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2013年08月17日(土) |
「上司と親は選べない」という言葉が存在するのは、何故か? |
◆上司はともかく、親を選べないのは当然なのに敢えて、慣用句になっているのは何故か。
言い古された表現ですが、
上司と親は選べない。
といいます。本当は正確ではありませんね。上司は本当に嫌なら、勤め先を辞めればいいのです。
だからと言って、次の職場(が見つかったとして)で自分が好きな上司を選べるわけではないのですが、
とりあえず、あまりにも嫌な上司を回避することは、原理的には、可能ですが、親は本当に選択できませんよね?
もちろん、制度的には養子に行けば「親を選ぶ」ことになるかもしれませんが、生物学的・医学的に厳密な意味での
「母親」と「父親」は絶対に1人ずつしかおらず、しかも、絶対に子供が選択することは不可能です。
そんなことはあたりまえであるのに、わざわざ「親は選べない」という言葉が存在するのは、何故か。
◆「〜したい」という願望がなければ「〜できない」という意識は生じません。
これは、あたりまえの話ですが、意外と意識されていません。
人間は何かを「したい」という欲望・願望がなければ、「できない」という意識を持つことはないのです。
例えば、「お酒を飲むことは好きだが、クラシックのオーケストラ・コンサートには全く興味が無い」人の場合、
「最近、忙しくて飲みに行けない」という気持ちを持つことはありますが、「最近、コンサートに行けない」と
思うことは絶対にありません。
みなさん、それぞれ、自分の好きな事と全然興味がないことを並べて考えるとよく分かります。
これは、勿論、遊びの話のみならず、人生全てにおいて真理です。
こうしてかんがえると、「親はえらべない」という意識が世の中に存在するのは「出来れば親を選びたかった」という願望・欲求が
存在することを意味しています。
結論を書きます。
半世紀以上生きてきて世の中の人々をみると、親・兄弟や、自分の子供と気が合わない、或いははっきり嫌いだという方。
また、自分がそのように感じているという事実に罪悪感を覚えて苦しんでいる方が、実際にかなりいます。
その事実を「親は選べない」(選びたい)という言葉が裏付けています。
かく言う私にも血は繋がっているけれどどうしても好きになれない身内がいます。
しかし、血が繋がっていようが、いまいが、人間は一人ずつ全く異なる人格、自由意思の主体なのですから
合わない人がいても仕方が無い。とうぜん、出来れば親兄弟や子供と仲が良い方が楽でしょうが、
もしも、そうではない場合、気持ちとしては辛いけれども、少なくとも貴方が「悪い」のではありません。
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