか芸のないバカ」
「・・・・・・・・・それだけ?」
「おう」
・・・それって、ちょっと・・・・・ヒドクないかなー・・?
気を取り直して、もう一度聞いてみる。
「じゃ、じゃあさ、今のオレはどんな??」
「・・・元気と雷しか取り柄のないアホ」
「・・・・・・・・・・・・???」
そ、そんなもん?
バカとアホはどう違うの? どっちが上なのかな?
後の方が、元気がついているだけ、よくなってんの??
なんだか1人で首を捻ってるオレを横目で見て、蛮ちゃんは思いきり笑い出した。
「おめー、本当にバカだなー!」
「な、なんだよ、人が真面目に考えてるのに! 笑うなんてひどいよ、蛮ちゃん!」
「いやー、飽きねえヤツだぜー、ま、そういうトコがイイんだけどよ!」
さらっと言われて、思わず立ち止まる。
え、今?

・・・イイって、オレ?

立ち止まってしまったオレを、少し歩いてから気づいて、蛮ちゃんが振り返る。
「銀次!」
一番大好きな声が、オレの名前を呼んだ。
待ってよ!と、その声に弾かれたように走り出す。
蛮ちゃんの背中を追いかけて。
あの時と同じように。



そうして、オレは思い出した。
初めて、蛮ちゃんに自分の名前を呼ばれた時。
オレは、生まれてはじめて、自分の名前が、
「銀次」という名前が、好きになれたと思った。
ずっと、そうじゃなかったから。
でも。
あれから、蛮ちゃんの声で呼ばれる度に、
オレは、どんどん自分の名前が好きになったよ。
そのことがオレは、とても、とっても嬉しかったんだ。










END

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アニメ6話の冒頭に出てきた「雷帝」が、あまりにキレイで淋しげで哀しげで、ついこんな話を書いてしまいました。
蛮・雷帝にはあまり食指が動かなかったので、ほとんどサイトでも読ませていただいたりしたことがなかったのですが、なかなかどうして、結構ツボにハマってしまいました・・! 
蛮ちゃんに会いたくて無限城を黙って(アニメではそのようです)出てきた雷帝が、どのようにして再会したのかが気になって仕方なくて、こんな話になってしまいましたが、もう既にあちこちで書き尽くされているかもしれないですね・・? どこかでカブっていたりしたらゴメンナサイ。
二人が会った当時の話はなかなか原作でも出てこなくて、奪還屋やるまではどうして暮らしていたのか、大変気になりますよねー。蛮ちゃんは、1人で「運び屋」さんをしていたのでしょうか?
いつから銀ちゃんは、蛮ちゃんのことを「蛮ちゃあんv」と呼ぶようになったのかも、知りたい・・!
でもどうせだったら原作に出てくる前に、妄想を広げるだけ広げて、色々書いてしまいたい気はしますがv
ああ、あとがきも長い・・。
読んでくださって、ありがとうですv 
みなさまの雷帝のイメージが崩れてしまっていないといいのですが・・。
感想などありましたら、聞かせていただけると嬉しいデスv



2002年12月12日(木)
永遠のキズナ・永遠のオモイ

最近、銀次のヤローの機嫌が悪い。
つってもまー、あのアホのことだから、せいいっぱい機嫌悪く見せてんだろうけどよ。

蛮ちゃんは冷たい、だの。
冷たすぎだの。
どうせ、士度のコトが嫌いなんだから、だの。
前は、依頼してきたら引き受けるって言ってたじゃない。
ねえ、そう言ったじゃない。
ねー、蛮ちゃん。
もー、聞いてんの?・・・だの。

うっせーよ。
しつけーんだ、テメエはよ!

だいたい、何でオレが、あんな猿マワシのヤローのせいで、銀次のバカにグチグチ言われなきゃなんねんだ?
ムカつく。
てめえのケツは、てめえで持つって言ってたじゃねーか! ええ?!
男が一回宣言したことを、そうたやすく撤回すんじゃねえ。

猿のせいで、銀次のヤローが、
「魔里人と鬼里人って何なの?」とか、余計なことまで聞いてきやがる。
テメーのパーな頭に何言ったって、どうせ理解できないだろうが?
とかなんとか、はぐらかしているうちに、あのバカ、波児から聞き出しやがった。
教える波児も波児だ。
どうせ言ったって、あのボケにゃわかんねーのに。

・・・そうさ。
どうせ、わかりっこねえ。
テメーにゃ、オレの気持ちなんてものも、わかりっこねーだろう。
魔里人と鬼里人の長く歴史のある争いに首をつっこむなど、オレはゴメンだ。
巻き込まれて、何の得もねえ。
それよりも。
いや、仮にオレ1人だったら、それでもいい。
オレの首を狙う手練れが、また増えるだけのことだから。
だが・・・。

やい、猿マワシ。
テメエが、嬢ちゃんから離れられねえことで、そのために嬢ちゃんに火の粉が降りかかっても、テメエで守るってんのなら、それもいい。
けどよ。
その火の粉を、いっしょにケツ持ちしてかぶる、コッチの身にもなりやがれってんだ。
銀次はな。
その鬼里人の蜂野郎の毒に犯され、危うく命を落とすとこだったんだ。
解毒剤を手に入れるまで、オレがどんな思いだったか、テメエにわかんのかよ。
あのバカを失うかもしれねえと、本気でそう思った時の、あの寒さを・・。
薄ら寒い、頼りなさを。

『ばん・・・ちゃ・・・・・・・・・蛮ちゃ・・・・ん・・・・・』
高熱にうなされ、喘ぐように苦しげな息をしていた。
それでも、掠れた声で、懸命にオレの名だけを呼んでいた。

こいつを失うくらいなら、世界中がヴァンパイアウィルスに犯されても構わないとさえ思った。
銀次のいない世界なら、そんな地獄も似合うだろう。

銀次だけを、オレは助けてやりたかった。




街並みも、人の流れも、普段と何1つも変わらないその風景の中で、ふいにオレだけが足をとめた。
ズボンに突っ込んだ手の中で、煙草の箱をぐしゃりと握り潰す。


とにかく。
銀次はマークされてんだ、あの蜂に。
蜂は、テメエの客だろうが。猿回し。
テメエが相手すりゃいいことだ。
銀次を巻き込むな。
あれは、マドカの嬢ちゃんみたく、守ってやらなきゃなんねえようなタマじゃねえけどよ。
バカでお人好しで騙されやすくて、このオレさまに比べりゃ、まだまだ弱っちいんだ。
強ぇからと放っておくと、あっさりピンチになりやがる。
そばにいてやんねえと、いけねんだ。オレが。
ちっとは、守ってもやんねえと。

・・・・・・そっか・・・・。オレとて、猿と一緒か。

いつか、オレの呪われた宿命ってやつが、オレと一緒に銀次をも呑み込むかもしれねえ。
その前に。
いっそ銀次の側から、きれいさっぱり消えてしまうかと。
そう考えたこともあった。
そうするべきだと、何度も思った。
だが。
オレも、どうしようもねー馬鹿野郎だ。
ヤローに惚れすぎて、離れる機会を失った。
もう、出来っこねえ。
オレは、あいつから離れられねえ。
今さらもう、そんなこと、出来るはずもねえ。
あいつのそばにいて、何かあったらこの手で守ってやればいいと。
今は・・そう、思ってる。

愛だとか、そういうのはよくわかんねーけど。
そばにいるだけで、心からほっとできる。
あの太陽みたいな笑顔を、オレの手で守りてえんだ・・・。


なるほど。
つまり、猿にムカつくのは、同じ穴のムジナだから。
ってえわけか・・・・。




「蛮ちゃん! ねえ、蛮ちゃん! 待ってよ」
「・・んだよ」
『美しいチチになるために』の講座を終えて、とっととホンキートンクを出てきたオレの後を、ほっぽらかされた銀次が、慌てて追いかけてくる。
「ねえ、蛮ちゃん。士度、本当に大丈夫かなー? そんなさ。『せんじゅうみんぞく』とかの争いごとに巻き込まれちゃって・・」
・・言葉だけは、一応覚えたか。
けど、テメー、意味理解できてなかったろ。
「・・・猿なら、卑弥呼に依頼回しやがったみたいだぜ? ハナっから、あんまアテにされてなかったんだろ、オマエ」
「ひっどいなー。でも、アテにしてなかったのはオレじゃなくて、蛮ちゃんの方だけだと思うけどなー」
・・・ほら見ろ、またコトバに険がありやがる。
その話はいい加減にしやがらねえと、しまいにゃ、ブッとばすぜ?
不機嫌にシカトして、とっとと早足になるオレに、言うだけ言って肩を並べて隣を歩きながら、そのまま銀次が無言になる。
なんだよ、何考えてやがる?
自分1人で、猿の手助けがしたいなんて言いやがったら、この場でシメるぞ。
「ねえ、蛮ちゃんだったらさ」
「あ?」
「もし、士度の立場だったらさ。やっぱり裏新宿を出てくの?」
「あ゛あ゛?」
唐突に何を言いやがるんだ?
「士度にそう言ったでしょ。おまえが出ていけば済むことだって」
「ああ、それが何だ?」
「蛮ちゃんも、そうなの?」
「だから、何が」
「もしも、自分が好きな人のそばにいるためにさ。その人の身が危険に晒されんのなら、蛮ちゃんは、その人のそばを離れるようとするの?」
エライまた、オマエにしちゃあ意表をついた口撃だ。
「さあな」
「どっち?」
「わかんねーよ」
「でもさ、どっちかだったらどっち?」
「うっせーな、どーでもいいだろうが!」
「どうでもよくないよ、聞きたいよ・・!」
「なんで、そんなとこで必死になってんだ、テメエはよ! 関係・・」
関係ねえだろう!と言おうとしたところで、いきなり銀次がぴたっと足をとめた。
思わず、つられて一緒に立ち止まる。
そんなオレから、たたた・・と5,6歩前に進んで、そこからオレをまっすぐに振り返って、真剣な顔で言った。
「オレはね! 好きな人のそばを離れないから!」
「あ?」
バカヤロー、でかい声出すんじゃねえよ、みんな振り返ってくじゃねーか。
さっさとやり過ごそうと思い、軽く答える。
「へーそっか。オマエ、ナマイキに好きなヤツいんだ。ま、猿でさえも恋するこのご時世だし・・」
「いるよ」
きっぱりと答えられて、顔には出さずに思わず動揺する。

・・・・誰だ? マドカ・・? 
いや、夏実かレナ? 卑弥呼ってこたぁねーだろうから、まさか、ヘブンとか?

おいこら、待て。
オレは、そんな話聞いてねーぞ!!

「オレは、好きな人に迷惑がかかっても、やっぱ、その人のそばにいたいんだ・・! 離れるなんて、できないから。蛮ちゃんは? 蛮ちゃんはどうなんだよ! 好きな人と離れて、とっとと出てくの? 裏新宿から!!」
・・・・・何で、そこでオレに聞く?
しかも、怒鳴るな。
はぐらかすにはあまりに真剣な瞳に、つい、ぽろりと本音を漏らす。
「いや・・。オレも、離れるなんて、出来ねえな・・。もう、オレの道連れにすんだって、決めちまってるからな・・」
テメーを。
その言葉に、銀次がにっこりとさも嬉しげに笑う。
「・・うん!」
うんって、誰もてめえとは、口に出しては言ってねーだろが! 
それよか、オマエの好きなヤツって、誰よ?
聞こうとするより早く、銀次が腕を広げて、いつもの鳥みたいな手になって、ばたばたと走り出す。
そうして、振り返りながら、歯を見せて照れくさそうに笑った。


「うん! オレも!! 何があっても蛮ちゃんのそばを離れないから・・!!」


え・・?
てえことは・・・?
好きな人って・・・・・。


「蛮ちゃーん」
駆けていく銀次の髪が、日の光の中で黄金色に光っている。
イトシイヤツ。


「待ちやがれ、コラァ!」

言って追いかけ、追いついて。
笑いながら、いつものように、銀次の首に腕を巻き付け引き寄せる。
「わー、蛮ちゃん、くるしー」
それから、笑っている銀次の身体を、まだふざけているフリをしたまま、腕の中に抱きしめた。
「蛮ちゃん?」
「おう」
「ど、どーしたの?」
真っ赤になってやがる。
かーいいじゃねえか。
「離れないっつったろ?」
「え? そう、だけど。あの」
「・・・・んだよ」
「嬉しいんだけど」
「おう、そりゃ、よかったな」
「でもさ、あの」
「あ?」
抱きしめられたまま、オレの肩に顎をのっけて、完全に困ってるらしい銀次が言う。
「みんな見てるんだけど」
「構わねーさ、見せとけ」
こんな人通りの多いとこで、んなこと言い出すテメエが悪い。
「・・・・・うん」
往来のど真ん中でヤロー同士のアツイ抱擁を見せられつつ、迷惑そうに道行く奴らに一瞥を送りながら(バカヤロー、ケイタイで写真撮ってんじゃねえ! 金とるぞ、アホ女子高生が!)、オレは悠長に煙草をくわえた。

ああ、そっかよ・・。
今わかった・・・。
つまり、ここんとこ、てめーの機嫌が悪かったのは、猿の依頼を受けなかったことよりも、オレのソッチの発言が原因だったってことなのか・・。
あほくさ・・。


やい、猿。
テメエも今頃、んなふうに、嬢ちゃんとしっぽりやってんのかよ?
どうせ、何のかんの言っても、嬢ちゃんかテメエの身に、もし何かあったらコイツが放っておくわけがねえ。
と、なりゃあ、オレも、放っておけりゃしねーんだから。
そうなる羽目になる前に、とりあえず先に言っとくぜ。


ギャラは、たっぷりふんだくるからな!
いいな、覚悟しとけよ、クソ猿め・・!





END



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

えと、今週のマガジン2,3号は蛮ちゃんも銀ちゃんも出番が少なかったなあ・・。
ちょっと淋しかったので、つい、妄想炸裂してしまいました。
波児の言ってた「アイツには誰よりもワカってるハズだぜ。愛するものを守るために、プライドもなにもかもかなぐりすてて仕事を頼んできた、士度の気持ちがな・・」という台詞に、さらに妄想爆発。
それって銀ちゃんのことかなあ?vと、つい思ってしまうあたり・・。
かなりキテますか?? 私。



2002年12月30日(月)
ココロの指定席1

雲の流れが早ぇなあ・・・。

すっかり冬の色をした空を見上げ、蛮がハンドルの上に両足を組んで乗せたまま、ぼ〜っと紫煙をくゆらす。
サイドシートは、今日は空だ。
というより、仕方がなしに空にしてきたんだが。
・・・・いつまで、待たせんだ? とっとと、きやがれ。
ちらりと腕の時計を見て、少し苛ついたように交差点を行き交う人の波を睨み付けると、ふいにバックミラーに、こちらに向かって手を振る女の姿が見えた。

「・・・・おっせーよ、卑弥呼」
蛮が助手席のドアを開くと、駆け寄ってきた女がちょっと曖昧に微笑んで顔を覗かせる。
「ごめん、待たせた?」
「おうよ、たっぷり6分!」
「なんだ、そのくらい」
「普通なら、1分だって待たねえぜ? オレ様は気が短けーんだ」
テメーだから、しょうがなしに待ってやってたんじゃねーかと言わんばかりの蛮に、卑弥呼がちょっと嬉しげに、でも言葉には微塵も出さずに言い放つ。
「威張るようなことじゃないでしょ。ったく、あんたって!」
「プロなら、時間は厳守だろ。ま、いっけどよ。・・・・んだよ、ぼさっと突っ立ってねえで、乗れよ?」
「あ・・うん」
開かれたドアから招かれるようにして身を滑らせようとした途端、蛮の手によって、サイドシートはカクンと前に倒された。
「え?」
呆然としていると、くいと後ろを指差される。
「テメエは、後ろ」
ぶっきらぼうに言われて渋々後部座席に入り、シートを戻すと、蛮が勢いよく助手席側のドアを閉めた。
スバルが緩やかに発進し、道路脇から、車の流れにのって走り出す。
「んで? なんだよ、話って」
後部座席に追いやられたことに、不満げな卑弥呼にはお構いなしに、蛮が言う。
「あ、鬼里人のことなんだけどさ・・・。あたし、今回あの士度ってヤツからマドカって子のことで依頼受けて」
「・・らしいな。ヘブンから聞いた。クソ屍も一緒だって? なかなか濃いチームだぜ」
「茶化さないでよ。で、とりあえず下準備は必要だから、鬼里人について調べたの。一応、その報告」
「なんで、オレによ?」
「言っておいた方がいいかと思って」
「・・オレは依頼は断ったんだぜ? ヘブンから聞いてるだろが」
「・・知ってるわ。あんたの考えてることは、わかんないけど。でも、アタシになんかあった時のために、アンタに聞いておいてほしいのよ」
少し神妙な面もちで言われ、蛮が煙を吐き出しながら、ミラーごしに卑弥呼を見た。
「・・・・・・・しゃあねえな・・・」




「なるほどな・・」
「だいたい知ってた?」
「まー・・な」
「じゃ、大きなお世話だったかしら」
「いや、そういうわけでもねーぜ。・・・ただ、今回のこたぁ・・・」
そこで言葉を切る蛮に、即座に喰いつくようにして卑弥呼が言う。
「どうしてよ?」
「あ?」
「アンタさ、依頼してくりゃ、仕事だったら引き受けるって前にアイツに言ってたじゃない」
卑弥呼の言葉に、ちょっとうんざりしたように、蛮が前方を行く車の後ろに視線を逃がす。
「・・・・どいつもこいつも、なんでまた、その件に関してだけ妙に記憶力がいーんだよ」
「だって、あんなはっきりタンカきって・・! しかもあの男、土下座までしたっていうじゃない! あんた、そういうのって、見て見ぬ振りできるタチじゃないんじゃないの?」
「・・・・わかったような口ききやがって。ガキにゃわかんねー事情ってもんが、こっちにも色々あるってんだよ」
淡々と答える蛮に、ちょっと眉をひそめて卑弥呼が訊く。
「・・・・アイツのため?」
「・・あー?」
「天野銀次のため?」
吐き捨てるようなその言い方に、蛮がちらっと肩越しに卑弥呼を睨んだ。
そんな風にアイツの名前を口にすんじゃねえ、とでも言いたげな不機嫌な視線で。
けれどもそれは一瞬で消え、蛮は肩をすくめると、あきれたように言った。
「・・・・・おめーよ、卑弥呼。何度か仕事で一緒になったこともあんだから、もーちょいフレンドリーに出来ねーもんかぁ? 親の仇みてえによー」
「だから、アイツのためかって聞いてるのよ!」
「怖ぇー・・。何、1人でエキサイトしてやがんだ?」
「アイツ、毒蜂ってのにやられたんでしょ? 結構ヤバかったっていうじゃない。それでなの? アイツを闘わせたくないために、冬木士度の土下座をフイにしたっての?!」
卑弥呼の言葉に射るような視線を一度向け、ちょっと卑弥呼がぎくっと引いた所を見計らって、すぐにおどけた口調になってそれに返す。
「あんだよ、えらく猿回しの肩持つじゃねえか。もしかして、オメエ、アイツに気があるんじゃねーの? ま、けど猿にゃあ、嬢ちゃんがいやがるから、オメエのような色気もねーじゃじゃ馬じゃあ相手にもされねーか。そっか、そんで、そんなに機嫌悪ぃんだな。まあ、オメーももうちょっとチチがでかくなりゃあ、そのうちイイオトコも出来らあってもんだ。まーそんな焦るこたぁ・・・」
「アンタねえ・・・! よくもしゃあしゃあとそんなコト・・・!!」
「おわっ! いででで!! テメエ、ハンドル握ってる人間殴んじゃねー! 死にてーのか、このアマ!!」
「うるさい!!」


あやうく歩道に乗り上げ、電柱に激突する寸前で何とか回避し、ようやく普通に道路に戻って蛮が疲れたように肩で息をついた。
まったく過激なオンナだぜ。
さすが、邪馬人の妹だけはある・・。
そんなことを考えながら、くくっと笑いを堪えてハンドルを握っていると、少し静かになっていた卑弥呼が唐突に口を開いた。
「ねー、アンタたちってさ・・」
「ああ?」
「この狭い車ん中で寝起きしてんでしょ?」
「狭くて悪かったな」
「朝から晩まで一日中、一緒なワケよね?」
「それがどうしたよ?」
「・・・・あきない?」
「あ?」
「夫婦だって、そんなに長い時間一緒にいるわけじゃないでしょ。コイビトってんなら、尚更だし。男同士で、こんな肩くっつくくらいの距離にいて、息つまんない?」
後部座席に靴を脱いで横向けに坐って、卑弥呼が、ふいに、という感じで言った。
蛮が、言われて初めて考えたように、ぼんやりと答える。
「・・・・・・そーいや・・・・ねえなー。そういうこと」
「あたしや兄貴と一緒に住んでた頃のアンタでも、仕事で一日べったり一緒にいた日が続くと、フラッと2,3日どこかに雲隠れしたわよね。兄貴は、アンタが1人になりたいんだって、そう言ってた。1人でいるのが一番自分にとって居心地がいいってことを、それを知ってるからって。あたしは、それでも本当なら孤高を守りたいはずのアンタが、自分に無理をしてでもあたしたちと居てくれる、そのことが嬉しかった。・・・でも、今は、ちがうわよね。どうしてなの?」
問いつめるというよりは、自然について出た疑問のように、静かに問われて蛮もまた静かにそれに答える。
「どーして、っつわれてもよ・・。オレにもよくわかんねー・・・。確かに昔のオレは、邪馬人の言う通り、テメーらとでさえ何日もつるんでると、やけに1人になりたくなる時があった・・。息がつまるってよりは、単に1人の自分を取り戻したくなるって。そんな感じだったっけかな・・・。けど今は・・。そっだな、銀次といる方が、1人でいるより・・・ラクなんだ。あたりまえのように隣にいて、何一つの不自然さもなくそこで笑ってやがる。そんなアイツの隣が、オレにとっても、一番居心地のいー場所なのかも・・・・な」
隣の空のシートに視線を送って、蛮が言う。
その答えに、卑弥呼が後ろから身を乗り出して、蛮のシートの隅に手をついて顎を乗せた。
「・・・それで、あんたのサイドシートは指定席になってるわけ?」
「あ゛あ゛?」
「誰が乗っても、後ろにしか乗せないのよね」
卑弥呼の答えに、バツが悪そうな顔をして蛮がちっと小さく舌打ちする。
「・・んだよ、ソレ確かめるために、わざわざオレに、車で迎えに来させやがったのか?」
「別に、そういうわけじゃないけど」
「なら、何だ」
「・・あんたね! 一緒にこんな美女が乗ってんのに、ドライブに誘おうとか、そういうの思わないワケ?」
「ほーお、美女? え、どこどこ、どこにそんな美女がぁ!? イデェ!」
「ああ、もういいわよ! とっととホンキートンクに送ってちょうだい!」
完全にキレた顔の卑弥呼に、さすがにちょっとすげなくしすぎたか?と蛮が押さえたような声色になる。
「ホンキートンクでいいのかよ?」
「そうよ! どうせ、そこにアイツが待ってんでしょ? あんた、とっとと迎えに行きたいんでしょ! 何よ、さっきから時計ちらちら見ちゃってさあ! 感じ悪いったら!!」
その言葉に内心ギクリとしつつ、これだからオンナは油断ならねえと、蛮が心でこそっと呟く。
「別に、そういうわけじゃねーけどよ。行き先告げずに長い時間ほっとくと、アイツ、妙に不安がりやがるからな。ガキの頃に、置き去りにされたってのがトラウマになってるんだろーけどよ・・」
そう言って少し伏し目がちになる蛮の瞳は、卑弥呼が、今まで自分が見知った限りの、このオトコの瞳のどれにも当てはまらない。
深くやさしい瞳をしている。
思わず無言になる卑弥呼に、蛮が静かに言った。
「・・ま、でもよ。オレにとっちゃオマエら兄妹も、かけがえのない本当の仲間だって、ずっとそう思ってたんだぜ・・?」
「蛮・・・」
「ま、今言っても、信じられやしねーだろけどよ」
その言葉に嘘はないと知ってはいても、それは兄がいたからこそだ。
もしも、自分と蛮の二人の関係だったら、どうだったろう・・?
卑弥呼は考えて、ちょっと寒くなって自分で自分の肩を抱いた。
「・・・ね、1つだけ聞いてもいい?」
「ああ?」
「もしもさ・・・。あたしたちが、というか兄貴が『あんなこと』にならなくて、ずっと今もいっしょに『奪い屋』をやってたとして・・。そんな時に、アイツに出会ってたら、アンタはどうしたの? やっぱりアイツとツルむことにした? それとも、今でもずっとあたしたちと・・・・?」
その問いに、蛮が、ふっと遠くを見るような目をした。
「そっだな・・。それでも多分オレは・・・・」
即座に迷うこともなく答えを返そうとする蛮に、卑弥呼が慌ててその先を遮るように口を挟んだ。
「わかった! いいわ、ちょっと聞きたかっただけだから!」
ちょっと驚いたようにちらっと卑弥呼をミラー越しに見て、蛮が静かに微笑んだ。
「・・・・・そっか」
「ホンキートンク、送ってよね」
「おう・・」
それきり、卑弥呼は黙ってしまい、ただぼんやりと流れていく街の風景を眺めていた。
別に落ち込んだという風でもなく、不機嫌というわけでもなく、ただ静かに、微かにおだやかな微笑みすら浮かべて窓の外を眺めていた。
・・まったく。
どうもオンナの考えやがるこたぁ、わかんねー、と蛮がルームミラーに写るその横顔を見ながら思う。
それでも、コイツもいっちょまえに色々考えて、いつのまにかオトナの女に近づいてきてやがんだなあ・・。
などと、妹を想う兄の心境で、後部座席に気づかれないように、フッと微かに笑みを浮かべた。