JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:連休明け、五月病をどう防ぐ(全部載せても悪いので、冒頭のみ)。 日経に載っていた記事の一部で有名な精神科の先生が答えてるのですけどね。 新年度がスタートして1カ月あまり。新入生や新社会人、転居や異動などで環境が変わった人の中には、理想と現実の食い違いに直面し、 という具合で後は、「十分な睡眠」とか「適度な運動」とか 「気分転換の方法を見つける」とか「相談できる相手を確保する」とか 教科書どおりの答えしかかいてない。これは大野先生が悪いのではなく だれに訊いても同じようなものでしょう。 ◆環境が変わったりストレスが加われば憂鬱になるのが当たり前です。あなたは「悪く」ない。 私が思うに、この手の悩みで一番良くないのは、自分を責めることです。 ◆五月病ではない人だって、同じです。 私は生来怠惰な人間で、これは子供のころから変わっておりません。 夏休み最後の日曜日の今日は・・・・ で始まります。日曜には親父が家にいて夜はNHKの7時のニュースなんです。 毎年、毎年、この言葉が最初に来るのが分かっていても嫌で仕方がありませんでした。 別に学校でいじめられていたわけではありませんが、休みのほうが良いに決まってます。 学校なんて面倒臭い。夏休みが間もなく終わることぐらい分かっているのであって、 それを、いちいち毎年、ご丁寧にNHKのニュースで強調して欲しくない。 ずっとそう思っています。 それで、ここで書くと、そのNHKと同じことになってしまうのですが、 ごく普通にカレンダー通りのゴールデンウイークを過ごしておられる方は、 6日(日)で終わりで、7日の月曜から仕事ですよね?私なんか今から憂鬱ですよ。 憂鬱じゃない方は、無理にゆううつになる必要(?)はありませんが、 憂鬱な方は、そう感じる自分をそのまま認めるのが一番良いと思います。 憂鬱なのに「よーしやるぞ」とか無理に思え、と書いてある「ポジティブ・シンキング」(Positive thinking) の本などありますが、よくありません。何故か? ◆嫌なものを「嫌でない」というのは自己欺瞞だからです。 私は28年サラリーマンをしてますが、今でも月曜や、連休明け、夏休み明けは会社に行くのが嫌でたまりません。 ◆頑張れない人に「頑張れ」というのが禁物なのは、他人も自分も同じです。 東日本大震災の後、ノーテンキに、被災者にむけて「頑張れ」というメッセージを送る人が多く、 2011.04.03 NHK「ニュースウオッチ9」で報じていた「災害関連死」。←特に高齢の被災者は「頑張っ」てはいけない。 頑張れる人が頑張るのは、勿論良いのですが、だからと言って全ての人に無理に頑張れといっても、 例えば福島第一原発事故により、ひどく放射能で汚染された地域で農業や畜産業を営んでいた方々は、 頑張れといわれても頑張りようがないのであるから、こういう人に頑張れというのは、 相手をよけいに辛い気持ちにさせる、無神経な行為ではないか、と思います。 これは勿論、福島に限った話ではありません。 家も財産も家族も仕事も一瞬にして全て失ったけれど、それでも頑張っている人もいるからといって、 同じ状況の全ての人が「同じように頑張るべきだ」というのは、乱暴です。 ショッキングな出来事、不幸な出来事、要するに非常に大きなストレスに対する感受性は、 一人一人異なると思います。 ちょっと話が飛躍的かもしれませんが、震災とは関係なく、 これは私たちが「自分」に対しても、同じ事が言える、と思います。 「頑張れない」「頑張りたくない」自分の気持ちは、自分が一番分かっているのですから、 その自分に向かって無理に「頑張れ」という必要はないと思います。 それが「自然な」考え方だと思います。それを無理に奮起しよう、などとするのは 「不自然な」行為です。ですから苦しくなるのだと思います。 休み明けは、憂鬱で鬱陶しい。もっと休んでいたい。 そう思うことに、なんらかの「罪悪感」を抱く必要は、まったくありません。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2011年05月05日(木) 「ポータブルCDプレーヤーを被災地に」ウィーン・フィルの方の呼びかけ。
JIRO
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