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JIROの独断的日記
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2011年06月14日(火) 6月13日は岩城宏之さん(1932-2006)の命日でした。

◆これほど文章を書いた音楽家は少ないと思います。

私の日記で、音楽関連の記事には、非常に頻繁に

岩城宏之さんが、書いていたが

と言う言葉を使いますが、これは、中学生から大学生まで、私が音楽、とりわけ

オーケストラの音楽に興味を持っていた頃、岩城さんの本を沢山読んだからです。

といっても、岩城宏之さんの本の多くは「エッセイ集」で大真面目に音楽を取りあげた本は

むしろ少ないのですが、所々にオーケストラ、或いは指揮者のウラ話、が書かれていて、

私にとっては、つくづく面白い文章だったのです。


そして、多分、世界中見回しても、現役バリバリの音楽家で、音楽活動をしながら、

岩城さんほど、大量の文章を残した人はいないのでは無いかと思います。


私は出版業界についてもド素人ですが、多分、今の週刊誌の編集長が聴いたら気絶するのでは

ないかと思うことがあります。

岩城さんは世界中を指揮して飛び回り乍ら、「週刊朝日」に毎週エッセイを書き続けたのです。

今でも文庫本になったのが、入手できます。

棒ふり旅がらす (朝日文庫)です。

「落ちた」(休載した)ことは無いはずですが、何が「今の編集者なら気絶」かというと、

これは1982年から1983年にかけて連載したのですが、タイトル通り、岩城宏之さんが、

世界中を指揮して飛び回り乍ら、原稿を編集部に文字通り「送った」のです。

当時、勿論、インターネットなどありません。FAXも無いところがあったそうです。

そういう場合は、とにかく岩城さんは、年中世界を飛び回って顔が広いので、知り合いの商社員などで

海外出張中の人に生原稿を手渡し、週刊朝日編集部に届けてくれと、頼むのです。


その他に、
ハニホヘト音楽説法

岩城音楽教室

フィルハーモニーの風景(岩波新書)

楽譜の風景(岩波新書)

森のうた―山本直純との芸大青春記

九段坂から―棒ふりはかなりキケンな商売

棒ふりのカフェテラス

棒ふりの休日

棒ふりの控室

全て、私は面白かったので、お薦めしますが、皆さんにとっても面白いか否かは

無論、保証致しかねます。悪しからず。


◆岩城宏之さんは、失礼ながら、今だったら、プロの音楽家になることができなかったでしょう。

今、例えばプロのヴァイオリニスト(オーケストラ・プレイヤーだろうが、ソリストだろうが)は、多分

3歳。遅くとも6歳か7歳で楽器を習い始めた筈です。同時にソルフェージュや聴音、楽典も

教わったことでしょう。

ところが、岩城宏之さんのお父さんは旧大蔵省の(多分)所謂ノン・キャリアで、

転勤が多かった。ご両親共に、全く音楽的素養はありません。聴くことすらなかった。

岩城宏之さんは、子供の頃は病弱で、小学生高学年(今でいうところの5年生から6年生)の頃、

脚の痛みを覚えて、医者に診せたら「骨髄炎」と診断されました。脚を切断しなければならないかもしれない

と言われたそうです(結果的には切らずに済みました)。

10か月も入院するハメとなり、ラジオから聞こえる当時「木琴独奏者」として有名だった平岡養一氏の演奏を聴いて、

何故か非常に興味を持ち、お父さんに「木琴を買って欲しい」旨を伝えます。

お父さんは何処で探したのか、オモチャの木琴を買ってくれました。ベッドで腹ばいのまま木琴を叩いて、

岩城さんは、「何かおかしい」と思いました。

この木琴では、平岡養一さんのマネをしたくても、出ない音がある。



お父さんが買ってきたのは、ピアノで言えば白鍵だけのものでした。

岩城さんは、「ドとレの間、レとミの間、ファとソの間、等にも音があるはずだ。」と

考え、再びお父さんに「間の音が出る木琴が欲しい」とせがんだそうです。

岩城宏之さんのお父さんは、全然音楽とは無縁の人ですが、脚を切断しなければならないかも知れない

息子の頼みなので、音楽に詳しい人に訊いたのか、今度は半音(ピアノで言えば黒鍵)が付いた

オモチャの木琴を買ってきてくれました。

小学校高学年で、このような状態ですから、今だったら、プロの音楽家になるのは

既に手遅れ。

しかし、とにかく岩城さんは木琴に夢中になりました。


◆学習院で「小出先生」に出会う。

やがて、お父さんが東京に転勤となり、岩城宏之さんはどういういきさつか、

学習院に途中編入したのです。

ただ、岐阜県の田舎からやってきた、と、学習院の「お坊ちゃま」達からは相当陰湿な

イジメを受けたそうです。

それは、それで、岩城さんは完全に「独学」で木琴を練習しました。

学習院の音楽の先生は「小出先生」という男の先生で、この先生が実に良い方で、

しかもユニークな教え方をする方でした。ウルサイことは何も言わない。

あるとき、学習院高等科全員が芸大(東京芸術大学)へ行き、

当時の日本を代表する大家の演奏を聴く機会に恵まれました。

今の天皇陛下が岩城宏之さんの一年上におられたそうで、そのおかげだろうとのこと。


小出先生は、前の日に小難しい「楽曲解説」など全くしませんでした。

「安川加寿子という人がピアノを弾くけど、あの人は日本でいちばんうまい人だが、あの人の見どころはお辞儀なんだ。

とても変っているから、出てきたら、気をつけて見ていなさい。」

「ヴァイオリンの巌本真理は、ものすごく鼻息が荒いけど、あれは鼻をすすっているのではない。

『ブレス』といって、バイオリンは口を開けて息を吸い込む訳にはいかないから、鼻で吸っているんだ。

呼吸は音楽では一番大切なことだ。その音が大きいのは、いかに本人が一生懸命やっているかという証拠だよ。」

その「解説」があまりにも面白いので、岩城さんは、演奏会当日最後まで飽きずに音楽を聴くことができたそうです。

岩城さんは、
これが、もし、面倒な解説を押しつけられ、後で感想文など書かされたら、音楽嫌いになっていただろう

と書いていますが、その通りですね。


さて、ある時、小出先生が音楽の授業の終わりに、
何でもいいから楽器が出来るものは次の時間に持ってきなさい

と言いました。

次の音楽の時間、学習院のお坊ちゃん、お嬢様のピアノ、ヴァイオリンに混じって、

岩城さんは例のオモチャの木琴で、おそるおそる、モーツァルトの「トルコ行進曲」を弾きました。

勿論、一番上の旋律を叩く訳ですけれども、楽譜も読めず、全くの独学で、そこまで弾けるようになっていた

ということは、やはり才能でしょうね。

演奏がおわったら、小出先生が言いました。
もうじき君たちの学年の送別会がある。その時に君は今のを弾けよ

送別会当日、ピアノやヴァイオリンを器用に弾く友だちの後から、岩城宏之さんはオモチャの木琴を持って

ステージに上がりました。皆がどっと笑います。伴奏のピアノは小出先生でした。

先生は黙って微笑んで頷いて下さいました。岩城さんは、「トルコ行進曲」の演奏を始めました。

弾き始めた途端、ざわついていた会場がピタリと静まりました。

必死の思いで最後まで弾きました。そうしたら、今まで自分をイジメていた連中、

とりわけ、一番しつこく、陰湿なイジメをしていた級友が、一生懸命、本気で手を叩いていました。

万雷の拍手です。岩城さんは、あっけにとられました。それだけでも信じられないような出来事でした。

ところが、まだ、ありました。拍手が鳴りやんだとき、小出先生の言葉が続きます。
君はこの調子であと一年もやれば、商売になれるよ。

岩城さんは驚嘆しました。自分が「音楽」を「商売」に? 信じられないような言葉でした。

勿論、実際には「あと1年」では商売にはなりませんが、岩城宏之さんは、その後

歴としたプロの音楽家になりました。小出先生の目(耳)は正しかったのです。

小出先生がいらっしゃらなければ、岩城宏之さんは、音楽家を目指そうとはしなかったでしょう。

兎にも角にも、この日の演奏が「音楽家・岩城宏之」が誕生するきっかけでした。

良い話ですね。今だったら音楽家になれなかったかもしれないけど、当時の

カリカリしない世の中の大らかさと、小出先生という恩師に出会ったのは、

岩城宏之さんにとって、とても好運なことでした。

私はこのエピソードが大好きなので、2回目ですが、ご紹介しました。

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